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第6話 なごみのお面

「このへん、空き家多いよねぇ~」

 ぽつりと呟いたのは亜希だった。

 休日の午後、彼女と紗那は、町おこしの一環で始まった“空き家活用ワークショップ”の現地見学に来ていた。案内係の修平が一番最初に帰ってしまったため、ふたりは地図を片手にうろうろしている。

「……この地図、ぜったい間違ってる」

 紗那は首をかしげた。地図の上では“はなれ納屋”と書かれた建物にたどり着いたはずだったが、目の前にあるのはどう見ても古民家そのものだ。

「ほら、瓦とか、まだちゃんとしてるし。納屋って感じじゃなくない?」

「でも、これ“はなれ”って書いてあるし……あ! ねえ、ここ見て!」

 亜希が指差したのは、家の裏手。そこに、背の低い木の扉がひとつあった。まるで納戸のように、家屋の背中に寄生するようなかたちで作られている。

「……納屋ってこれのこと?」

 ふたりは顔を見合わせ、ちょっとした探検気分で扉を開けた。

 ギィィ――

 開いた扉の先には、古びた農具、錆びた鋤(すき)、虫の死骸。そして、壁一面にかけられた――

 面。

 ざっと見て20以上。能面のようでも、天狗のようでもない。

 だが全ての面が共通していた。

 笑っている。

 にんまり、くしゃくしゃ、含み笑い、満面の笑み。種類はあるが、どれも“笑っている”のだ。

「うわあ……これ、なに?」

「……“和みのお面”だと思う」

 紗那の声は震えていた。

「聞いたことある。地元の古い因習で、“身内に不幸があったとき、家族の誰かが笑顔でいれば、家に不幸が止まる”って。それで、家族の代わりに“笑い続けてくれる面”をかけるらしい」

「……つまり、不幸を防ぐための、代わりの笑顔?」

「うん。でもね――外しちゃいけないって。ずっと掛けておかないと、面が泣くんだって」

「泣いたらどうなるの?」

「知らない。誰も見たことないって」

 沈黙。

 それは涼しい夏の風にすら重くのしかかるようだった。

 ***

 そのとき、亜希がくしゃみをした。

「へくちっ!」

 風が吹き抜け、ふと、1枚の面が落ちた。

「わっ……やば……!」

「あっ!」

 亜希がとっさに拾い上げる。

 目が合った。

 面が、動いた。

 にんまりとした笑みの形が、微かに揺れ――そして、亜希の顔と同じ笑みに変わった。

「え……なにこれ……」

「亜希……それ、今、笑ってない?」

「う、うん……なんか、変な感じ。顔が……戻らない……」

 ***

 数分後、亜希はずっと笑っていた。

 というか、笑いが止まらなくなっていた。

「わはっ、うふふっ、やだなぁ、あはは……!」

「ちょ、ちょっと、亜希!? それ、無理してない!? 本当に大丈夫!?」

「え? 大丈夫だよ~、すっごく楽しいもんっ!」

 言っている内容は明るい。笑顔も柔らかい。でも――

 目が笑っていない。

 目は、必死に助けを求めていた。

「これ、呪いだ……! 面の笑顔が、本人に取り憑いてる!」

「え、え、どうすればいいの!? 外す!? 水かける!? 火!?」

「ちょっと落ち着いて! 水はいいけど火は絶対ダメ! お面って、もともと家の守り神だったんだよ!? 焼いたら激怒するに決まってる!」

「じゃあどうするのよぉぉ!!」

 亜希はその間も「うふふ」「あはは」「たのしいねぇ」と無理やりな笑顔で喋り続けていた。

 ***

 しばらくして、紗那は納屋の奥で、古びた木箱を見つけた。中には古文書のようなものが入っている。カビ臭いが、かろうじて読める。

 ――『面、笑ひてし者、笑ひつかれてやみぬ。されば、面の心、聞かねばならぬ』

「……面の心、聞かねばならぬ?」

 つまり、面が“なぜ笑っているのか”を問いただせば、解けるということ?

「ねえ、亜希。あんた、面の中に、何が見えるの? なんでそんなに笑ってるの?」

 亜希は、一瞬黙った。

 そのあと――小さな声で、笑いながら答えた。

「だってね。……悲しいことが、いっぱいあったから……」

「……!」

「だからね、笑わなきゃ、誰かが泣くの。誰かが泣くくらいなら、わたしが笑えばいいでしょ? ずっと……ずっと、そうしてきたんだよ……」

 その瞬間、面が泣いた。

 にんまりと笑っていたはずの口元が、ぽたぽたと、涙のように水を垂らしはじめた。

 そして――ひびが入った。

「ぱきんっ」と音を立てて割れた面は、床に崩れ落ちた。

 亜希は、その場で崩れた。

 そして、泣いた。

「やだぁ……なんで私、ずっと笑ってたんだろ……」

 紗那はそっと肩を抱き、「もう、いいんだよ」と囁いた。

 ***

 数日後、納屋の面は、すべて町の資料館に収蔵された。

「笑っているものほど、よく見ろ」

 貴也がそう呟き、メモを取っていた。

 和馬はそれを見て、「メモするな、呪いが感染るだろ」とつっこんだ。

 その隣で亜希は、いつものように――

 でも、ほんの少し素直な笑顔で、上目遣いをしていた。

(第6話『なごみのお面』:End)


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