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第九話 魔物

 それから私は、亡きルチルさんらに深く頭を下げて振り返り、項垂うなだれたまま坂道をあるいていった。


 正面から旅の一団が来て、この先からすごい音と振動がしたけれどなにかあったのか、と聞かれたが、私はただ頭を振って通り過ぎていった。


 今日中には坂を下り終えて、ルチルさんの商隊とは離ればなれになる予定だったので、私の肩掛けかばんにはたくさんの食料と、旅の道具が入っている。


 ワンドもつえも手にある。


 一人で旅をするのは問題ないけれど……どうしても湖と化したマールの村、稲妻に打たれて崩壊したラミナの街、崩落に巻き込まれたルチルさんの商隊のことが頭から離れず、鬱々うつうつとした足取りになってしまう。


 もういっそ、この辺りで崖に身を投げてしまおうか。

 そんな思いが頭をよぎる。


 私はこの世界に祝福されていない女なんだ。

 きっと何処どこに行っても、不幸をまき散らすだけだろう。

 こんなに辛くて悲しいことって、あるんだ。


 呆然ぼうぜんと崖に立ち、下をのぞく。

 命を散らすには充分な高さだ。


 さあ、そこから一歩踏み出せ。

 なにかがそうささやいた気がして、私は……後ずさった。


 今、死んでしまっては駄目だ。

 まだマールの村や、ラミナの街、商隊のみなさんに何一つ残してあげられていない。


 せめてどこかの町で、これまで起きた出来事を記してから。

 それからでも遅くないだろう。


 ぽたり、と涙が落ちて、乾いた土に染みこむ。

 そして幻惑の杖を地面に突き立てて、山道を降りていった。


 やがて夜になり、日が山に隠れると、山道はあっという間にあおの月とあかの月による紫のベールに包まれた。

 しばらく坂を下っていくと、岩肌だけの道は終わり、それまで茶色と白のマナだけだった辺りに、ぽつぽつと緑色や青色が混じってきた。


 この辺りは森が近いせいか道の端には草花が生えていた。

 険しい山道が終わりを告げようとしている。


 この辺りから進路を北に向けようか、と思っていた、その時。

 なにか、声のようなものが耳に入ってきた。


 ……子供の泣き声だ。


 私は左手でワンドを腰から抜き、辺りに浮かんでいた白いマナを集めてあかりとし、辺りを探る。

 すると草むらの陰にかがんで、泣いている男の子がいるのを見つけた。


「君は、どこから来たの?」


 私が優しく声をかけると、男の子は私に抱きついてきた。

 その子は青い髪で、青い瞳をしていた。

 黒や茶系が多い人間族の中で、この色は少し珍しいかも。


「そっか、怖かったんだね。でも、もう大丈夫よ」


「うう……ちが、ちがうの……」


「違う?」


 男の子が指さすその先には、魔物がたむろっていた。

 確か本で読んだ。あれは鼠人ウエアラツト(ウェアラット)と呼ばれる、下級の魔物だ。


 しかし、下級とはいえ魔物は魔物。

 私なんかよりずっと力は強いし、人を襲って食べてしまう凶暴な存在だ。


 そんな鼠人ウエアラツトが、五匹。


 私の灯りに向かって、ぎらりとその黒い瞳を向けた!


 咄嗟とつさに杖を置き、痛めた右手で男の子を抱えて、左手のワンドを鼠人ウエアラツトらに向ける。

 魔物らしく頭と胴体は鼠で、毛深く、太い手足は人型という異形の姿だった。


「シャアアアアアア……」


 鼠人ウエアラツトは私を餌だと認識したらしく、素早い動きで囲んできた。


「しまった」


 瞬時に逃げることを考えたが、剣の達人ならまだしも、こちらは生きることを諦めかけている女と、年端もいかない子供。

 私たちの足でこの囲みを突破するのは不可能だ。


 ふと鼠人ウエアラツトらの奥を見ると、引き返してきた旅人らしき一団がいた。

 しかし彼らは我関せずと言った具合で、私とこの子を助けてくれるようなそぶりは一切ない。


 鼠人ウエアラツトは特に人間の女を好み、裸にしてもてあそぶだけ弄んだ後に殺し、その肉を食らうという。

 彼らはただの旅人で、冒険者でも軍隊でもないのだから仕方ない。


 私の命はどうでもいい。

 でも、この子だけは助けたい。

 鼠人ウエアラツトごときに、この子を殺させないっ!


 私は杖の先に集めた白いマナに緑のマナを加えて、素早く円陣を描き、詠唱する。


『彼のものらを残らず焼き払え……火球の法術!』


 ワンドを円陣の真ん中に突き刺すと、円陣から五つの火球が飛び出して、鼠人ウエアラツトら五匹を同時に炎で包み込んだ。


「グギャアアアアア!」


 鼠人ウエアラツトたちは苦悶くもんさけびをあげて、瞬時に消し炭と化した。

 初めて攻撃系の法術を使ったけれど、まさか、これほど威力があるとは。


「私は、本当に、一体?」


 マナを使った法術が、湧き水のように次々と頭の中に浮かんでくる。

 今、鼠人ウエアラツトに使ったような攻撃系から、大怪我おおけがを治せる回復系、硬い土を水のようにして潜れる能力系まで。

 様々な術式が浮かんでは、頭に焼きつけられていく。


 とにかく私は、ローブを握りしめて泣きじゃくる子供の頭をでて微笑ほほえんだ。

 周辺の警戒を怠らず、子供をひとしきり泣かせた後、膝を突いてたずねた。


「あなた、お名前は?」


「ぐす……セレ……セレニウス。村のみんなはセレニィって呼んでる」


「そう、セレニィ。年齢を言えるかな?」


「七歳」


「偉いね。ところであなたはどこからきたの?」


「ソトリスの村から」


「ソトリス?」


 聞き覚えがない村の名前だった。


「ねえセレニィ、私をその村まで案内できる?」


「うん!」


 私が鼠人ウエアラツトを片づけたので、セレニィは自分の村に帰る道が開けたのだろう。この子の案内で、村があるという北に向かって歩いた。

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