早朝 東京郊外・事件現場
警察の規制線の内側では、警官たちが黙々と現場を検証していた。夜が明けきらぬ時間帯、薄明かりの中に浮かぶ民家には、昨夜の惨劇の痕がまだ生々しく残っている。
「……監視カメラの映像はダメだ。バグで犯人の姿が一切映ってない」
現場に到着していた警部・釜野が、手元の端末を見ながら苦い声を漏らす。
「これまでの事件でも、同じようにカメラの異常はあったのか?」
俺は現場の様子を一瞥しながら問い返した。
「いや、あっちはもっと田舎だった。異常どころか、そもそもカメラ自体がろくにない地域だったからな」
釜野が溜息まじりに肩をすくめた。
「なのに、なぜ今回は市街地寄りの民家を選んだ……リスクを冒す理由があるはずだ」
その時——。
「すみません、遅れました!」
息を切らせて駆けてきたのは、スーツ姿の若い女性だった。
「遅いぞ、姫野!」
「す、すみません!」
どこか頼りなさげな彼女は、小柄な体を一生懸命に動かしながら、現場へと歩み寄る。
「彼女は?」
「今日からこの事件の担当に加わった新任刑事、姫野沙耶だ」
釜野が説明する。
「本日付で配属されました、姫野です! 新米ですが、よろしくお願いします!」
緊張した面持ちで、俺に深く頭を下げた。
「悠、お前が面倒見てやれ」
「は?なんで探偵の俺が新人教育なんか……それ、警察の仕事だろ」
「一目見てわかった。お前と姫野は、相性がいい。頼んだぞ」
釜野はそれだけ言うと、さっさと背を向けて立ち去ってしまった。
(……マジかよ)
「はは、行っちゃいましたね」
「……そうだな」
「新人の子かい?」
突然、背後から声がした。
「うわっ!?」
「わっ……!」
俺と姫野が同時に声を上げる。名取が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。
「お前……脅かすなよ、棋士のくせに」
「ところで、監視カメラに異常があったそうだね。これまでの犯行にはなかった展開だ。面白い」
不気味に笑いながら、名取は視線を現場に向けた。
遺体はすでに回収され、鑑識による調査が始まっている。俺たちは捜査本部へと戻ることになった。
捜査本部
「で、どうなんだよ。にやにや棋士さん」
机に腰を下ろしながら、俺は名取に問いかける。
「君は探偵だろう? まずはそちらの推理を聞かせてもらおうじゃないか」
「私も、悠さんの意見が聞きたいです!」
姫野が目を輝かせながら身を乗り出す。
「……犯人はなぜ、わざわざ監視カメラの整備された場所を選んだのか。これは——スリルを求めてるんじゃないか?」
「……スリル、ね」
名取の表情がわずかに動く。
「だって、普通はそんな目立つ場所選ばないだろ? それなのに、わざわざリスクを背負ってまでこの家を選んだ。快楽殺人ってのは、往々にしてそういう刺激を求めるもんだ」
「でも……」
姫野が疑問を挟む。「監視カメラをいじってるんですよね? 本当にスリルが目的なら、そんな細工しないんじゃ……」
言葉に詰まる俺を見て、名取がニヤリと笑った。
「君、転職を考えた方がいいんじゃないか? 推理が少し……稚拙だ」
「はっきり言うな!」
「でも、“スリルを味わいたい”というのは、僕も同意見だよ」
「え、まじ!? 本当に……?」
「……そんなに驚くなよ。傷つくだろ」
「推理とは、犯人の心理にどれだけ深く入り込めるかが勝負だ。自分が犯人だったらどうするか、そう考えることで見えるものがある」
名取は手元の資料を一瞥しながら、淡々と話を続ける。
「たとえば……あの民家は古い木造だった。もし僕が犯人なら、証拠をすべて焼き払ってから立ち去るだろうね。だが、そうしなかった」
「それはつまり、痕跡をあえて残したがってる……」
「あるいは、時間の制約があった。理由は複数考えられるが、犯人はスリルだけではなく、何か“実験的”な意図を持って行動しているようにも思える」
「実験、ね……」
「それともう一つ。犯行に使われた武器はクロスボウ——音もなく、迅速に対象を殺害できる。今どき珍しい凶器だ。警察もすでにそこまでは把握している」
「でも、そこまで裏をかき続けて七件以上も殺害して逃げてる……」
「そう。ここが重要だ」
名取の瞳が細く鋭くなる。「犯人がここまで警察の動きを先読みして動けているということは、内部の情報を握っている可能性がある。つまり——」
「犯人は、警察関係者の中にいる……」
俺の言葉に、名取は静かにうなずいた。