その夜、真澄は変な夢を見た。
山道を歩いていた。薄暗く、湿った空気の中を、何者かに引かれるように登っていく。ふいに、足元にごつごつした感触。見ると、丸い石に顔が彫られていた。
――笑っている。
ただしそれは、人間の笑顔ではなかった。口角だけを異様に吊り上げ、目はまるで釘で刺したような「点」。お世辞にも優しさのある表情ではない。にもかかわらず、石はこう言った。
「願えば、叶う。笑えば、還る。悲しめば――囚われる」
その声は、土の底から響くような、耳鳴りのような音だった。
そして、目が覚めた。
***
「修平くん、山に行きませんか」
翌朝、真澄は役場に出勤するなり、修平にそう持ちかけた。
「なにいきなりホラー系の誘い?」
「いいから。あの山、なにかある。夢で“願い石”を見たの。多分実在する」
「いや、夢で!? それ“山の呼び声”とか“呪いの導き”の類だよね!?」
「うん。たぶん危ない。でも放っといたらそのうち誰か呪われる」
「いや、なんでそんな落ち着いてるの!?」
***
というわけで、その日の午後、二人は町の北にある高来山(たかぎさん)の登山道を登っていた。
案内板は「危険ですので立入禁止」。が、それを無視して山に入る人間があとを絶たない。特に、ここ10年は“願いが叶う石がある”という都市伝説がSNSで拡散され、廃墟系インフルエンサーの定番ネタになっていた。
「でも不思議なんだよな……実際、石がどこにあるのか、だれも写真に収めてないんだよ」
「それが罠なんだと思う」
真澄は、登山用のメモ帳に「道:右手にカエデ→左に折れる→笹薮」と記録しながら黙々と進む。
修平はすでに息切れしていた。
「……なあ、これ、ほんとに“笑える話”になるんだよな……?」
「なるかもしれないし、ならないかもしれない」
「希望がなさすぎる……!」
***
30分後、笹の向こうに、小さな地蔵群が見えた。
「……あった……!」
「ほんとにあるのかよ……」
それは、崩れかけた石段の先に、ひっそりと並んでいた。10体以上の石仏。全て、口元が笑っている。いや、笑っているように削られている。
「これが……“笑い地蔵”か……」
その中の一体。苔むした地蔵の前に、直径30cmほどの丸い石が置かれていた。
顔がある。あの、夢で見た顔だ。歪な笑み。釘のような目。
「……願い石……」
真澄がそうつぶやいた瞬間――
石が震えた。
「うおっ、地震!?」
「違う! この石が震えてる! 生きてる……!」
石が、ぼそりと喋った。
「願いは、なに?」
「うそだろ……!?」
「願いを。願えば、叶える。叶えたぶん、笑って。返して。笑いを。くれないなら、ずっと、ここにいて」
修平は思わず、真澄の腕を引いた。
「帰ろう! これはヤバいやつだ!」
「待って」
真澄はしゃがみこみ、石をまじまじと見た。
「……願ってもないのにここに呼ばれたってことは、向こうから用があるんだよ」
「なんでそんな冷静なの!? こいつ、“生きた石”だぞ!?」
そのとき、地蔵たちが一斉に「ハッ、ハッ、ハッ」と笑い出した。
空気が歪んだ。木々が風もないのに揺れた。耳が詰まる。
「願えば叶う、ってのは罠だよ。誰かに笑いを与え続けることで、ここに“縛られる”。それが本質だ。石は……観客を求めてるんだ」
「おい、それ最悪じゃない!? 霊にライブ強要されるの!?」
真澄はじっと、願い石を見据えた。
「あなた、ずっとここにいて、誰にも笑ってもらえなかったんでしょう」
「……」
「願いなんて、ないよ。でもね――」
そう言って、真澄は突然、ポケットから何かを取り出した。
それは、メモ帳で折った紙相撲の力士。
「……“小野妹子 with パイルドライバー”です」
「それで笑わせる気!? ムリムリムリムリ!」
「……トーナメント方式で八百長バトルやります」
「ちょっと待って!!!」
だが、その瞬間――
地蔵が笑った。
「ハッ、ハッ、ハハッ、ハ……」
そして、願い石がゆっくりと、動かなくなった。
「……ありがとう……笑えた……還れる……また、来世で……」
声は土に吸い込まれるように消えていった。
静けさが戻った。風が止まり、木のざわめきだけが残った。
修平は腰を抜かしていた。
「……おまえ、なんでそんな準備してたの……」
「最初から、笑いで解決するしかないと思ってたから。ギャグ供養で学んだ」
「学習しすぎて怖いんだけど!?」
***
下山中、真澄はひとつだけ、石を拾って帰った。
あの願い石の欠片。
それは今、彼女の部屋の机の上に置かれている。
――夜になると、笑っている。
(第4話『笑い地蔵の願い石』:End)