「このへん、空き家多いよねぇ~」
ぽつりと呟いたのは亜希だった。
休日の午後、彼女と紗那は、町おこしの一環で始まった“空き家活用ワークショップ”の現地見学に来ていた。案内係の修平が一番最初に帰ってしまったため、ふたりは地図を片手にうろうろしている。
「……この地図、ぜったい間違ってる」
紗那は首をかしげた。地図の上では“はなれ納屋”と書かれた建物にたどり着いたはずだったが、目の前にあるのはどう見ても古民家そのものだ。
「ほら、瓦とか、まだちゃんとしてるし。納屋って感じじゃなくない?」
「でも、これ“はなれ”って書いてあるし……あ! ねえ、ここ見て!」
亜希が指差したのは、家の裏手。そこに、背の低い木の扉がひとつあった。まるで納戸のように、家屋の背中に寄生するようなかたちで作られている。
「……納屋ってこれのこと?」
ふたりは顔を見合わせ、ちょっとした探検気分で扉を開けた。
ギィィ――
開いた扉の先には、古びた農具、錆びた鋤(すき)、虫の死骸。そして、壁一面にかけられた――
面。
ざっと見て20以上。能面のようでも、天狗のようでもない。
だが全ての面が共通していた。
笑っている。
にんまり、くしゃくしゃ、含み笑い、満面の笑み。種類はあるが、どれも“笑っている”のだ。
「うわあ……これ、なに?」
「……“和みのお面”だと思う」
紗那の声は震えていた。
「聞いたことある。地元の古い因習で、“身内に不幸があったとき、家族の誰かが笑顔でいれば、家に不幸が止まる”って。それで、家族の代わりに“笑い続けてくれる面”をかけるらしい」
「……つまり、不幸を防ぐための、代わりの笑顔?」
「うん。でもね――外しちゃいけないって。ずっと掛けておかないと、面が泣くんだって」
「泣いたらどうなるの?」
「知らない。誰も見たことないって」
沈黙。
それは涼しい夏の風にすら重くのしかかるようだった。
***
そのとき、亜希がくしゃみをした。
「へくちっ!」
風が吹き抜け、ふと、1枚の面が落ちた。
「わっ……やば……!」
「あっ!」
亜希がとっさに拾い上げる。
目が合った。
面が、動いた。
にんまりとした笑みの形が、微かに揺れ――そして、亜希の顔と同じ笑みに変わった。
「え……なにこれ……」
「亜希……それ、今、笑ってない?」
「う、うん……なんか、変な感じ。顔が……戻らない……」
***
数分後、亜希はずっと笑っていた。
というか、笑いが止まらなくなっていた。
「わはっ、うふふっ、やだなぁ、あはは……!」
「ちょ、ちょっと、亜希!? それ、無理してない!? 本当に大丈夫!?」
「え? 大丈夫だよ~、すっごく楽しいもんっ!」
言っている内容は明るい。笑顔も柔らかい。でも――
目が笑っていない。
目は、必死に助けを求めていた。
「これ、呪いだ……! 面の笑顔が、本人に取り憑いてる!」
「え、え、どうすればいいの!? 外す!? 水かける!? 火!?」
「ちょっと落ち着いて! 水はいいけど火は絶対ダメ! お面って、もともと家の守り神だったんだよ!? 焼いたら激怒するに決まってる!」
「じゃあどうするのよぉぉ!!」
亜希はその間も「うふふ」「あはは」「たのしいねぇ」と無理やりな笑顔で喋り続けていた。
***
しばらくして、紗那は納屋の奥で、古びた木箱を見つけた。中には古文書のようなものが入っている。カビ臭いが、かろうじて読める。
――『面、笑ひてし者、笑ひつかれてやみぬ。されば、面の心、聞かねばならぬ』
「……面の心、聞かねばならぬ?」
つまり、面が“なぜ笑っているのか”を問いただせば、解けるということ?
「ねえ、亜希。あんた、面の中に、何が見えるの? なんでそんなに笑ってるの?」
亜希は、一瞬黙った。
そのあと――小さな声で、笑いながら答えた。
「だってね。……悲しいことが、いっぱいあったから……」
「……!」
「だからね、笑わなきゃ、誰かが泣くの。誰かが泣くくらいなら、わたしが笑えばいいでしょ? ずっと……ずっと、そうしてきたんだよ……」
その瞬間、面が泣いた。
にんまりと笑っていたはずの口元が、ぽたぽたと、涙のように水を垂らしはじめた。
そして――ひびが入った。
「ぱきんっ」と音を立てて割れた面は、床に崩れ落ちた。
亜希は、その場で崩れた。
そして、泣いた。
「やだぁ……なんで私、ずっと笑ってたんだろ……」
紗那はそっと肩を抱き、「もう、いいんだよ」と囁いた。
***
数日後、納屋の面は、すべて町の資料館に収蔵された。
「笑っているものほど、よく見ろ」
貴也がそう呟き、メモを取っていた。
和馬はそれを見て、「メモするな、呪いが感染るだろ」とつっこんだ。
その隣で亜希は、いつものように――
でも、ほんの少し素直な笑顔で、上目遣いをしていた。
(第6話『なごみのお面』:End)