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ヴェルナは鏡に映る自分をじっと見つめていた。深紅のドレスはその場に脱ぎ捨てられ、今の彼女を覆っているのはただのシンプルな寝間着だった。だが、その瞳には強い光が宿っている。ほんの数時間前、セザールから婚約破棄を告げられ、屈辱と悲しみに押しつぶされそうだった自分が嘘のようだった。
「私は負けない……絶対に見返してやるわ。」
その言葉はヴェルナ自身への誓いであり、彼女の新たな決意だった。
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その夜、ヴェルナはベッドに入ることなく、机に向かって考えを巡らせた。婚約破棄そのものが辛い出来事だったが、それ以上に許せないのは、セザールとリリアンが自分を嘲笑うようにしてその場を支配していたことだった。
「セザール……リリアン……あなたたちがあの場で得意げだった理由は何なの?」
ヴェルナは手元の紙に思いつく限りの疑問を書き出していった。彼女の中で確信に変わりつつあるのは、この婚約破棄が単なるセザールの気まぐれではなく、何かもっと大きな裏事情があるということだった。
「リリアンの家は多額の借金を抱えているはず。それなのに、どうしてこんなに堂々としていられるのかしら?」
彼女の頭に浮かぶのは、リリアン家の経済事情と、セザール家との関係だった。もし彼らが互いの利益を目的にしているのだとしたら、この婚約破棄はただの序章に過ぎないかもしれない。
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「ヴェルナ様、お休みにならないのですか?」
控えめなノックの音と共に、側近のクラリッサが声をかけてきた。
「クラリッサ……入って。」
扉が開くと、クラリッサが夜の冷気を防ぐように薄手のショールを肩にかけて現れた。彼女の心配そうな顔が、ヴェルナの疲れた表情に影を落とす。
「何かお手伝いできることはありませんか?」
クラリッサの声には優しさが込められていた。彼女は長年ヴェルナに仕えており、主がどんな時でも気丈であることを知っている。それだけに、今夜のヴェルナが抱える痛みも感じ取っていた。
「ありがとう。でも、大丈夫よ。少し考え事をしているだけ。」
ヴェルナは微笑みながら答えたが、その微笑みの裏に隠された怒りと決意は見抜ける者には見抜けただろう。
「何かあれば、いつでもお呼びください。」
そう言ってクラリッサは静かに部屋を後にした。
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再び一人になったヴェルナは、机に向かいながら深呼吸をした。冷静になればなるほど、心に渦巻く感情が整理されていく。彼女はただ感情に流されるのではなく、この状況を冷静に分析し、行動する必要があると悟っていた。
「まずは情報を集めること……」
ヴェルナは決意を新たにし、具体的な行動計画を立てることにした。父や兄からの協力は期待できないだろう。これまでの家庭内の関係性から、それは容易に予想できた。
「母様……」
彼女の頭に浮かぶのは、唯一自分を気遣ってくれる母マティルダの存在だった。父親と違い、母親は常にヴェルナを励まし、支えてくれていた。
「母様の人脈を頼るのは悪くないわね。」
マティルダが持つ社交界での人脈は広い。その中には、情報を引き出せる人物がいるかもしれない。さらに、屋敷に仕える使用人の中にも、信頼できる者がいる可能性がある。
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夜が更けるにつれ、ヴェルナの中の悲しみは薄れ、代わりに冷静さと覚悟が芽生えていった。彼女はもう、婚約破棄の被害者として嘆き悲しむだけの存在ではなかった。
「私は、この状況を逆転させる。」
その決意は、彼女の表情や仕草にも現れていた。いつも以上に背筋を伸ばし、冷たい目で鏡の中の自分を見つめる。その視線の奥には、誰にも負けない強さが宿っていた。
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翌朝、ヴェルナは使用人たちの驚きと敬意を集めながら食堂に現れた。彼女はまるで何事もなかったかのように振る舞い、優雅に朝食を取った。
父親のアルヴィス侯爵が朝刊を広げながら一瞥を送ったが、ヴェルナは特に気に留めることなく、堂々と食事を進めた。その態度に、侯爵はわずかに眉をひそめたが、何も言わなかった。
「母様、今日少しお時間をいただけますか?」
ヴェルナは食事を終えると、母に声をかけた。母マティルダは少し驚いた表情を見せながらも、優しく微笑んだ。
「もちろんよ、ヴェルナ。何か話したいことがあるのね。」
「ええ、少しだけ……。」
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この日から、ヴェルナの新たな計画が動き出した。彼女は泣き寝入りするような弱い令嬢ではない。セザールとリリアン、そして彼らを支持する者たち全てに、自分の真価を見せつけるために動き出したのだった。