目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第05話 オーガ

 コルセア王都カリーンを出発して、三ヶ月。


 僕らは魔物やトラブルなどに遭遇することもなく、順調に旅を続けていた。

 そして街道の北に森があるのを確認し、僕らはその森を目印にして街道を外れ、北東に向かって進路を変えた。


 このまま街道の終着地であるフェルゴート王国の首都・フェイルーンまで行っても良かったけれど、ユーリエが早く次の石碑を見たいということで、このルートを選んだ。

 少しでも一緒にいたいのは変わらないけれど、一ヶ月、遠い街道を選んだ、あの時の僕とユーリエの仲は、もう密度が違う。


 僕らはこの石碑巡りを通して恋人同士となり、これからもずっと一緒にいようと誓い合った。


 もう石碑巡りの終わりが、僕らの旅の終わりではなくなったのだから、ならば石碑巡りを最優先にしようという結論に至った。決して石碑巡りをないがしろにしたわけではないけれど、今や僕だけではなくて、ユーリエも石碑に強い興味を抱いている。

 旅の時間の方が長いのだから、そうなると次の石碑を見たくなるのは必然だ。


 僕らは腰まで伸びた草をかきわけて、歩き続ける。

 視界が悪く、どこに魔物が潜んでいるのかわからない危険な場所だけれど、ユーリエは優秀な魔道士だし、僕はその上を行く銀獣人だ。


 かえるほどの緑色、豊かな大地である土の茶色、悠久の風から落ちてくる水色、目映まばゆい陽光の白色、かすかに感じる水の青色、昨夜に出ていた、くれないの月とあおの月の残滓ざんしである、紫色。

