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第10話 レゴラントの石碑

 気がつくと僕らは、丘の上の街道に立っていた。


「カナク、あれ……」


「うん」


 僕らの目に飛び込んできた光景は……。

 丘の下にある小さな村が、今、まさに竜巻によって壊滅されている最中だった。


「あ、あんなことが……」


 絶句するユーリエ。


「あれは、ホリスの村だ。その当時、どういうわけかマールにかけられていた呪いが解けていたらしくて、そのおかげでマールは生涯初めて、ノートリアスという旅の道連れを得ることができた。二人で旅をして、四つの石碑を建て終わった後、突然意識を失ったらしい。そこでノートリアスはホリスという小さな村の宿屋でマールを看病した。やがて意識を取り戻したマールが、ノートリアスとともに村を後にした直後――」


「あれが、起きたのね」


「うん。マールにかけられていた呪いが再発したんだ」


「そんな……」

 ユーリエは、複数の竜巻によってめちゃくちゃにされていく村に目を向けながら、つぶやいた。


「あ! じゃあノートリアスは!?」


「もちろん、もう一緒に旅を続けられない。そのまま一緒にいたら命を落とす。だからマールは断腸の思いで、ノートリアスと……別れた」


「ねえカナク、マールとノートリアスは、愛しあってたのかな?」


「うーん、少なくともノートリアスは愛していたらしい。マールもそのおもいに応えたらしいれど、本心はわからなかったと経典には書いてある。ただ別れ際、マールは“まだやることがある”という言葉を残した」


「やること? 石碑は建て終わったんでしょう?」


「うん。だから、このときにマールが、なにをやらなくてはならなかったのか。それは今でも研究が進められている」


「そうなんだ……」


 優しげに、それでいて憐憫れんびんの瞳を、壊され尽くした村に向けるユーリエ。

 その時。

 ざわ、と、僕の首筋になにか感じるものがあった。


 これは……第二の石碑の時と同じ?

 振り返ると、そこには大きな石碑が浮いていた。


「あれが第三の石碑か」


 ユーリエも振り返り、石碑を認識する。


「……ねえカナク、一ついい?」


「うん?」


「私、これまでの石碑を見て、思うことがあってね。あの石碑を見たら、少し寝込むかもしれない。いいかな?」


「えっ!? それってユーリエは大丈夫なの?」


 ユーリエはほおを染めて、こくりとうなずく。

 その表情はどこかはかなげで、まるで僕の手から遠くに行ってしまうような気がした。


「私はもっとマールを知りたい。だから、マールに挑むわ!」


「挑む?」


「うん。必ず打ち勝ってみせる」


「なにをする気なの?」


「うーん、ひみつ」


「えぇ……」


「大丈夫だよ。でも、その間、私を守ってほしいな。その、一日一回くらいなら、いたずらしても、いいからさ」


「かなり具体的だけど、絶対しないし!」


 えへへ、と笑うユーリエ。

 僕は絶対ユーリエを食べない。

 だって……大好きだから!


「じゃあ石碑の言葉を読みましょう、カナク」


「う、うん」


 ユーリエは決意した顔つきになり、ワンドを腰から抜いて石碑に近づく。

 僕も駆け足で、その隣に並んだ。

 石碑は静かに、僕らを待っていた。

 そして魔法陣が開かれ、文章が浮かび上がった。


 ○ ● ○ ● ○ ●


 私は親類の間を転々とし、最終的に養護施設へ送られた。

 彼と出会ったのは、その時だった。彼はいつも泣いていた私に話しかけ、一緒に遊ぼうと手を差し伸べて、最高の笑顔をくれた。冷たくて殺伐とした権力争いの世界しか知らなかった私は、優しい表情で花に水をあげる彼に衝撃を覚えた。

 こんなに、あたたかな世界もあったんだ。

 こんなに、優しくて素敵な人もいるんだ。

 それから私は、寝起きも、食事も、学ぶときも遊ぶときも、ずっと彼の隣にいた。

 私が彼を好きになるのに、大して時間はかからなかった。

 しかし、別れは突然やってきた。

 彼と一緒に暮らすこの養護施設がある地域が、まるごと敵対勢力に吸収されたのだ。私が、かつてこの地方にあった、王家の娘であることを聞きつけた領主が、引き取ると言い出してきたらしい。

 家族の敵に育てられるなんて、嫌だ。

 それに、せっかく好きになった彼とも離ればなれになってしまう。

 しかし彼は「必ず幸せになれるから行った方がいいよ。おめでとう」と言った。

 まだ幼かった私には彼の笑顔に対して、どうすることもできなかった。


                             双月暦五三〇年 マール


 ○ ● ○ ● ○ ●


「これ、は……」


 マールが孤児だった?

