翌日、僕らは再びレゴラントの町を目指し、水を切って進む舟のように、繁茂する草を切り裂いて歩く。
オーガとの戦いの後は、旅の疲れと『
でも、その後が違った。
昨日までの元気がなく、一言も口をきかずに、俯き加減で僕の後ろをついてくる。
なんだろう。
怒っているような、不機嫌なような、落ち込んでいるような。
ご飯はきっちり食べたから、体調は悪くないと思うけれど。
そんな悶々とした思いを抱きながら歩いて行くと、やがて深い草原を抜けて、急に岩肌が露出した大地へと変わった。
「これなら見通しもいいし、並んで歩けるね」
作り笑いをする僕。
「…………」
反応なし。
しゅん、と心が冷える。
仕方なく肩を落として歩き出すと、僕の左にユーリエが並んできた。
なんなんだろう。
あ……。
思い当たる節が、一つだけあることに気づいた。
ユーリエは僕が思っている以上に賢い。
もしかしたら昨日、僕が銀獣人であることに感づいたのかもしれない。
だとしたら、最悪だ。
でも、それなら僕の前から姿を消していないとおかしい。
だって自分を食べようとした存在と一緒にいたいなど、思わないはずだ。
「ユーリエ、どうしたの? 今朝から調子が悪そうだけど。その、昨日のことなら……」
僕の言葉にユーリエは、大きな目を見開いて微かに口を開くと、また、かくん、と首を垂れた。
「違うのカナク。いや、違わないけど……その、いろいろ考えさせられてね」
落ち込んでいる、の、かな?
「もし良かったら、聞かせてくれる?」
「良くなくても、これから聞いてもらうけどねっ!」
!?
ユーリエの雰囲気が一変した!?
「まず一つ。私が落ち込んでいるのは上位魔法とはいえ、魔物が使う魔法にあっさりかかっちゃったこと。なにがカナクを守るよ、有言不実行ほど情けないことはないわ。お腹が熱くなるほど、自分に対して怒ってるの。本当にごめん」
「あ、ああ……いいんだよ。大丈夫だったから。気に病まないで」
そっか、だから怒っているような落ち込んでるような、わけがわからない不思議な雰囲気になってたんだ。
納得した。
「それでさ、カナク。私がかけられたのは『
「そうだと思うよ」
「それが二つ目。魔導士じゃないカナクが、どうしてそこまで上級魔法に対抗できるのかな?」
「う……!」
「三つ目。私の隙を突いて魔法をかけたほどの魔導師が、どうしてカナクを眠らせなかったのか?」
「う、ううぅ……」
「四つ目。それほどの魔導師をカナクは無傷で倒した。上級魔法を使うほどの相手なら、私でも無傷じゃすまない。傷は負ったけど『
まさに、波状口撃。
しかも痛いところしか突いていない。
でも、確かにユーリエの疑念は全てもっともだ。
どうやって答えようかと思っていたら、ユーリエは言葉を紡いだ。
「ま、そこまではどうでもいいや」
「どうでもいいんだ!?」
ユーリエ。
時々、本当に君がわからないよ。
「それより大問題なのは、五つ目!」
まだあるの!?
「目覚めた時、私は上着だけ脱がされてたの。格別に暑かったわけじゃなかったし、むしろ土の洞穴はひんやりしてた。ということは……その……私を、脱がしたのって、カナクしかいないよね?」
「あっ!?」
しまったぁ、痛恨の失敗だ。
あの時のことを猛烈な勢いで回想する。
確かに僕は欲望に負けて、ユーリエの服を脱がしてしまった。
そしてユーリエを舐めて……その後、マントを掛けた。
ユーリエが、そのままの格好の状態で。
「ねえ、教えてくれない? あのオーガとの戦いの後に、なにがあったの?」
この期に及んで、言い逃れはできないだろう。
僕は歩きながら、銀獣人以外の事実は話そうと決めた。
「昨日、ユーリエを眠らせたのは、上級魔法を使うオーガ・シャーマンだったんだ」
「え、うそ!?」
「嘘じゃないよ。どうしてこんなところにいるのかわからないくらいの術者で、上級魔法を使うハイレベルなオーガだった。だって、魔導士のユーリエを眠らせちゃうくらいなんだから」
「あ、う、それはごめん」
「いや、相手が上手だったことに加えて、不意打ちだったから仕方ないよ。あの時に戦った六体のオーガは囮だったんだ。互いに三体倒して、油断したところを狙われたんだ」
「じゃあさ」
「うん?」
「なんでカナクは眠らされなかったの?」
ぬあ!
