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第5話 語り神様は聞いている

 和馬は貴也に、絶対についていかなければよかったと思った。

「ここですよ、ここ。“語り神様”が祀られていたっていう、旧神社跡」

 貴也はキラキラした目でカメラを構え、古びた社務所の前に立っていた。今はもう鳥居すら残っていない。かろうじて“神”の字だけが読める腐りかけた看板が、風に揺れている。

「そもそも“語り神様”ってなんだよ。聞いたことないぞ」

「それが! 土着信仰の最深部、って感じでめちゃくちゃ面白いんだよ! この神様ね、“話を聞く代わりに記憶を食べる”らしいの」

「……うわ、なんか嫌な予感しかしねぇ」

「ちゃんと手順通りにすれば大丈夫。ちゃんと聞いてくれる神様だから、こっちが礼儀を守れば問題ないって!」

「いや、問題しかないだろその神様」

 和馬はここ数週間の異常事件――笑う仏像、動く御札、喋る願い石など――を経験して、ようやく学んだばかりだった。

 貴也が言う“問題ない”は、100%問題ある。

 ***

 社務所跡は半壊していた。

 貴也は床の一部を丁寧に掃除し、中央に白い布を敷いた。そこに、お供えと称して乾パンと缶コーヒーを並べる。

「ほんとに来るのか、神様が」

「うん。正しく呼びかければ、たぶん。“お話、聞いていただけますか”って三回唱えるんだって」

「カスタマーセンターかよ」

「じゃあ始めます!」

 和馬が止める間もなく、貴也は神妙な声で唱えた。

「お話、聞いていただけますか」

「お話、聞いていただけますか」

「お話、聞いていただけますか」

 風が止んだ。

 カサ……と何かが動く音。

 天井の梁から、細い人影のようなものが、ゆっくりと姿を現した。

 顔はない。目も鼻も口もなく、ただ、頭部に口のような穴がぽっかりと空いている。

「……な、なにこれ……?」

「聞いてくれるんだよ……話を……」

 貴也は震える声で言った。

 語り神様は、しゃがみこむようにして白布の前に座ると、身じろぎひとつせずに待っている。

「……お話、聞いていただけますか」と、もう一度。

 語り神様の口が、微かに笑ったように見えた。

 そして、しゃくりあげるような音が、空気を振るわせる。

「はなして……」

「え……?」

「はなして……きいてあげる……おまえのこと、きかせて……」

 和馬は口をつぐんだ。

 貴也が、一歩前に出た。

「……じゃあ、僕が話します。僕が最初に“話すことの怖さ”を知ったのは、小学校のときで……」

 その瞬間――語り神様の口が、異様に開いた。

 ズズッ……という湿った音とともに、口の周囲が裂け、まるでスピーカーのように広がっていく。

 中からは、誰かの笑い声、泣き声、怒鳴り声、独り言が入り混じった、意味不明の音の群れが流れ出した。

「やめろ貴也!! あれ、お前の記憶吸ってる!!」

「でも、話さなきゃ……!」

「馬鹿野郎!!」

 和馬はとっさに乾パンの缶を投げつけた。

 語り神様の口に当たると、ピタリと動きが止まった。

 一瞬の静寂。

「……たべもの……だめ……おはなし……きかせて……つづけて……」

「やめろおおお!!」

 和馬は貴也の腕を引っ張り、社務所から転げるように逃げ出した。

 語り神様は動かなかった。が、後ろから、無数の声が追ってくる。

「はなして、はなして、はなして」

「ぜんぶ、きいてあげる」

「あなたの、ぜんぶ、ほしい」

「うるせぇぇえ!!」

 ***

 逃げ切ったのは奇跡だった。

 町の雑木林まで戻ってきたところで、貴也は膝をついた。

「……すまん、俺……頭がぼんやりする……」

「記憶、抜かれてんだよ。戻るかどうか知らんけど……!」

「いや……でも、ちょっと楽になった気もする。あの神様……全部聞いてくれたから、俺のどうでもいい悩みも……」

「代償がでけぇんだよ!」

 貴也の目は、どこか虚ろだった。

 和馬は、もう一度だけ振り返った。

 雑木林の向こう。社務所跡の暗がり。

 そこに、“誰か”が座っていた。

 口元だけをにんまりとさせて。

(第5話『語り神様は聞いている』:End)


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