「真澄ちゃんって、井戸に顔映して笑うタイプ?」
「……なにその性格診断みたいな聞き方」
亜希の唐突な質問に、真澄は今日も淡々と対応していた。ふたりは古民家カフェでお茶をしていたはずだったのに、話題はいつの間にか地元の「曰くつき井戸」についてになっていた。
「だってね、“よどみ井戸”って知ってる? この町のはずれにある井戸なんだけど、嫁入り前に覗くと“逆さまの自分”が見えるって」
「……逆さまの自分?」
「うん、顔だけ下に映るんだって。それが“嫁入りの失敗を暗示する”とか、“逆さまの人生に入る”とか言われてるの」
「まさか、“呪いの水面に自己認識を反転される”系?」
「難しい言い方すると怖いからやめて」
真澄はやれやれと頬杖をついたが、すでに興味は引かれていた。
「記録はあるの?」
「あるよ~。図書館で“嫁井戸録”って手書きの記録帳見つけたもん。村の娘さんの名前と、『井戸を覗いた日』『嫁入りした日』『行方』って三項目が書かれてて……」
「『行方』ってなにその物騒な項目!!」
「ね? やばいよね? 見に行こうよ!」
***
というわけで。
その日の夕暮れ、ふたりは町の旧家屋敷跡に来ていた。
苔むした井戸、壊れかけた屋根、鳥の鳴き声すらしない森の奥――そこに、“よどみ井戸”は確かに存在した。
「ほんとにあった……」
「見た目はふつうの井戸だね。桶もないし水も……あれ、水、濁ってる?」
真澄が懐中電灯で照らすと、井戸の底にじんわりと揺れる水面があった。だが、その水は黒く、光を反射しない。
「なんか、鏡っぽい……」
「これが“よどみ”かもね」
亜希はおもむろに身を乗り出す。
「……え、覗くの?」
「うん♡」
「ちょっと待って!? こういうの、安易にやっちゃだめなやつでは!?」
「でもでも、好奇心には勝てないっ♡」
「“知ってて踏む地雷”やめてぇぇぇ!!」
しかし、時すでに遅し。
亜希は井戸の中を、覗いてしまった。
***
一瞬、風が止んだ。
さっきまで聞こえていた木々のざわめきも鳥の声も、まるでスピーカーを切ったかのようにピタリと止んだ。
「……ねぇ、真澄ちゃん」
「なに?」
「わたし、今……逆さまの顔、見えた気がする……」
「やっぱり!? 呪い確定じゃん!」
「でもね……それ、わたしの顔じゃなかったの」
「……は?」
亜希の顔は、笑っている。
でもその目だけは、妙に焦っていた。
「誰かの顔だったの。笑ってるんだけど、こっち見てて……口が、ゆっくり動いてて……」
「なにか、言ってた?」
「うん。“今から入れ替わるね”って」
「ホラー映画の台詞か!!」
真澄は即座にスマホを取り出し、音声メモアプリを立ち上げ、井戸の構造と状況を録音しはじめた。
「ねぇ、こんなときメモと録音してる人初めて見たんだけど」
「いや、記録残しとかないと呪いの因果関係特定できないから」
「なんかもう、呪いへの対応力が育ちすぎてて逆に怖い」
***
そのときだった。
井戸の中から、足音がした。
ポチャン……ザバァ……キィ……コォ……
水の中を何かが這い上がってくるような、重く濡れた音。
そして――
「……“嫁ぐの、代わって”……」
井戸の口から、逆さまの花嫁衣裳を着た女が出てきた。
顔が上下反転している。口が額の中央にあり、目が顎にある。
「えっ、なにその構造!? 人間じゃないよね!? “顔の並べ方”間違ってるよね!?」
「呪いの実体化か……これはレアだ……!」
「感動してる場合かあああ!!」
「でも、“代わって”ってことは、結婚したいのかも」
「婚活の手段が呪いとか、世も末だな!!」
逆さまの花嫁は、じり……じり……と亜希に近づく。
「わらって……わらってよ……かわいくない?」
「圧がすごい!!!」
とっさに亜希は叫んだ。
「真澄ちゃん! 写真撮って!! わたし今から“逆さまポーズ”でツーショット撮るから!!」
「なにその対処法!? SNS映えで殴り返すの!?」
「“映えに勝てる呪いなし”って言うでしょ!」
「言わないよ!!」
だが、スマホのシャッターが切られた瞬間――
逆さまの花嫁は、スッと消えた。
音もなく、静かに、空気に溶けるように。
「……え、消えた?」
「たぶん、満足したんじゃない? 映れたから」
「自己承認欲求が満たされた式神ってなに!?」
***
後日。
“よどみ井戸”は立入禁止となった。が、なぜか地元のインスタグラムで「逆さポーズチャレンジ」が流行したという。
亜希と真澄は、その写真を見ながら首をかしげた。
「この人、花嫁の霊じゃなくて、“加工フィルターの妖怪”だった説ない?」
「あると思う」
(第11話『よどみ井戸と逆さまの嫁入り』:End)