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第8話

 泥棒を取り押さえた数分後、アリスは俺とコロウを店に招いてくれた。

 八百屋の奥、木の香りが漂う小さな台所に通されると、湯気の立つ湯飲みが並べられる。


「こっちこっち!」

 アリスは明るい声で先導する。


「まあまあ、お金を取り返してくれたんだってね。ありがとう。本当に助かったわ」

 そう言いながら笑顔を見せたのは、アリスの母親——リザという女性だった。

 柔らかな金髪をまとめた優しげな雰囲気の女性で、差し出された湯飲みからはほんのりと甘い香りが立ち上っていた。


「ありがとうございます。いただきます」

 湯を口に運ぶと、ほっとするような味が舌を撫でる。


 すると、古びた階段をギシギシと鳴らして、屈強な体格の男が降りてきた。


「おお、お前さんたちが泥棒を捕まえてくれたのか。本当にありがとう」

 アリスの父親——トラスだ。この夫婦で八百屋を切り盛りしているのだろう。


「いや、俺はただの通りすがりだよ」

「わしは何もしておらん。全部こやつがやったことじゃ」

 コロウがそう言って肩をすくめる。


「なぁ、爺さん。さっきもらった金、ここで使ってもいいか?」

「ん? まぁ構わんが」


 店の片隅に積まれた果物に目をやる。

 赤く、つややかで、まるでりんごのような実。


「すみません、この果実はなんて名前なんですか?」

「それはフレの実よ。とっても甘くて美味しいの。……というか、あなた変わってるわね。この世界でフレの実を知らないエルフなんて、聞いたことないわ」


「あ、いや……ちょっと頭を打ってて。まだ混乱してるんです」

 苦しい言い訳をしながらも、俺はとっさに嘘をついた。


「それは大変だったな。無理せず、うちでゆっくりしていくといい」

 トラスの声には温かさがあった。だが、どこか不自然な空気が心に引っかかる。


「いえ、お気遣い感謝します。じゃあ、この実を一つ、買います」


 コロウがふと立ち上がる。「すまんな、そろそろ失礼させてもらうぞ」

「そうかい。残念だな、また来ておくれ」

「また遊びにきてね!」

 手を振るアリスに軽く会釈し、俺たちは八百屋を後にした。


 だが、数歩歩いたところで——。


「……あれ?」

 視界がゆらぎ、意識が遠のく。頭がぐらりと揺れ、その場に膝をついた。


「この感覚……まさか……」


「やっと気づいたか。遅いわ、このたわけ」

 背後でコロウの声が響く。


「睡眠薬……」

 そうだ。あの家族は、俺たちに出されたお茶に薬を——。


「まだわからんのか。この世界のエルフは人間を食う。それがこの世界の常識なんじゃ」

「……あの家族も?」


「わしがおらんかったら、お前さん、今ごろ三枚におろされとったわ」

 その言葉に、背筋がぞくりと冷える。


「……じゃあ、誘拐された子どもたちは……もう……」


「とっくに貴族に喰われとるじゃろうな」

 淡々と語られる現実が、重く心にのしかかる。


 ——雪は、無事だろうか。


「……なぁ、あんたもエルフなんだろ? なんで俺みたいな人間を助けてくれる?」

 問いかけると、コロウは小さく目を細めた。


「昔の友人のようになってほしくないからだ」


「友人……? 何の話だよ」


「いずれ話すさ。今は——買い物を済ませて、さっさと戻ろう」

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