朝、納屋の中で心地よいまどろみの中にいる俺。昨日はとれた熊肉で腹一杯になれた。二日続けて熊鍋も良いかもしれない……
「おい」
「ハッ!」
横に回転すると先程まで頭があった場所を、凄まじい蹴りが通過した。もちろん蹴ってきたのは【師匠】だ。いつもはもっと後に残らない場所を狙ってくるのだが、まさかの急所狙い。生命の危機を本能的に感じ取らなければ危なかっただろう。
「……ちっ。ここまでできるようになってやがったか」
「【師匠】?」
危険を伴う起こし方といい、今日の【師匠】はなにかおかしい。思い当たる節はネスタルさんが来たことぐらいだが……
「一番得意な武器を持って来い。本組手だ」
「……は、はい」
【師匠】との組手はいつものことだが、本組手だとわけが違う。ただの組手でさえ、ズタボロにされるのだから……今日が俺の最期かもしれない。
しかし、もともと【師匠】に拾われなければとうになかった命だ。ここで【師匠】の武芸の肥やしとなるのも恩返しというものかもしれない。
覚悟は意外にもすうっと身に染み渡った。未熟の身は【師匠】に及ぶはずもないが、全力で試合おうという気概が湧いてくる。
言われた通り、もっとも得意とする武器を手に、開けた庭に出る。【師匠】もやはり真剣だ。飾り気はないが分厚く、頑丈そうなブロードソードを手にしている。
対して俺が手にしているのは……
「……鉄鎖術か」
「未だ極められぬ身なれども」
両端に鋼鉄の柄が付いた鎖だ。鎖は囚人の足かせのごとく、その無骨さで相手の骨身を砕くという決意の権化のようだ。
「……意外だな」
「何が」
「お前は落ち着いている。俺はわずかだが楽しみにしている」
その一言で俺は報われた気がした。【師匠】が施した修行は決して手を抜かれていたわけでもなく、実を結んだのだと。
緊張感と高揚が混じり合い、突き抜けたその果に俺の心は静寂に達した。
「いざや来い」
「推して参る!」
離れた位置からの開始。推参するのは当然俺だ。始まった瞬間に初撃をすでに放っている。単純な横薙ぎだが、鉄柄は【師匠】の位置に向かっており、行動の選択を押し付ける。後ろに避ければ、そのまま距離を維持して嬲る。現状を維持しても同様。前に来るならそのまま
しかし、相手は怪物だった。何気ない動作で先端を剣で軽く弾いて、そのままゆっくりと前に歩き出した。当然、それは俺に大きく有利に働くはずだ。
俺は鎖を指先のように繊細に扱える。流石にムチほどではないが、速さも兼ね備えている。さながら仕置きをするように鎖を幾度も振るうが……なぜか届かない。剣で防ごうともそこを支点に連撃をみまえるはずなのだ。
見切られているだけではない。信じがたいが、鎖の威力を完全に殺されているのだ。
上から降るような柄にも、幾何学模様のような鎖の乱舞も、足元に仕掛けたクモの巣状の罠も全てが対応されて通じない。
そしてついに【師匠】の間合い、後ろに飛び退こうとした思考こそが隙になった。袈裟斬りの一撃を奇跡的に鉄の柄の先端で受け止める。角度も完璧だった。
だが、押し付けられた剣が鉄を徐々に切り始めた。いや、あり得ないだろう。力はちゃんと受け流しているのに、剣も鋭利そうには見えないのに、そんなことは関係ないと言わんばかりに理不尽が押し付けられる。
これはもうアレだな。俺の覚悟とか関係なかったわ。こらえている手が斬れるまであと数秒。利き手じゃない手で鎖操れるかな。いや、その前に胴が二つに分かれるか。
「最期で心が乱れたか。まぁお前ならそんなところだろう」
馴染のある感覚。腹を蹴り上げられて、俺は宙を舞っていた。そして俺も無意識に体勢を整えて着地した。
「【師匠】?」
「本組手とは言ったが、トドメまで貰えると思うなよ。お前程度、殺さないように加減するぐらいはできるんだよ」
【師匠】はなぜかそっぽを向きながら、ムスッとした顔をしている。傷跡がひきつれみたいになってて余計怖いが、照れて……いるのか?
