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「私はこの度、リリアン・ハーヴィー嬢と婚約することを決めました。」
セザールの声が会場に響いた瞬間、空気が一変した。舞踏会の華やかな雰囲気は消え、貴族たちのざわめきと視線がヴェルナに集中する。彼女は硬直したまま、セザールの隣に立つリリアンを見つめた。そこには勝ち誇ったような微笑みを浮かべるリリアンの姿があった。
「どうして……?」
ヴェルナの心は混乱していた。これまで愛を誓い合ったはずの婚約者が、突然別の女性との婚約を宣言するなんて、信じられるはずがなかった。
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「リリアン嬢との婚約は、私たちの家同士の友好をさらに深めるために必要なものです。」
セザールは堂々と語り、リリアンの手を取って見せた。その動作はまるで舞台上の演技のように完璧で、周囲の貴族たちは拍手を送る者すらいた。
「まあ、なんて素敵なカップルかしら。」
「リリアン嬢は華やかで美しいものね。セザール様にはお似合いだわ。」
ささやき声が会場のあちこちで聞こえる。だが、その裏には冷たい視線も混ざっていた。ヴェルナがこの状況をどのように受け止めるのか、多くの人々が注目していたのだ。
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「セザール様……どういうことですの?」
ヴェルナはかろうじて声を絞り出し、冷静を装った。彼女の中で沸き上がる怒りと屈辱を抑えるのに全神経を集中させていた。
セザールはヴェルナに振り返り、涼しげな笑みを浮かべた。
「ヴェルナ、君には感謝しているよ。君との婚約期間は楽しかった。でも、これからはリリアン嬢と新しい未来を築くつもりだ。」
その言葉に、ヴェルナの胸に鋭い痛みが走った。これまで彼に尽くしてきた日々が、まるで無価値なものとして扱われたように感じられた。
「お楽しみいただけたようで何よりですわ。」
ヴェルナは皮肉を込めて微笑んだが、その瞳には冷たい光が宿っていた。
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リリアンはそんなヴェルナを見て、わざとらしく同情するような表情を作りながら口を開いた。
「ヴェルナ様、本当にお気の毒ですわ。でも、ご安心くださいませ。セザール様は私がしっかり支えますから。」
その言葉はまるで挑発するかのようで、ヴェルナの怒りをさらに煽った。しかし、彼女は動じなかった。怒りを表に出せば、それは彼らの思うつぼだ。
「それはご丁寧に。どうかお二人でお幸せに。」
ヴェルナは冷静な態度を保ちながら、一歩下がってその場を離れた。
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周囲の視線が彼女を追う中、ヴェルナは優雅な足取りで会場の外へ向かった。だが、背後から聞こえる人々のささやき声は、彼女の耳に容赦なく届いてきた。
「婚約破棄されたなんて、アルヴィス侯爵家も恥をかいたわね。」
「リリアン嬢の方が若くて美しいから仕方ないのよ。」
嘲笑と同情の入り混じる言葉たち。ヴェルナは拳を握りしめ、その全てを耐え忍ぶしかなかった。
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会場を出ると、冷たい夜風がヴェルナの頬を撫でた。屋敷への馬車が待つ場所まで歩く間、彼女の頭の中には怒りと悲しみが渦巻いていた。
「どうして……どうしてあの人が私を裏切ったの?」
ヴェルナは自問自答するが、答えは出ない。これまでのセザールとの関係が、突然崩壊してしまった理由を理解できなかった。
馬車に乗り込むと、彼女は窓の外を眺めながら静かに涙を流した。だが、その涙はすぐに乾いた。彼女の中で、ある感情が静かに芽生えていた。
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「見返してやる。」
ヴェルナはそう呟き、拳を握りしめた。屈辱を受けたままでは終わらない。セザールとリリアン、そして彼らを嘲笑した人々全てに、自分の力を見せつけると決意した。
「私はただの令嬢じゃない。アルヴィス侯爵家の娘として、誇りを取り戻してみせるわ。」
涙を拭い、顔を上げたヴェルナの瞳には、冷たく鋭い光が宿っていた。この屈辱の夜が、彼女の新たな戦いの始まりとなったのだ。