 しかも亡国の王家の娘ってことは、王女さまだったってことなのか。

 どういうことだろう。

 こんなのはマール経典には載っていない。


 でも、これで謎多きあかつきの賢者マールの出自が判明した。

 ひょっとしたら、次の石碑でもっとマールのことを知れるかもしれない。


「ねえユーリ――」


 話しかけようとして、僕はやめた。

 ユーリエはその鋭い瞳を魔法陣に向けていた。


 まただ。

 なにがそんなに気になるんだろう?


 集中しすぎて、硬直しているユーリエの視線を追うと、その先はマールの文章ではなく、三重に描かれた詠唱文だった。


 第一の石碑、セレンディア。

 第二の石碑、カリーン。


 この二つも同じように、普通の魔法陣じゃなかった。


 僕らが使う魔法陣は外周と内周、一本ずつの円であり、その間に詠唱文をワンドで書き込む。

 とはいっても実際に文字を書く必要はなく、心の中で詠唱した言葉をワンド経由で送り込む。だから実際の行動は、マナをめたワンドの先を魔法陣に当ててなぞっていくと、文章が打ち込まれていく。


 この石碑の魔法陣は特殊かつ複雑だった。

 詠唱文を書き込むところが三つ。つまり四重の円になっており、しかも詠唱文が不規則に回転している。

 マールがいかに天才だったのか、この魔法陣でよくわかる。


 こんなもの、マナの扱いにけたフォレストエルフ……いや、もしかしたら希少種族レアレイスであるフェイエルフでも作れないかもしれない。


 ユーリエは、どうやらそんな魔法陣を、解析しているようだ。

 あ……マールに挑戦するって、こういうことか!


 しかし、いくらユーリエが魔法学校を首席で卒業した天才だとしても、それは厳しいと思う。

 希少種族レアレイスである銀獣人の僕も、人間ら陽種族ロウレイスやダークエルフら闇種族エヴイレイスには負けないくらい、魔法が得意だ。


 もし本気で魔法学校の試験を受けていたら、誰にも負けていなかっただろう。

 でも僕は陽種族ロウレイスの社会で生きるため、銀獣人であることを隠すため、ところどころで手を抜いて学校生活をなんとか終えられた。


 その僕から見ても、この魔法陣の構造はまるでわからない。


 マール教典に書いてあった情報を紐解ひもとくと、この石碑はドワーフの鉱山から産出された、きわめて珍しい"黒石"、つまり現在では“マール石”と呼ばれるものを使っているという。これはこの世界にあるマナを吸収して大きくなり、それを半永久的に保持することができるという、希有けうな特徴を持つらしい。


 マール石にまれたマナは、そのまま魔法に変換できる。故にマールはこの石を石碑にできるほど、長い時間をかけてマナを送り込み、なんらかの方法で幻術や魔法陣の基とした。


 マールの石碑。


 その研究はかなり昔から、聖神殿や国の機関が協力しあって進められたけれど、「解析不可能、未知の力」だという結論を出されて、現在はもう研究をしていないという。


 それに挑んでいるんだ、ユーリエは。


 どうして、そんなに気になるんだろう。

 僕はなにやらぶつぶつつぶやきながら、魔法陣に集中しているユーリエの横顔を見て、学生時代を思い出していた。


 ユーリエの周りには常に誰かがいて、その中心にいた。

 男女問わず、みんなユーリエの可憐かれんさと、知的な雰囲気と、屈託のなさにかれていた。


 そんなユーリエは今、僕だけと一緒にいる。

 優越感を抱いているわけじゃないけれど、なんだか不思議な気持ちになった。


 僕は学生時代、ユーリエに近づけなかった。

 理由は明白で、目にするだけで、ごくり、と喉が鳴っていたからだ。


 誰でもいいから、僕以外の銀獣人に会いたい。

 あなたは、僕と同じ苦しみを抱いて生きているのですか、ときたい。

 実はそれも、子供の頃から石碑巡りをしたかった理由の一つだった。


 アレンシアに存在する希少種族レアレイスは銀獣人だけと言われているけれど、いくらなんでも僕一人ということはないと思っている。


 セレンディアでは、僕と同じ銀髪の旅人を見かけると、すぐ声をかけた。でも当然ながら、銀獣人ではなかった。まるで世界にただ一人、取り残されたような寂寥感せきりようかんをずっと抱いていたし、それは今も僕の胸に深く突き刺さったままだ。


