二十年前 アルタイル城 王宮
涼風が石畳を撫でる初夏の朝、若きクライス王子は重厚な王宮の大広間を歩いていた。二十歳の彼は、魔王討伐のため、旅立ちの挨拶に父のもとを訪れていた。
「魔王討伐へ向かう、クライス王子、勇者ルーシェ、銃士コロウ、魔法使いロイスの出発を認める」
玉座に腰かけるアルタイル王は、足を組み、無言の威厳を漂わせていた。右手には細い煙草。視線の奥に、どこか陰りのようなものが見えた。彼はクライスの実の父であり、先代の王である。
「感謝いたします、陛下。では、行ってまいります」
クライスは膝をつき、深く頭を下げた。彼は当時、国内でも指折りの魔力と身体能力を誇る若者であり、討伐隊への選出は当然と見なされていた。ただ、その気性の荒さは宮廷でもしばしば噂され、王の側近たちは少なからず危惧を抱いていた。
城門を抜けると、討伐の仲間たちが馬車の傍らで彼を待っていた。
「やっと来たか」
腰をかけていたコロウが立ち上がり、苛立ちを隠さずに言った。
「そんな軽装で大丈夫なの?」
魔法使いロイスが訝しむように眉をひそめた。
クライスは白い長袖のシャツに黒のジーンズという簡素な格好で、腰には煌びやかな剣を携えている。
ロイスは王国随一と名高い女性魔法使いで、長身に大きな杖を構えた姿は見る者に畏敬の念を抱かせる。
「これから魔王を殺しに行くってのに、危機感なさすぎだろ」
不機嫌そうなコロウが言う。彼はまだ25歳で、今のような立派な髭は生え揃っておらず、ショットガンを背にしていた。
「私はいいと思うけどな、かっこいいし」
鎧に身を包んだルーシェが微笑む。世界中の戦地で戦った経験を持つ女勇者で、その戦いぶりはしばしば“戦場に舞い降りた女神”と称された。
「うるせぇ、どうせ死なねぇだろ。グズグズしてる暇はねぇ。さっさと乗れ」
クライスはそう言い放つと、馬車に乗り込んだ。他の三人も無言で続く。
今から五年前、突如ハッタン王国の砂漠に“それ”は現れた。
まるで空から落ちてきたかのように、大地を砕きながら着地したそれは、巨大な蜘蛛の姿をしていた。六本の腕と、四本の足。異様なバランスで動きながら、怪物は辺りを蹂躙した。
「なんてことだ……あんな化け物が存在していたなんて」
フロスト将軍が呆然と呟いた。
怪物の口元から、よだれがとろりと垂れ落ちる。泣き叫ぶ三人の女エルフを無造作にくわえると、怪物は海へ向かって走り出した。
「撃てぇぇぇぇっ!!」
フロストの怒号が響いた。
砲撃の音が轟き、砂漠に煙が上がる。だが、それでも怪物は止まらなかった。
やがて海を渡り、無人島に上陸した怪物は、三人の女エルフを放り投げた。
「ギャアアアアオオオ!!」
奇声を上げると、その牙で一人を食いちぎった。残りの二人も巣へと運び、獲物として貪った。
以降、怪物は世界各地の国や都市を襲い、エルフたちを攫っては巣に引きずり込み喰らうようになった。
エルフたちはその怪物を“魔王”と呼び、世界中がその名に震えた――。