タムル山を下る。唯一の道らしき場所も急勾配になっていて、住んでいる人間はいないので寂しい限りだ。
何がおかしいってこのタムル山って【師匠】の持ちものなんだよな。管理しようという気は微塵も無いようだが、山を一つ丸々所有しているとなれば金持ちなのだろうか? どちらにせよ、その金が俺に回ってくることはないのでどうでもいいと言えば、どうでもいい。
目指すのはふもとにある、鉱山街ウィッカだ。タムル山の向かいにある山とその間からは金属が取れ、それなりに賑わっている……らしい。
「らしいしかないー」
一人で呟くのは癖だ。タムル山から出たことが無いので全部にらしいが付いてしまう。疑うとあまりにきりが無いので実際に見てみるしかない。実は世界に人間は【師匠】と俺とネスタルさんしかいない、と言われても否定できないぐらいに俺は世間を知らないのだ。
ひたすら歩いていく。タムル山に面白いところなど一つもないのだから、さっさと下りるに限る。
たまに出る熊などを撲殺して食料にしながら、初めての旅は特に何もなく終点へと向かった。
「おおー、煙がたなびいてる。たなびいてる。あそこで精錬? やら鍛冶なんかが行われているんだな」
崖の上に立ち眼下の街を見下ろす。そこでは豆粒のごとき大きさに見える人間が、活発に動いていた。とりあえず俺たちが最後の人類説は否定されたらしく、ちょっと安堵する。背中には大量になってしまった熊の皮を背負い、鉄鎖の柄を壁面に打ち付けながら降りていく。頑丈な岩で良かった。実に安定してくれる。
手の力で降りていくこと数時間。俺は地面を踏むことに成功した。ちょっと血流が滞って足裏が気持ち悪い。仕方なく休憩してから、俺はとうとう人の街へとたどり着いた。
「ちょっと待て。見ない顔だな。何をしに来た」
「はぁ。冒険者になりに。後は熊の皮が売れたら良いなと」
「ちっ、また冒険者か」
街の門のところで粗末な金属鎧を着た人間に止められてしまった。とりあえず注意深く観察してみるが、手に持った槍の握り方もおかしいし、不機嫌な調子でこちらに背中まで見せた。なんだろう、この戦士っぽい人。自殺志願者?
仲間らしき人物を連れて戻ってきた彼は、にやにやと笑いながら問いかけてくる。
「おい、若造。その鎧どこで盗んだ? 熊の皮もだ。お前みたいなのが持てるものじゃない」
「鎧は俺のもんだし、皮は打ち殺したやつから剥ぎ取ったんだが」
それを聞いて門の前の戦士二人はげらげらと笑っている。なんで笑うの?
「熊を打ち殺した、だってよ。子どもでももっとマシな嘘つくぞ」
「嘘? 俺は嘘なんて言ってないが……大体熊なんて狩りやすいじゃん」
「頭がどうかしてるぜ。こいつ。その立派な鎧と皮は怪しいから没収だ」
手を出して近づいてきた。つまり、こいつらは敵か? 相手が出してきた手を掴んで止める。
冷静に考えよう。俺からしてもどうかしている【師匠】に俺は育てられた。何か誤解があるかも知れない。とりあえず様子を見てみよう。掴んだ相手の手はそこからピクリとも動かない。
「おい、早く剥いで、その金で飯にしようぜ」
「あっああ! そうだな!」
戦士の顔が真っ赤に染まる。俺は相変わらず手を掴んで観察していた。
どうやら彼らは門番というやつらしい。人間は集団になると、腕力ではない力……権力を持つ者が必ず生まれると教わった。つまり、彼らはその権力を行使して、こちらの身ぐるみを剥ぎたいらしい……ほとんど盗賊な気がする。
だが、同時にこうも教わった。人間、最後には身体能力こそ力。それを誇示すればいいのだ!
