警視庁・取調室
「おい、なんで山でぶっ倒れてた?通行人が見つけなきゃ凍死してたぞ」
取調室の重たい空気の中、釜野の声が鋭く響いた。机越しに睨みつけるその眼差しに、俺は一瞬、返事を詰まらせた。
「それは……」
「それともう一つ、気になってることがある」
釜野は椅子に体を預けながら、手元の資料をぱらりとめくった。
「例の誘拐事件で参考人を取り調べた後――お前はどこに行ってた?そいつはその隙に逃げた。都合が良すぎると思わねぇか」
確かに、おかしな点はいくつもある。俺が関わっていると疑われても、無理はない。
(どうする……異世界の話なんてすれば即座に呪いが発動する。ここは……賭けるしかない)
「実は……俺、今精神科に通ってるんだ」
「……精神科?」
釜野の目が細くなる。「そんな話、初耳だな」
「幼いころから、解離性同一性障害――いわゆる多重人格を患ってる。あの時のことも……まったく覚えてないんだ」
釜野はゆっくりと胸ポケットからメモ帳とペンを取り出す。
「……通ってる病院の名前は?」
「総合精神科病院」
(危なかった。灰田がいてくれて、本当によかった)
一週間前 飛鳥探偵事務所
「コンコン」
扉がノックされる音に、俺はタバコを灰皿に押し付け、ソファから立ち上がった。
「よう、久しぶりだな、浪野」
現れたのは、黒いコートに眼鏡姿、手にはケーキの箱を提げた男――灰田だった。
「悪いな、わざわざ来てもらって」
「いいさ。今日は休みだ。入っても?」
俺は黙ってドアを開け、背後でカチリと鍵を閉めた。高校時代からの旧友であり、いまは精神科医として働く男だ。
「……折り入って頼みがある」
「改まってどうした」
「俺はいま、例の連続誘拐事件を追ってる。けど、警視庁には事実を伏せて動いてるんだ。だから、灰田――お前に、偽の診断書を作ってほしい」
「……は?」
灰田の目が一瞬で鋭くなった。
「なに言ってんだよお前。そんなの無理に決まってんだろ。医者に偽造させてどうするつもりだよ。いくら友達でも、限度がある」
「わかってる……わかってるんだ……」
俺は頭を抱えた。
「……落ち着けよ。お茶でも淹れるか?」
椅子から立ち上がろうとした灰田を、俺は引き留めた。
「灰田。この事件のせいで、どこかで泣いてる人たちがいる。誘拐された子供たちだ……。俺は、諦めたくないんだよ」
「……」
「頼む」
俺は静かに、しかし深く頭を下げた。土下座だった。
「……少し考えさせてくれ。今日は帰る」
バタン、と扉が閉まり、灰田は静かに事務所を後にした。
現在 警視庁・取調室
「おい、確認取れ」
釜野が刑事にメモを渡す。しばらくの沈黙のあと――
「失礼します!」
姫野が勢いよく取調室に入ってきた。表情は硬く、声にも張りがある。
「どうだった」
「……事実です。悠さんは多重人格者でした」
「……そうか。本当だったんだな」
釜野は静かにため息をついた。
「よく協力してくれたな、その先生」
「私も……驚きました」
「安心しろ。このことは誰にも漏らさない」
「じゃあ……もう、出てもいいか?」
「今日のところはな。ただし……」
釜野は身を乗り出し、睨みつけるように問いただした。
「お前、本当に……何も知らないんだな?」
「しつけぇな、なんも知らねぇよ」
異世界・スモーク山
警視庁を出てすぐ、俺は異界へのゲートを開いた。
「久々の雪山だな……」
目の前に広がるのは、氷雪に閉ざされたスモーク山の山道。吹き付ける風が頬を刺す。
転移能力を使ううちに気づいたことがある。どうやら、転移先はある程度“意識”して選べるようだ。そして、この能力を使っても身体には何の負担もない。
つまり――いくらでも異世界を渡れるということだ。
ザクッ、ザクッ。
雪を踏みしめながら前へ進むと、背後に乾いた声が響いた。
「動くな、探偵」
振り向けば、猟銃を構えた老剣士――コロウがいた。
「じ、じいさん……なんだよ、いきなり」
続いて、雪の中からぞろぞろと兵士たちが現れる。
「悪く思うな。王子たちのためじゃ。来てもらうぞ」
馬車の車輪が雪を踏み、音を立てながら近づいてくる。
「……わかった、わかったよ」
俺は大人しく手を挙げ、コロウと共に馬車へと乗り込んだ。