泥棒を取り押さえた数分後、アリスは俺とコロウを店に招いてくれた。
八百屋の奥、木の香りが漂う小さな台所に通されると、湯気の立つ湯飲みが並べられる。
「こっちこっち!」
アリスは明るい声で先導する。
「まあまあ、お金を取り返してくれたんだってね。ありがとう。本当に助かったわ」
そう言いながら笑顔を見せたのは、アリスの母親——リザという女性だった。
柔らかな金髪をまとめた優しげな雰囲気の女性で、差し出された湯飲みからはほんのりと甘い香りが立ち上っていた。
「ありがとうございます。いただきます」
湯を口に運ぶと、ほっとするような味が舌を撫でる。
すると、古びた階段をギシギシと鳴らして、屈強な体格の男が降りてきた。
「おお、お前さんたちが泥棒を捕まえてくれたのか。本当にありがとう」
アリスの父親——トラスだ。この夫婦で八百屋を切り盛りしているのだろう。
「いや、俺はただの通りすがりだよ」
「わしは何もしておらん。全部こやつがやったことじゃ」
コロウがそう言って肩をすくめる。
「なぁ、爺さん。さっきもらった金、ここで使ってもいいか?」
「ん? まぁ構わんが」
店の片隅に積まれた果物に目をやる。
赤く、つややかで、まるでりんごのような実。
「すみません、この果実はなんて名前なんですか?」
「それはフレの実よ。とっても甘くて美味しいの。……というか、あなた変わってるわね。この世界でフレの実を知らないエルフなんて、聞いたことないわ」
「あ、いや……ちょっと頭を打ってて。まだ混乱してるんです」
苦しい言い訳をしながらも、俺はとっさに嘘をついた。
「それは大変だったな。無理せず、うちでゆっくりしていくといい」
トラスの声には温かさがあった。だが、どこか不自然な空気が心に引っかかる。
「いえ、お気遣い感謝します。じゃあ、この実を一つ、買います」
コロウがふと立ち上がる。「すまんな、そろそろ失礼させてもらうぞ」
「そうかい。残念だな、また来ておくれ」
「また遊びにきてね!」
手を振るアリスに軽く会釈し、俺たちは八百屋を後にした。
だが、数歩歩いたところで——。
「……あれ?」
視界がゆらぎ、意識が遠のく。頭がぐらりと揺れ、その場に膝をついた。
「この感覚……まさか……」
「やっと気づいたか。遅いわ、このたわけ」
背後でコロウの声が響く。
「睡眠薬……」
そうだ。あの家族は、俺たちに出されたお茶に薬を——。
「まだわからんのか。この世界のエルフは人間を食う。それがこの世界の常識なんじゃ」
「……あの家族も?」
「わしがおらんかったら、お前さん、今ごろ三枚におろされとったわ」
その言葉に、背筋がぞくりと冷える。
「……じゃあ、誘拐された子どもたちは……もう……」
「とっくに貴族に喰われとるじゃろうな」
淡々と語られる現実が、重く心にのしかかる。
——雪は、無事だろうか。
「……なぁ、あんたもエルフなんだろ? なんで俺みたいな人間を助けてくれる?」
問いかけると、コロウは小さく目を細めた。
「昔の友人のようになってほしくないからだ」
「友人……? 何の話だよ」
「いずれ話すさ。今は——買い物を済ませて、さっさと戻ろう」