「ねえ和馬、ここ行こうぜ。『ぬめり社』って名前だけでもう優勝だろ?」
「絶対イヤだ」
「まだ場所も言ってねーのに即答!? なんで!? 名前だけで判断すんのやめろよ!」
「“ぬめり”って付いてる神社に、いい話あると思うか?」
啓介がスマホを差し出してくる。そこには、手書きの地図の写真が表示されていた。地元の廃神社マニアによって公開されている、“地図から消された神社一覧”だ。
【No.37】ぬめり社(通称・笑神神社)
かつて“笑念封じの神”を祀ったとされる
参拝時の作法:「笑わずに拝む」「参道を逆から通らない」
最後に参拝記録があるのは昭和59年。以降、封鎖状態。
「いや、“笑神”って……笑わせるのか、笑わせないのか、どっちなんだよ……」
「だから行って確かめようよ!」
「いやだって、“笑うな”って書いてあるのに“笑神”で“ぬめり”で“封鎖”でしょ? 不穏ワード詰め合わせセットじゃん!」
「だからこそ行く価値があるんだよ!」
***
というわけで来てしまった。
薄暗い森の中、道なき道を進むこと15分。ぬめり社と呼ばれる場所は、泥と苔に埋もれた鳥居の向こうにひっそりと存在していた。
「ぬるっ……うわ、ぬめってるぬめってるぬめってる!」
「うわ、社殿の柱、苔じゃなくて……なにこれ? 人の……髪? いや違うな……笑ってる顔……?」
「ちょっと待って! 社の装飾が全部“笑顔の彫り物”になってるぞ!?」
確かに、欄間や柱の模様がすべて“笑っている顔”で構成されていた。よく見るとそれぞれ微妙に違う。無邪気な笑顔、営業スマイル、皮肉なニヤリ、心底楽しそうな爆笑顔……。
「これ、いわゆる“笑念”だよ」
「なんだそれ」
「人間が心底笑ったときに出る“念”。この神社はそれを封じてきた。つまり――“笑いすぎた者たちの残り香”が染みついた場所なんだよ!」
「怖っ! なにそれ、元気玉のホラー版みたいな!? 人の爆笑が集まりすぎて呪いになるとか新しすぎるだろ!!」
***
社殿の奥に、石でできた祭壇があった。
その上には、ただひとつ、白木でできた仮面が置かれていた。
笑っている。
だがそれは、明らかに人間の筋肉構造では作れない笑顔だった。
目は逆三角形に釣り上がり、口は耳を突き抜けている。
「おいおいおい……なにこれ、笑顔の限界突破……?」
「これが“笑神面”だよ。触れた者は“笑いが止まらなくなる”っていう逸話がある」
「ぜっっっっったい触るなよ!? フリじゃねーからな!?」
そのときだった。
鳥居の方で、チリ……と鈴の音が鳴った。
二人が振り返ると、参道の先から一人の女が歩いてくるのが見えた。
白装束。ゆっくりと、にこにこ笑っている。
「なにあれ……」
「もしかして、最後の参拝者……?」
女は二人の前で立ち止まり、こう言った。
「わらってください。
わらってくれないと、
わたしが、死ねないんです」
「うわあああああああああ!!!」
啓介は思わず大声で笑った。
「やめろばかあああ!! 笑ったら“封印”が――」
その瞬間、祭壇の仮面がカタリと動いた。
仮面の口が、すこし広がった気がした。
「やべぇ……笑い“吸い込まれた”かも……」
啓介の笑いが止まらなくなる。
ゲラゲラゲラゲラ!!
涙を流しながら笑い続ける姿を、女はにこにこと見つめる。
そして静かに、こう言った。
「ありがとう。
笑ってくれて。
やっと、逝けます」
女はフッと消えた。
空気が静まり返る。
和馬は、ひとこと。
「……なんで毎回お前がオチになるんだよ」
啓介は、それでも笑い続けていた。
(第12話『ぬめり社と四十年の笑念』:End)