「ああ~、門番さん? このあたりにしたほうがお互いのためにいいと思うんだ。うん」
「お前! 手を離せ!」
「素直に街に入れてくれるなら離すよ。察するに本来は止める力とか無いんでしょ」
相手が抜け出そうと力を入れるほど、こちらも握力を強める。腕の骨の感触が手に伝わりだした。同時に、彼らも慌てだした。徐々に見物人が増えて来たのだ。街の住人から見て、戦士である門番が恥をさらすわけにはいかないはずである。
「何やってんだよ、お前! さっさと取り上げろよ」
「い……いや。ちょっとこの辺にしてやる方が良くねぇかな?」
次第に見物人たちも声を上げ始める。その内容は概ね俺を応援する声だった。いいぞ、若造、やっちまえとかそういう内容だ。
そして、あの【師匠】のデタラメぶりを思い出して俺は把握した。俺は恐らく世間から見れば強い方に入るのだ。手を軽くひねると、簡単に門番の体勢は崩れた。
「どうでしょう? ここらで手打ちといきませんか? 貴方たちは立派に門番を務めた。そして、俺が入るのを認めた、とそういうことで」
「わ、わかった! 通って良い!」
手を離すと門番は地面にキスしてしまい、見物人たちは歓声で俺を迎え入れてくれた。
とりあえず分かったことがいくつか、この街で権力の所有者はあまり好かれてはいないこと。そして街の住人は荒っぽいということだ。
「自分の常識知らずがここまでとは思わなかった。ちょっと色々話を聞くようにしよう」
【師匠】の最後はパワー! という考えはどうにも危ない気がする。今回はそれに助けられたので間違ってはいないのだろうが、極端過ぎるのだろう。考えてみれば【師匠】は少なくとも、俺の年齢分ぐらいはタムル山にこもっていたのだ。考え方が古くなっていてもおかしくない。
とにかく、なんとかこうして俺は無事に鉱山街ウィッカに入れた。
「熊の皮? 冒険者ギルドでも買い取ってもらえるが、布とか扱っている店の方が高く買い取ってくれるぜ!」
「どうも、ありがとうございます。ちなみにどの辺ですかね」
「バザーに行って、萎びた婆さんのいる店を探しな。おっと、萎びたとか俺が言ってたのは内緒にしといてくれ!」
発達した筋肉を、やたら見せつけてくる半裸の住人が色々と教えてくれた。先程の見物人の中にいたらしく、最初からフレンドリーだ。
この街は露天掘りしている採掘場を中心に、街が周囲に円形を描いているらしい。そこで露店形式の店が立ち並ぶのがバザーで、西の門のすぐ近くにあるとのこと。人のいないタムル山側の門は若干寂れていて、だからあのように素行の悪い門番がいたようだ。
バザーに入った俺は目を丸くした。人、人、人! あまりの人数に目が回りそうになる。ここで特定の店を探そうなど……できたわ。なにか圧力を放つ老婆が座っている店があり、布屋根の下には色とりどりの布や皮が垂れ下がっている。
意を決して、話しかけてみる。
「熊の皮だって? どれ、見せてみな」
「あ、はい」
「ふぅん。まぁまぁ新鮮だね。剥ぎ方がちょいと適当だが、まぁ及第点としてやろう」
質はそこそこだが、枚数は多い。そこで老婆がジャラっと硬貨を並べてくれる。
「金貨一枚と銀貨二枚だね。どうだい?」
「あ、じゃあそれでお願いします」
「じゃあそれで? 何言ってるんだいこの子は! ここからが本番だろう!?」
「い、意味が分かりません」
「ここから、あたしが安くしようとする! アンタは値を少しでも釣り上げるもんだ!」
「え、えぇ……」
「まったくなっちゃいないね! あたしがアンタなら金貨一枚と銀貨七枚まで引き上げられる!」
「じゃ、じゃあ間をとって金貨一枚と銀貨五枚で」
「まぁそんなところだろうねぇ……アンタ、その調子だといずれやっていけなくなるよ。冒険者ギルド? 北の門近くにあるけど……アンタが冒険者なんてすぐ死んじまいそうだねぇ」
「こう見えて、結構強いようなので何とかやっていきます」
こうして俺は何とか熊の皮を処分して、冒険者ギルドにたどり着くことができた。