ともあれ【師匠】は全力で相手をしてくれたが、真剣勝負まではいかない曖昧な領域で相手をしていたようだ。本組手は死ぬことも多いという俺の認識が過剰すぎたのかもしれない……いや全力でいかないと殺されてたな。真剣度合いとかの評価でサクッと。
「及第点だ。馬鹿みたいに振り回す鎖を斬って終わりだと思っていたが……最後の詰めまでは、力の加減もよくできていた。お前の間合いでは斬れる余分はなかった」
「あ、ありがとうございます!」
夢でも見ているようだ。【師匠】が褒めてくれることなど、一生ないと思っていた。これもネスタルさんが昨日やって来たことによる影響だろうか……だが、【師匠】は武術に関して嘘は決して言わない人だ。
「うん? つまり、何の及第点なんですかね?」
「そりゃ、俺の弟子としてのレベルだよ。世間に出てもそう簡単にはやられないぐらいはあるって意味だ」
「それは嬉しいですが、意味するところは……」
「おう。お前に教えることは教えたから出ていけ」
「えぇ!?」
【師匠】は庭の椅子代わりとして残してある切り株に座った。俺は混乱しながらも地べたに腰をおろした。
「お前を拾ってもう十何年になるのやら、最初はもっと早くどこかに送り出すつもりだったが……なぜだかもう少し、もう少しと教えてしまった。お前もここを出たかったんじゃないか?」
「うーん。まぁ、ほどほどには。ネスタルさんに情報だけは教えてもらってましたし。つっても一度くらいって感じで、すみかを変えたいとまでは」
「若いくせに欲のないやつだ。子どもの頃の影響かね? 俺がお前ぐらいの頃には都会で冒険者やらになって、一旗揚げようってなもんだったが……まぁそこでネスタルやらと色々やったもんだ」
【師匠】とネスタルさんたちの冒険……それはさぞ波乱に満ちたものだっただろう。多分、本が出版されててもおかしくないほどの。
しかし、出て行けとはいきなり……でもないのか。多分、昨日のネスタルさんの用事はそれだったのだろう。
そして師匠は有言実行。撤回はない。つまり俺が旅に出ることはほぼ確定である。
「外じゃ仕事をして、金を稼がなきゃならんが……それも今までの修行の中に織り込んである。熊だの狼の皮は高く売れるしな。冒険者になるなら紹介状ぐらいは書いてやる」
「はぁ……冒険者とかってそんなに簡単に成れるものなんですか?」
「きっと驚くだろうよ。玉石混交だが、傭兵みたいなもんだ。しょっちゅう死ぬから常に募集している」
ははーん。しょっちゅう死ぬってことは外も
「まぁ準備する時間くらいやる。俺もお前にやるものがあるしな……出て行けと言ったが、明日までは置いてやるよ」
「おお……時間しか貰えないと思っていたのですが……【師匠】にも何かをあげる器があったのですね」
「投げるぞ、お前」
「死にますよね? それ」
とにかく既に出ていくことが決まってしまったので、急いで準備する。破損した鉄鎖の柄を急いで交換して、補助に分厚いナイフを持つ。荷物が限られている以上、武器はそんなものでいいだろう。防具はレザーアーマーと鎧下だ。あとは頑丈で大きい行李箱に思いつく限りの小物を詰め込んでいく。食料は不承不承最低限にして、塩を多めに持った。
こんなものか。食料はそこら辺で熊でも捕まえるとしよう。それにしても【師匠】は俺に何をくれるのだろう? 伝説の武器とかか? 考えている内に時間はあっという間に過ぎていった。
「それでは【師匠】行ってきます……って追い出されるんでしたっけ」
「おう。行って来いイサオ」
「? なんですイサオって?」
「お前に最後にやるもの……名前だよ。昔の俺の仲間の国の言葉で功績を意味するんだってよ。字は書けるな……この手帳も持っていけ」」
放り投げられたのは頑丈な革で作られた手記だった。太い針で綴じられて、中には図や文字がびっしりと書き込んである。
「俺が冒険者だった頃に書いてたものだ。続きは……お前が書け」
「はい! 辞典ぐらい分厚くしてきます! それでは【師匠】……!」
別れはあっさりと、俺は思っても見なかったが笑顔で山を下る。
「きますって……戻って来る気かよ」
最後に耳に小さな声が残った。