 ただユーリエの存在だけが、僕の心を温めてくれる。

 こんな想いを抱いた人は、他にいない。だからこの旅がまた一つの区切りを迎えたことに、僕は喜びと同時に、悲しさを感じていた。


 石碑巡りが終わったら、ユーリエは僕とどう接るようになるんだろう。

 恋人にはなってくれたけれど、僕はユーリエに牙を突き立てないまま暮らせるだろうか。

 いや……それができないのであれば、恋人なんかになるべきじゃない。

 やるしかない。やるしかないん――


「うん、わかった!」


 突然、ユーリエが拳を握って声をあげる。


「え、なにが?」


 急に叫ぶものだから、普通に驚いた。


「いろいろ、とね。ただ、やっぱり思った通り、一筋縄じゃ、いかなかった、かな。さすがはマール……」


 ふらり、とよろけるユーリエを僕はしっかりと受け止めた。


「大丈夫?」


「うーん、ちょっと、立ってられらい、かも」


 ユーリエの消耗は、予想以上だ。

 額に汗がにじみ、徐々に呼吸も荒くなってきている。


「一体なにをしたんだよユーリエ!」


「うーん……ごめん、ちょっと……マールの力に、あてられたかな」


「マールのって、石碑の魔法陣だね?」


「うん」


 ユーリエの顔色が、見る間に青くなっていく。

 僕はユーリエの膝裏に左腕を通し、右の脇に手を入れると、そのまま抱えた。


 これは病気ではない。

 強い魔法に干渉したことで起こる現象だ。


 そのまま振り返ると、瞬時にして辺りの幻術が消え、暗闇に戻る。

 僕はユーリエを抱えたまま入り口まで走り、ドアを開いた。


「ど、どうなさしましたか!?」


 慌てて出てきた僕らを目にして、ケイト聖神官が血相を変えた。


「少し休めば大丈夫です。では急ぎますので宿屋に向かいます」


「しょ、承知しました。どうか、マールのご加護がありますように」


 ケイト聖神官の祝福を丁寧に受け、聖神殿を飛び出すと、風のように早く道を駆け抜けて“山と湖の憩い亭”で準備されていた部屋に入った。そしてユーリエをベッドに寝かせると、苦悶くもんの表情を浮かべるユーリエの額を、持っていた布で拭いた。


「うう……あぐぅ……あああ……」


 ユーリエ。

 どうして君はそんな危ないことをしたんだ!


 完成された魔法陣に干渉できるのは、魔法陣を作った本人だけだ。それ以外のものが魔法陣に触れたり、マナを送ったりすると、反動をもろに受けることになる。


 普通の魔法陣なら少々怪我けがをする程度で済む。

 でもユーリエが手を出したのは一〇〇〇年前とはいえ、無二の力を持つアレンシア最強の魔法使い、暁の賢者マールの魔法陣だ。


「僕は、やっぱり馬鹿だ……」


 わかっていて、なんでユーリエを止められなかったのか。

 止めなかったんか。

 こんなことなら力尽くでも、やめさせるべきだった!


後悔が、じわじわと湧いてくる。

 ユーリエの身に、なにが起きてもおかしくはない。

 僕は、苦しむユーリエの手を握った。


 これは怪我でも病気でもない。

 だから上級『完全治癒の魔法』も効かない。


 僕はただ、宿のお兄さんに清潔な布と水を入れた桶を頼み、ユーリエの顔や額を拭う。服と、汗でぐしょぐしょになった下着を脱がして裸にすると、身体を拭いてバスローブを着せ、横にする。

 ただただ心配で、欲情や邪念など吹き飛んでいた。


 手を握ると、ユーリエは弱々しく握り返してきた。


「か……カナク、そこに、いる?」


 目を開けられないユーリエが、か細い声を出す。


「ユーリエ! 僕はここだ。ここにいる。手を握ってるよ!」


「ああ……カナクの手……あったかい」


「汗がすごいから、身体を拭かせてもらったよ。後で殴られても蹴られてもいい。でも、少しでもユーリエが心地よくなるなら――」


「ありがとう。カナクになら……全部、見られたって、いいよ」


「ユーリエ」


 苦悶の表情を浮かべたままのユーリエを、優しく抱き締めた。

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