そうだよ。ユーリエがそういう疑問を抱くのは当然だ。
まいった。
どうやって返事しよう……。
「そ、それは、『
「ふーん……納得は出来ないけれど、そこはまあいいや。それで、カナクは一人で三体のオーガとオーガ・シャーマンを相手にしたと」
「は、はい」
「それで勝ったと」
「はい」
「凄いね」
僕が素直に返事をすると、ユーリエから意外な言葉が出ていた。
「ねえ正直に答えて。カナクって、わざと魔導士の免許を取ってないでしょ?」
「それは……うん」
「どうして? はっきり言って、カナクは私よりずっと魔法の才能があるわ! 魔法学校に通う生徒だもん。魔導士になるのが目的だったと思うんだけど、違うの?」
「そこははっきりさせておくよ。僕が魔法学校に入ったのは、マールのことを学ぶためだよ。マール経典に書かれていることは聖神殿で学べる。でも、マール最大の偉業は
「カナクって、本当にマールのこととなると凄いね」
「あっ! ご、ごめん」
「ううん、素敵だと思うわ」
ユーリエが、ようやく笑顔を僕に向けてくれた。
ちょうど昼だし、僕らはここで休憩することにした。
鞄の中から、ドライフルーツと水を出してユーリエに渡す。
すると、ユーリエは地面をぱんぱん、と叩いた。
ここに座れ、という意味だろう。
僕は大人しく、ユーリエが指定した場所に食べ物と水筒を持って座る。
すると、背中に温もりを感じた。
ユーリエが、背中合わせにして座ってきた。
「カナクが困ってるの、伝わったわ。だから、あのオーガたちとどう戦ったとかは訊かないよ」
「!……あ、ありがとう」
むう。
随分と突然な撤退だった。
もっと糾弾されると思ったから、脂汗が止まらなかったけれど。
「でもね、これだけは答えて」
「なに?」
「カナクって昨晩、意識のない私に……いたずらした?」
ぶー、と、口から水を拭きだした。
うわああ、勿体ない!
「そそ、そんな、絶対にしてない! なんでそんな!?」
「だって、私の身体から、か、カナクの匂いがするんだもんっ!」
……今回、最大の失敗だ。
そうだよ。
僕は銀獣人の姿で、ユーリエの身体を舐め回してしまった。
その時の唾液が、そのまま――。
「ご、ごめん。汚いよね!」
「そんなことはないけど、なにをしたの?」
ああ、失言の連鎖。
僕の頭は大混乱だ。
「う、うう、ごめん……実は……舐めちゃった」
小さい声で認める。
「ええっ! 私を舐めた!?」
「ううぅ」
「カナク」
「はい」
「えっち」
「…………」
違う!
違うんだけど!
まったく言い返せない!
「そっかぁ、だからこんなにカナクの匂いがするんだ……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
なんかもう、それしか言えなかった。
まさか“食べようとした”なんて言えないし。
昨晩、きちんとしていれば。
本当に悔やまれる。
「その……やっぱり軽蔑するよね。嫌になるよね……ごめん」
背中から温もりが消える。
ユーリエが僕から離れたんだ。
僕は膝を抱えて、項垂れた。