 これらのマナが入り交じって踊り遊び、ほたるのように輝きながら、辺りに満ち満ちていた。

 ここなら、練度の高い魔法が使えるだろう。


 しかし、油断は禁物。

 特に一番気をつけなくてはならないのは、ワンドだ。


 僕ら魔法使いは、ワンドを使ってマナを集め、その後に魔法を唱えるから、ワンドが手にないときが最も危ない状況だ。


 そして、ユーリエに銀獣人の姿を見られないこと。

 これが僕にとって一番、重要なことだ。


 賢いユーリエだから、希少種族レアレイスの知識もあるだろう。

 僕が銀獣人だと知られたら……きっと熱を帯びている恋も急速に冷めて、ユーリエは僕から離れていってしまうに違いない。

 仮にユーリエが僕を受け入れてくれたとしても、周りが許してくれないだろう。


 好きになればなるほど、その相手を食べてしまいたくなる、銀の髪を持つ人型の獣。

 どんなにすごい力を持っていようと、こんな種族が繁栄するはずがない。

 同じ世界に住みながら、銀獣人がフェイエルフに並んで希少種族レアレイスにされてしまったのも、うなずける。


 そんなことを思いながら歩いていた、その日の夕刻だった。


「そろそろキャンプの準備をしよっか」


「うん」


 辺りはかなり濃い草むらで、木は一本も生えていない。

 見通しが良いのは利点になるけれど、それは僕らを襲おうというものに対しても同じだ。

 あまりキャンプには向いていない場所だけれど、このまま夜を迎えた方がもっと危険だと判断した。


「どうするカナク、草壁円洞の魔法にする? 私は『土掘の魔法アースケイヴ』の方がいいと思うけれど」


「さすがユーリエ。僕もそうしようと――つッ!」


 その時。

 僕の左手に、一枚の鋭い草が突き刺さる。

 そこには大きく"Ⅵ"という数字が焼きつけられていた。


 これは僕があらかじめ放っておいた『感知の魔法ファーサーチ』だ。

 数字が敵対者の数、文字の大きさが危険度の高さになる。

 これである程度、相手がどんな魔物なのかを知ることができた。


「ユーリエ、敵だ! 数は六体。中級以上の魔物だ。囲まれてるかもしれない!」


「お、了解っ!」


 僕とユーリエは瞬時にワンドを抜き、背中合わせになって周囲を警戒する。

 翡翠ひすい色に染めあげていく草原の中に、丸太のような棍棒こんぼうを持った三体の巨躯きよくが見えてきた。


 ……オーガだ。


 後ろのユーリエ側を見ると、そこにも三体いた。


 魔物というくくりではあるものの、オーガは侮れない。

 体躯たいくは三メル近くあり、人型ながら、その隆起した筋肉で獲物をたたつぶ膂力りよりよくを持つ。

 深緑色の肌で、下顎が異常に発達し、牙がしになった顔つき。

 焦茶色の髪はまるで泥のようだ。


 陽種族ロウレイス闇種族エヴイレイスなど関係なく食し、その獰猛どうもう性、凶暴性からアレンシアの知的生命体である闇種族エヴイレイスに入れられなかったという。


「ユーリエ、いける?」


「不意打ちじゃないからね。今度は魔導士の力を見せてあげるわ!」


 どうやら心配はなさそうだ。


「よし。襲われる前に仕掛けるよ!」


「うん!」


 僕は土と水のマナだけをワンドの先に集めて魔法陣を描き、叫んだ。


堅土巨人召喚の魔法ソリッドクレイゴーレム!』


 魔法陣が僕の背中へと移動する。そして足下の草が割け、土が隆起し、煉瓦れんがの柱のように巨大で硬化した腕が伸びて、ドォン、と、大きな手のひらが地面を叩く。その腕が曲がって力を込めると、頭部、肩、胴、下半身、そして足が現れた。


 その体躯は十メル。

 トロルらがかすむほどだ。


 僕は土巨人にせり上げられて背中につかまっていた。

 この魔法でここまで大きく、強い土巨人を召喚できる種族は他にいないだろう。

 純度の高いマナを操れる銀獣人だからこそ、可能なのだ。


 召還系魔法はかなり強力だけど、命を吹き込まれているわけではないので、命令をしなければ動かないのと、常に術者が触れていないと解けてしまうという弱点がある。だから僕は土巨人の肩に座り、僕自身がこの巨人を操らなければならなかった。


「さて、オーガの棍棒と土巨人の拳、どちらが堅いかな?」


 三体のオーガは勇敢らしい。

 自分の三倍もの巨人が忽然こつぜんと現れたのに、ほとんど動じていなかった。

 牙を剥き出しよだれを垂らしながら、無謀にも棍棒を振りかざして襲いかかってくる。


 ドゴ。


 僕の土巨人の硬い右拳が、一体のオーガの左側面に直撃すると、宙を舞ってはるか数十メル先まで吹っ飛んでいった。

 同時に、二体のオーガが叫びながら突撃してくる。


 ……妙だ。

 これだけの力の差を見せつけられて、少しも動揺する素振りがない。


 僕は土巨人の右拳をそのまま伸ばさせると、二体のオーガに向かって前腕部で横薙よこなぎぎにする。

 土巨人の腕が風を切り裂き、空気を巻き上げて二体のオーガに襲いかかる。オーガらはそれを棍棒で防ごうとしたが、ぐしゃ、という音とともに吹き飛んでいった。


 喧嘩けんかを売る相手が悪すぎだよ。

 魔法使い相手に真っ向から挑んでくるなんて、正気の沙汰じゃない。もっとも、オーガごときに僕が銀獣人だと見抜かれることはないけれど、そこを加味しても、この土巨人を見ればわかるはずだけどな……。


「ユーリエ、そっちは――!!」


 振り向いて、血の気が引いた。


 二体のオーガがユーリエの腕を片方ずつ掴んで浮かせ、もう一体のオーガが今まさに、ユーリエの肩に頭にかじりつかんとする瞬間だった!


「ユーリエぇえええ!」


 この距離なら、銀獣人の姿になれば間に合うかもしれない!

 僕はローブを脱ぎ去り、急いでマナを身体の中に集める。


 ……と、目の前で驚くべきことが起きた。

 ユーリエの身体が足からぼこぼこと不自然に膨張し、大爆発を起こした!


「な、なんだなんだ??」


 それはもうすさまじい破壊力だった。

 魔物の中でも一、二を争うほど屈強な肉体を持つオーガなのに、たった一発で粉々に、しかも三体同時に吹き飛ばしてしまったのだから。


 それにしても、今のは本当になんだったのか?


「上級魔法『現し身の幻術ミラージュミラー』と『風火蓮華爆轟の魔法アーリーブラスト』を掛け合わせたの」


「え?」


 僕のすぐ真下の影から、ユーリエが姿を現した!


「『影潜りの魔法シャドウダイブ』!?」


「うん」


 なに食わぬ顔で僕に笑ってみせるユーリエ。

 これは文字通り、物体の影に潜る魔法だけれど、上級魔法の中でも難しいものだ。

 影が消えると、世界が夜の闇に塗られるまで出てこられなくなってしまう。その間、影の世界で全く動けなくなるという、かなりのリスクがある魔法だ。


「はー、良かった。無事だったんだ」


「えへへ、凄く、とってもとっても、心配してくれた?」


「心配したに決まってる!」


「あはは、ごめんごめん」


 なんでこの状況下で笑顔になれるのか。

 こっちは心臓が痛い。


「それにしても、なんだったの、あれ?」


「簡単よ。まずは『影潜りの魔法シャドウダイブ』、『現し身の幻術ミラージュミラー』、『風火蓮華爆轟の魔法アーリーブラスト』の魔法陣を描いておいて、オーガに襲われる瞬間に『影潜りの魔法シャドウダイブ』と『現し身の幻術ミラージュミラー』を発動してオーガの影に潜る。あとは三体のオーガが近づいてきたら、『風火蓮華爆轟の魔法アーリーブラスト』を発動させて、吹き飛んだオーガの持ち物の影に移りながら移動したってわけ」


