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1-1-3: 秘めた怒りと決意

 舞踏会を後にしたヴェルナは、優雅な足取りで屋敷へ戻った。セザールから婚約破棄を宣告され、会場中の注目を浴びた屈辱。背後から聞こえる嘲笑や同情の声。それら全てが、彼女の心を深く傷つけていた。


「冷静でいなければ……」

ヴェルナは自分に言い聞かせた。アルヴィス侯爵家の令嬢として、社交界で恥を晒すことは許されない。どんなに苦しい状況でも、優雅であるべきだ。それが彼女の生きてきた世界の掟だった。


馬車に乗り込むと、窓の外を眺めながら深呼吸を繰り返した。冷たい夜風が窓越しに彼女の頬を撫でる。だが、その冷気は心の中で渦巻く怒りと悲しみを冷ますには足りなかった。



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屋敷に到着すると、使用人たちが静かに迎えた。普段なら、彼らの挨拶に微笑みで応じるヴェルナだったが、その夜は一言も発さずに自室へと向かった。扉を閉めた瞬間、彼女の抑えていた感情が一気に溢れ出す。


「どうして……どうしてあんなことに……!」


ヴェルナはベッドの縁に座り、涙を流した。セザールとの日々が思い出される。彼の優しい笑顔、未来を語り合った時間。その全てが嘘だったのかと思うと、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。


「私を愛していると言ったのは嘘だったのね……」


ヴェルナはベッドに顔を伏せ、嗚咽を抑えきれなかった。これまでの努力が全て無意味だったかのように感じられた。社交界で完璧な令嬢として振る舞うために、どれほどの努力を重ねてきたことか。それらが踏みにじられた屈辱に、涙が止まらなかった。



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しばらくして、涙が枯れると、ヴェルナの中に新たな感情が芽生え始めた。それは、静かに燃え上がる怒りだった。セザールとリリアンに対する裏切りへの怒り。そして、自分を嘲笑した社交界全体への怒り。


「こんなことで終わるわけにはいかない……」


ヴェルナは涙を拭き取り、鏡の前に立った。そこに映る自分の姿を見つめる。頬は涙で濡れ、目は赤く腫れている。それでも、瞳の奥には新たな決意が宿っていた。


「私はアルヴィス侯爵家の娘。負けるわけにはいかない。」


ヴェルナは自分に言い聞かせるように呟いた。そして、深紅のドレスを脱ぎ捨て、着替えると机の前に座り、セザールとリリアンの行動を思い返し始めた。



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「どうしてリリアンが選ばれたのかしら……?」


ヴェルナは冷静に状況を分析しようと努めた。リリアン・ハーヴィーは華やかな美しさを持つものの、その家は多額の借金を抱えていることで知られている。そんな家の娘が、なぜセザールに選ばれたのか。それは単なる恋愛ではない。彼女にはそれが直感的に分かった。


「リリアンの家の財政状況を知っている人間なら、あの選択に違和感を覚えるはず……」


さらに、セザールの態度も不自然だった。彼がリリアンと手を取っていた時の表情は、どこか冷たさを感じさせるものだった。本当に愛情があるのなら、もっと穏やかな微笑みを浮かべるはずだ。


「何か裏がある……」


ヴェルナはその直感を確信に変えるために、行動を起こす必要があると考えた。セザールとリリアンが何を企んでいるのかを探る。それが、彼女の第一歩だった。



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深夜、ヴェルナは机に向かい、計画を立て始めた。まずは信頼できる情報源を確保する必要があった。父親の冷淡さを考えれば、家族の協力を当てにすることはできない。彼女が頼れるのは、自分の知識と人脈だけだった。


「誰か協力してくれる人がいるはず……」


そう考えながら、彼女は使用人の中に信頼できる人物がいるかどうかを思い浮かべた。さらに、母親の交友関係から情報を得る方法も考慮に入れた。


「私は泣いて終わるだけの女じゃない。必ず真実を明らかにして、彼らに報いを受けさせてみせる。」


ヴェルナは強くそう誓い、ペンを取り、行動計画をノートに書き始めた。彼女の目には、悲しみの涙はもう存在しなかった。その代わりに、冷静で鋭い光が宿っていた。



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翌朝、ヴェルナは冷静な表情で朝食の席に着いた。父親と母親が向かいに座る中、彼女は昨夜の婚約破棄について話すつもりはなかった。今の彼女にとって大切なのは、自分の計画を実行すること。家族の支援が得られなくても、彼女は自分の力で立ち上がる決意をしていた。


「これからが本番よ……」


心の中でそう呟きながら、ヴェルナは一口パンを口に運んだ。その背筋は真っ直ぐに伸び、彼女の表情には、もはや昨夜の涙の痕跡は見当たらなかった。



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