セリカは自室で、父から派遣された教師について考え込んでいた。父であるディオール公爵が、ただの教育者を派遣するとは思えない。カトリーヌ・ダッチという教師が学校に来て以来、学内の様子も生徒の雰囲気も確かに良くなったが、どうも彼女には謎が多い。日常の授業中に見せるドジっ子ぶりや明るい性格は、どこか作り物のような印象が拭えなかった。
セリカは、一人悶々と考えた末、執事のドライドに尋ねることにした。「お父様が、変な人を派遣するはずはない…。ねえ?ドライド、カトリーヌ・ダッチという人を知ってます?」
ドライドは首を傾げ、「申し訳ございません。存じ上げません」と答えた。セリカはそれを聞き、「そうか、本人に聞くのが早いよね」と心を決めた。そして翌日、カトリーヌを屋敷に招待することにした。
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翌日の午後、カトリーヌはセリカの屋敷を訪れ、華やかな応接室に案内された。カトリーヌはいつものようににこやかに、「お招きいただき光栄です。お嬢様」と笑顔を浮かべている。普段の柔らかい表情がそこにはあり、まるでいつもの授業の延長のような雰囲気だった。
しかし、セリカはカトリーヌの表情をじっと見つめ、すぐさま問いかけた。「カトリーヌ先生、あなたは…何者ですか?」
その瞬間、カトリーヌの顔つきが変わった。いつもののほほんとした様子は消え、鋭い眼差しでセリカを見据えた。彼女の姿勢までピシッと整えられ、その落ち着きと気迫に、セリカも一瞬たじろぐほどだった。
「カトリーヌ・ダッチは偽名です。本名はカトレア・デイレイド。ディオール領騎士団に所属する騎士です」彼女は丁寧に名乗りを上げた。「実は、お嬢様の護衛騎士として派遣されてきました。学校で教師のフリをしていたのは、お嬢様の身を守るためです」
セリカはその言葉に一瞬呆然としたが、すぐに理解した。確かにディオール公爵は、自分に危険が及ばないよう常に護衛を配慮している人物だ。しかし、その護衛が教師として自分の身近に潜んでいたとは夢にも思わなかった。
「なるほど。だからあのとき、教室に飛び込んできた父兄の暴動も…」
「はい。あの場面での対応も、すべてお嬢様を守るためのものでした。普段のドジっ子キャラクターも、周囲の目を逸らすために意図的に演じていたのです」
セリカは驚きの表情を浮かべながらも、何となく納得がいくような気がしていた。彼女が周囲を和ませつつも鋭い観察力を発揮していた場面や、瞬間的な反応の速さなど、全てが護衛騎士としての訓練に裏打ちされていたのだろう。しかし、その演技力の巧みさには感心せざるを得なかった。
「カトレア・デイレイド…なるほど。あなたは騎士として相当な訓練を受けているようですね」セリカは冷静にそう言ったが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。「でも、あなたのあのドジっ子ぶりも…」
その瞬間、カトレアは一瞬はにかんだように微笑んだ。「ええ、少しばかり自分に演技を強いる必要がありましたが…お嬢様のためならいくらでも頑張れるのです」
「なるほど、私のためにそこまでしてくださるとはありがたい限りです」とセリカは頷き、彼女の覚悟と忠誠心に感謝した。
カトレアが改めて退出しようとした時だった。床に敷かれた絨毯の端に足を引っかけ、見事に派手に転んでしまった。応接室の静寂を破るように「ばたん!」と大きな音が響き、カトレアは顔を赤らめながら、急いで立ち上がった。
「し、失礼しました!」彼女は慌てて謝罪し、立ち直る姿はまさに、普段の「ドジっ子先生」そのものだった。
セリカは、そんなカトレアの姿を見て思わず笑ってしまった。やはり、彼女には本当に天然な一面もあるのかもしれない――そう思わざるを得ない微笑ましい光景だった。
カトレア・デイレイドとしての鋭さと、カトリーヌ・ダッチとしての愛らしいドジっ子ぶり。その二つを併せ持つ彼女がこれからも自分の傍で守ってくれると思うと、セリカは心強い思いが込み上げてきた。
「カトレア、これからもよろしく頼むわね」セリカは改めて言葉を掛けた。
セリカはカトレアの決意を受け、彼女の忠誠に深く感謝した。そして、これまでの疑念が解け、安心感が心の中に広がっていった。
「カトレア、これからもよろしく頼むわね」と、セリカは優しく言葉を掛けた。
「はい、お嬢様。全力でお守りします」と、カトレアは真剣な表情で答え、改めて深々とお辞儀をした。そして、退出のために応接室のドアへ向かう。
しかしその瞬間、彼女の足元が危うくも絨毯の端に引っかかり、体のバランスを崩してしまった。カトレアの表情が一瞬驚きに変わり、ドアを前にして盛大に「ばたん!」と床に転倒してしまった。静かな応接室に、その音が響き渡る。
カトレアは顔を真っ赤にしながら立ち上がり、慌ててスカートを整え、姿勢を直した。「し、失礼しました!」と、再びお辞儀をして恐縮した様子を見せる。
セリカは思わず笑みを浮かべ、半分呆れたように彼女を見つめながらつぶやいた。「本当にドジっ子なのかしらね、カトレア?」
カトレアは少し照れながら、でもしっかりと背筋を伸ばし、「いえ、これも護衛の一環…と言いたいところですが、失礼しました」と恥ずかしそうに微笑んだ。その表情は、凛々しくもあり、どこか可愛らしいものだった。
セリカはカトレアの様子に安堵と親しみを感じながら、「じゃあ、気をつけてね、カトレア」と、温かく声をかけた。
カトレアはその言葉に応えるように、もう一度お辞儀をして部屋を後にした。セリカは彼女の後ろ姿を見送りながら、カトレア・デイレイドという護衛騎士がこれからも自分の傍にいてくれることを頼もしく思い、微笑みを浮かべていた。