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第10話 笑う鳥居と八十八の鈴

「……なあ貴也、今日ほんとにここ行くのかよ」

 日が傾きかけた午後四時、修平は町のはずれにある鬱蒼とした森の前で立ち尽くしていた。彼の隣では、貴也が軽快に登山靴の紐を締め直している。

「当然じゃないか。今日しかないよ。“八十八夜目”だもの」

「そもそもその“夜目”ってなんなんだよ!?」

「今日でちょうど、笑う鳥居の鈴が88個目に到達する日なんだ。これ、記録されてるんだよ。鳥居に吊るされた鈴が、毎年ひとつずつ増えてて、最後の88個目が揃うとき、封印が“仮開放”されるって」

「“封印が仮開放”って何!? 本開放じゃないからセーフみたいな言い方やめろよ!」

「それにほら、今夜しか撮れない現象ってワクワクするじゃないか。記録するために、僕がいて、君がいる」

「役割の押し付けが雑すぎる……!」

 目の前にあるのは、朽ちかけた一本の鳥居だった。

 が、よく見るとその鳥居には、上部の梁から無数の鈴が吊り下げられている。全部で87個。赤や金、銀、木製、紙細工などさまざまな形状だが、共通しているのは――

 どれも笑っている。

 正確には、鈴の表面に顔が彫られていて、どれもにんまりと笑っているのだ。

「この鈴、何かに似てると思わない?」

「え、また“笑う仏”か? “御札くん”? “語り神様”? “トンネル女”? この町、笑ってるやつ多すぎだろ!」

「それらを含めた“共有顔”説があるんだ。すべては“元祖・笑い面の神”に由来する可能性が――」

「その話、鳥居の前でしないで!」

 ***

 日が暮れた。鳥居の前は想像以上に暗い。

 森に囲まれ、星も月も見えない。懐中電灯の灯りが頼りだが、鳥居だけは異様に明るく、鈴が不自然に風もないのに揺れていた。

「なあ、貴也。あれ、揺れてるよな?」

「うん。まさにこれが“笑う鳥居”の予兆とされてる。音が鳴り始めたら、儀式は始まってるんだよ」

「……鳴らないうちに帰ろうぜ」

「もう鳴ってるよ」

「は?」

 チリリン……

 鳥居の奥、森の中からひとつめの音が鳴った。




 チリリン……

 その音は、風のない空気の中にひとつだけ溶け込んだ。まるで虫の羽音のように儚く、それでいて耳に残る。

「お、おい……今の聞いたか?」

「うん。1個目、鳴ったね。あと87回鳴ったら……鳥居が笑う」

「鳥居が笑うってなに!? 構造物が感情持っちゃダメだろ!!」

「いや、正確には“鈴たちが共鳴し出す”って話。全ての鈴が笑い声のように鳴り出して、最後に鳥居の木材が軋みながら“アーッハッハ”って音を立てて崩れるらしい」

「それもう物理現象じゃなくて人智超えてるじゃん!!!」

 ふたりがあたふたしていると、チリン、チリン……とまた鈴が鳴り始めた。

 三つ、四つ、五つ――すでにその音は、規則的なリズムになりつつあった。

 まるで、笑い声の練習のように。

「やばいやばいやばい! 貴也、帰ろう! あと83個とか知らんって!」

「だーいじょうぶ! 記録し終わるまでは呪われないって書いてあった!」

「どこに!?」

「地元のオカルト同好会のブログに!」

「信頼度ゼロか!!」

 だが、ここで一番の異変が起きた。

 鳥居の前に並んだ87個の鈴の中で、ひとつも揺れていない。

 それなのに、音がする。

 チリリ……チリリリリリ……

 音の出所は、森の中。

 明らかに、誰かが手で鈴を鳴らしながら、こっちに近づいてきている――そんな気配があった。

「ちょ、なあ、今こっちに歩いてきてるよな?」

「うん……来てるね。多分、八十八個目の鈴を持ってる奴だ」

「持ってくんなよ!? 完成させたらアウトだろ!!」

「でも完成しなきゃ鳥居の“本笑い”は始まらない。だから向こうも焦ってるんじゃないかな?」

「“焦る鈴持ち”とか聞いたことねぇよ!!!」

 二人は後ずさりながら、鳥居から距離を取った。

 だがそのとき、鳥居の中央――ちょうど頭の上に位置する場所で、一本のひもが“空中から”垂れてきた。

 それには、最後の鈴が括りつけられている。

「おい!! 今、誰も登ってないのに! 空中から鈴が増えたぞ!? なにそれ浮遊霊的な納品方式!?」

「完成だ……! 88個、揃った……!」

 その瞬間――

 すべての鈴が、一斉に鳴り出した。

 チリリンチリリンチリリンチリリン!!!

 乾いた笑い声のように、甲高く、耳障りな音が響く。

 そして鳥居が、ギィ……ギィ……と軋み、笑うように歪んだ。




 ギィギィギィ……

 鳥居が軋むたび、無数の笑い声のような鈴の音が重なっていく。

 チリリンチリリンチリリン!!!

 やがて音は一つのリズムになり、鳥居全体が「笑っている」ような錯覚を引き起こす。

「ダメだ……これ、洒落にならん……!!」

 修平が身を縮めて叫んだ。

「貴也、マジでどうすんの!? 動画撮るどころじゃねえぞ!!」

「いや……まだ記録を! 今しか撮れない! この文化財級の笑いを!」

「文化財って言うな!!」

 その時だった。

 鳥居の奥、森の闇の中から、“誰か”が出てきた。

 それは人間のような形をしていたが、肌が紙のように白く、目も鼻もなく、口だけが異様に笑っていた。

 その笑いは、まるで鈴の音そのものだった。

「八十八番目の……鈴……様か……?」

「やっぱ本人かよおおお!!」

「わらって……わらってよ……」

 それは、鳥居の中央に立つと、両手を広げ、頭を垂れた。

「わらわなきゃ、帰れない」

 そして、顔がぬるぬると上がってくる。

 顔一面に、88個の鈴の笑顔が重なっていた。

 まるで、集合体のように表情が変わる。

 怒っている笑顔、泣いている笑顔、嘲笑、安堵、苦笑――すべてが笑っているのに、すべてが違う。

「……これはもう笑うしかないのでは……?」と貴也が震え声で言った。

 修平は、思いきって叫んだ。

「そんな笑顔、面白くもなんともねぇよ!!」

 その瞬間。

 鈴の音が――止まった。

 鳥居が、ピタリと静止した。

 そして、倒れた。

 ギィィィ……ドンッ!!

 音もなく木が割れ、鳥居はゆっくりと地面に崩れた。

「……え、終わった?」

「終わったの……?」

 ふたりが顔を見合わせたとき。

 鳥居の柱の一本に、赤字でこう刻まれていた。

「うるさい奴には、鈴貸さない」

「えっ、何そのノリ!? 最後だけ神様急に小姑モード!?」

「でもまあ……怒られずに済んだってことだよね、これは……」

 貴也がほっと息をつくと、ふとポケットの中で何かが鳴った。

 チリリン。

 それは、小さな金色の鈴だった。

「……おい、まさかそれ――」

「もらったみたい。記念品かな……」

「いらねぇよ!! 返せ!!」

 ***

 その後、笑う鳥居の跡地は、町によって“立ち入り禁止”にされた。

 だが、夜になると、たまにチリリン……と鈴の音が聞こえるらしい。

 修平は今でもたまに、寝ている間に耳元で――

「わらって。そしたら、また会えるから」

 という声を聞くという。

(第10話『笑う鳥居と八十八の鈴』:End)


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