「ってわけ……って簡単に言うけどさ、三つの上級魔法を同時に使ったと!? しかもかなり応用してるじゃないか!」


「うん」


「は、ははあ……」


 さ、さすがは、最年少で魔導士になっただけはある。

 しかも白、青、澄、緑と、四つのマナを同時に、しかも高いレベルで使いこなすなんて。

 かなりの高等技術だ。これをできる人間の魔導士が、一体どれだけいるのか。


「それにしても、あんな姿を見せられたらびっくりするよ!」


 土巨人の上から叫ぶ。


「んふ。心配した?」


「当たり前だよ! ユーリエになにかあったら、僕は――」


「ぼ、く、は、なぁ~に?」


 上目遣いで、僕に詰めてくるユーリエ。

 ああ、誘導されているなあ、これ。


「はら? あ、らりこ……れ……?」


 突然、ユーリエの瞳がとろん、と緩み、まぶたが落ちる。

 そしてふわりと倒れていったので、慌てて土巨人の手のひらで支えた。


「この効果……まさか、『強制深昏倒の魔法ディープフォールレスト』!?」


 睡眠、昏倒系の魔法は犯罪に利用されることが多いので、マール聖神殿が禁止している上級魔法だ。

 それを平気で使ってくるということは……。


「たかが人間の子供と侮ったか。我が手下どもを、こうあっさりと片付けるとは」


 声の方に目を向けると、そこには先ほどのオーガたちよりは背が低くて、ローブをまとい、ワンドを手にしたオーガが、夕日を背にして立っていた。


 このオーガ、明らかに他の連中とは雰囲気が違う。

 アレンシア語をしやべり、魔法を使う……。


 オーガ・シャーマンだ。


 しかもこの一体は、僕の『感知の魔法ファーサーチ』に掛からなかった七体目でもある。

 かなりの使い手だ。


「まあいい。たかが人間では、我の魔法からは逃れられんぞ。それに――」


 オーガ・シャーマンがつえの先にマナをめて、一気に魔法陣を描く。


打胸覚醒の魔法リインパクト


 刹那。

 どん、と衝撃が走り、僕の土巨人が倒した三人のオーガが頭を振りつつ、起き上がってきた。


「頭は悪いが、こいつらの頑丈さを侮るな。土巨人の一撃では、気を失う程度だ」


 そんなことはわかっていた。

 だからこそ、次の一撃でとどめを刺そうと思っていたんだけどなあ。


 僕は土巨人を操ってユーリエを背後に寝かせ、下品な魔物らと対峙たいじした。

 敵はオーガ・シャーマン一体にオーガ三体。普通の人間なら積みの盤面だった。


 相手が、普通の人間ならば。


「無駄な抵抗はよせ、人間。せめてもの手向たむけに、我らでお前たちを骨の髄まで味わい尽くしてやる」


 オーガ・シャーマンが再び魔法を唱える。


黒竜炎燃覇の魔法ドラゴラフレイム


 僕は咄嗟とつさに、土巨人から飛び降りた。

 それと同時に爆音がして、土巨人の上半身が炎に包まれた。

 土を燃やすほどの炎……しかもあの土巨人は、僕がマナを凝縮させて作り出したものだ。


 やっぱりあのオーガ・シャーマンは口だけではない。

 だけど、彼はとんでもないミスをしていた。


「見事な『堅土巨人召喚の魔法ソリッドクレイゴーレム』だったが、我には通じない。さあ、無駄に足掻あがく――」


「……くく、ははは、はーっはっはっはっは!」


 あまりの間抜けさに、こみ上げる笑いを抑えきれなかった。


「ふん、恐怖と絶望でおかしくなったか?」


 いぶかしむオーガ・シャーマンに対し、僕は着ていたローブを脱ぎ、ユーリエに掛けると、その上にワンドを置く。

 そしてマナを集めながら、ゆらりとオーガらに身体を向けた。


「いやいや、違うよ。君が本当に優秀な魔導師で助かったと思ったら、つい笑えてきちゃってねぇ……」


「なにぃ?」


「連れを眠らせてくれたお陰で、僕は安心してこの姿になれるんだから」


 身体の中で、マナがぜた。

 銀色の髪が伸び、尻尾が生え、獣の耳が頭から生える。

 筋肉が隆起し、爪が鋭利になり、全身から力がほとばしった。


「バカな!? そ、その姿は……」


 にやりと笑う僕の口元には、鋭い牙があった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?