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第16話

 中学一年の春、俺は体育館の倉庫で、担任教師を刺した。


 桜が舞う昼下がり。体育の授業で、校庭は騒がしく賑わっていた。

 生徒たちはバレーボールに興じ、笑い声が風に流れていく。


「雪ー! いくぞー!」


 俺はボールをトスして、クラスメイトの雪に向けて放った。

 だが彼女は驚いたように目を見開き、うまく受け取れずに落とした。


「わー、びっくりしたぁ……」


 その瞬間、体育教師・酒田の笛が鳴った。


「そこまで! ボールを片付けて整列しろー!」


 乱れた髪をかき上げ、眼鏡を押し上げながら、酒田は生徒たちに指示を飛ばす。


「はい、今日はここまで。教室に戻って着替えろー」


 生徒たちが列を成して体育館を後にする中、酒田がふいに声を上げた。


「——雪。お前はこっちだ」


 彼は無造作に倉庫の扉を開けると、彼女を中へ誘導した。

 そして中から鍵をかけた。


「……はい。わかりました」


 雪は大人しく従い、倉庫のマットに腰を下ろした。




「よう、雪」


「……下の名前で呼ぶの、やめてください」


「つれないなあ。俺たち、もっと仲良かったろ?」


 酒田はにやつきながら、彼女の肩に手を回す。

 雪が身をよじる。


「くっ……」


 倉庫の隅で、俺はじっと様子を窺っていた。

 その異様な空気に、体が熱くなっていた。


「おい、雪。そこにいるんだよな?」


「っ……うん! 先生に、トスのやり方教えてもらってるだけだから!」


「……ふん、よくわかってるじゃねえか」

「そうだ、お前の裸の写真。あれがある限り、お前は俺には逆らえねぇよなぁ……?」




 ——バリン!


「なんだっ!?」


 小窓が割れた。

 ガラスの破片が散り、そこから俺が飛び込んだ。


「悠っ……!」


 雪が顔を上げた。涙が浮かんでいる。


「お前……ここで何してるんだ!」


「そっちの台詞だよ、クソ野郎。……女の子に手ぇ出してんじゃねぇよ」


 俺はポケットから小さなナイフを取り出した。

 酒田の目が見開かれ、声が上ずる。


「や、やめろ、やめてくれ……!」


「うるせえ!」


 ——突っ込んだ。

 怒りのまま、俺は酒田の腹にナイフを突き立てた。


 彼は崩れ落ち、呻き声と共に床に倒れる。


「雪、大丈夫か!?」


 駆け寄ると、彼女は震える手で俺にしがみついた。


「悠……怖かった……ずっと、ずっと怖かったよぉ……」


「もう、大丈夫だ……。もう大丈夫だからな」




 そのとき、後方から怒鳴り声が響いた。


「なんだ!? 何やってんだ、ここで!」


 別の教員たちが駆け込んでくる。

 彼らは倒れた酒田を見て、血相を変えた。


「お前がやったのか!?」


「——ああ。俺が殺した」




 その後、病院に運ばれた酒田は死亡。

 俺はすぐに少年鑑別所に送致され、裁判にかけられた。


 しかし、雪だけではなかった。

 酒田のセクハラ行為は複数の女子生徒に及んでおり、ある女子が密かに記録した映像が決め手となった。


 「正当防衛に近い動機」として、俺の刑は軽減された。

 それでも——俺は四年間、少年院で過ごすことになった。




 あの日から、俺の人生は変わった。

 正義とは何か。暴力とは何か。

 その問いは、今も胸に焼きついたままだ。



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