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第13話

 飛鳥探偵事務所

 扉を開けると、懐かしい煙草の匂いが鼻先をくすぐった。

 窓際のデスクには、ポニーテールの女が脚を組んで座り、煙を燻らせている。


「おー、帰ってきたようだな、少年」

 所長・中沢飛鳥は、軽く笑いながら振り向いた。


「ただいま戻りました」

 俺はネクタイを緩め、埃の積もったソファに体を沈める。


「捜査の方はどうだ?」


「……正直、膠着状態です。新しい殺人現場が出たってのに、手がかりは皆無で」


「そりゃあ、難儀な話だ」

 飛鳥は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。次の瞬間、隣に腰を下ろし、ためらいなく俺の肩にもたれかかる。


「……所長、やめてください。まだ昼間ですよ」

「それに、俺にはもう彼女がいるんで」


「ちぇっ、つれないやつめ」

 軽く舌打ちし、飛鳥は立ち上がってキッチンへ向かう。


「コーヒー淹れるけど、飲むか?」

「お願いします」


 やがて湯気を立てるマグカップが、俺の前の机にふたつ並ぶ。


 その瞬間、ポケットの携帯がけたたましく鳴った。


「名取さん……?」


 通話に出ると、低く落ち着いた声が響いた。


『君に見せたいものがある。すぐ終わる。僕の家まで来てくれないか』


「え? いきなり何ですか……まあ、時間はあるんで構いませんけど」

 電話を切ると、隣の飛鳥が小さくつぶやいた。


「やめておけ」

「……え?」


「その“名取”ってやつには、深入りしないほうがいい。死にたくないならね」

 真剣な声音だった。


「……勘ですか?」


「ただの勘さ。でも、私の勘が外れてばかりだと、信じてくれてるんだろ?」

 飛鳥はマグカップを手にし、苦笑いを浮かべながら珈琲をすする。


 東京都・品川 名取邸

「……うわ、でか」


 和風の外観に石垣。外観だけで一目見て分かる、高級邸宅だった。


「棋士ってそんなに儲かるもんなんですかね……」


 インターホンを押すと、重厚な音と共に門が開いた。


「名取さん、来ましたよ」


 ゆっくりと開かれた門の先に現れたのは、着物姿の名取だった。


「ようこそ。悠、どうぞ中へ」

「いやこの扉の音……クッパ城以来ですよ、聞いたの」


 名取は笑みを浮かべながら、悠然と邸内へ歩いていく。


 玄関を抜けると、延々と続きそうな大理石の廊下が広がっていた。

 無音の空間が、なぜか耳をざわつかせる。


「なぁ、悠君」

 名取がぽつりと話しかけてきた。


「君は、犯人の動機を“スリルを味わいたいから”だと推理していたね?」


「まあ……はい」


 名取はふと立ち止まる。そして、ある一室の前で言った。


「君となら、やっていけそうだ」

「……は?」


「さあ、中へ。これから見るものに、きっと驚くだろうね。わくわくするよ」


 名取が開けたのは、古い木製の書斎扉だった。

 中には、天井まで届きそうな本棚が壁一面に並び、薄暗い照明のもと、重苦しい空気が沈殿していた。


 部屋の中央にあった小机の上に、ファイルが一冊置かれていた。名取がそれを手に取り、俺の前に差し出す。


「どうぞ、見てみてくれ」


 受け取ったファイルを開くと、俺の脳が一瞬、思考を止めた。


 中には、あの事件で殺害された被害者たちと思しき死体の写真——しかも、未公開のアングル、未報道の情報が収められていた。


 これは……警察ですら持っていないレベルの情報だ。


 沈黙の中、俺は名取をじっと見た。

「……あんたが、やったのか?」


 問いかける声は、不思議なほど冷静だった。


「そうだよ。僕が犯人だ」


 名取は、微笑んでいた。

 日常の会話の延長線で言うように——まるで、それが何の罪でもないかのように。

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