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第36話

警視庁・取調室

「おい、なんで山でぶっ倒れてた?通行人が見つけなきゃ凍死してたぞ」


取調室の重たい空気の中、釜野の声が鋭く響いた。机越しに睨みつけるその眼差しに、俺は一瞬、返事を詰まらせた。


「それは……」


「それともう一つ、気になってることがある」

釜野は椅子に体を預けながら、手元の資料をぱらりとめくった。


「例の誘拐事件で参考人を取り調べた後――お前はどこに行ってた?そいつはその隙に逃げた。都合が良すぎると思わねぇか」


確かに、おかしな点はいくつもある。俺が関わっていると疑われても、無理はない。


(どうする……異世界の話なんてすれば即座に呪いが発動する。ここは……賭けるしかない)


「実は……俺、今精神科に通ってるんだ」


「……精神科?」

釜野の目が細くなる。「そんな話、初耳だな」


「幼いころから、解離性同一性障害――いわゆる多重人格を患ってる。あの時のことも……まったく覚えてないんだ」


釜野はゆっくりと胸ポケットからメモ帳とペンを取り出す。


「……通ってる病院の名前は?」


「総合精神科病院」


(危なかった。灰田がいてくれて、本当によかった)


一週間前 飛鳥探偵事務所

「コンコン」


扉がノックされる音に、俺はタバコを灰皿に押し付け、ソファから立ち上がった。


「よう、久しぶりだな、浪野」


現れたのは、黒いコートに眼鏡姿、手にはケーキの箱を提げた男――灰田だった。


「悪いな、わざわざ来てもらって」


「いいさ。今日は休みだ。入っても?」


俺は黙ってドアを開け、背後でカチリと鍵を閉めた。高校時代からの旧友であり、いまは精神科医として働く男だ。


「……折り入って頼みがある」


「改まってどうした」


「俺はいま、例の連続誘拐事件を追ってる。けど、警視庁には事実を伏せて動いてるんだ。だから、灰田――お前に、偽の診断書を作ってほしい」


「……は?」


灰田の目が一瞬で鋭くなった。


「なに言ってんだよお前。そんなの無理に決まってんだろ。医者に偽造させてどうするつもりだよ。いくら友達でも、限度がある」


「わかってる……わかってるんだ……」


俺は頭を抱えた。


「……落ち着けよ。お茶でも淹れるか?」


椅子から立ち上がろうとした灰田を、俺は引き留めた。


「灰田。この事件のせいで、どこかで泣いてる人たちがいる。誘拐された子供たちだ……。俺は、諦めたくないんだよ」


「……」


「頼む」


俺は静かに、しかし深く頭を下げた。土下座だった。


「……少し考えさせてくれ。今日は帰る」


バタン、と扉が閉まり、灰田は静かに事務所を後にした。


現在 警視庁・取調室

「おい、確認取れ」


釜野が刑事にメモを渡す。しばらくの沈黙のあと――


「失礼します!」


姫野が勢いよく取調室に入ってきた。表情は硬く、声にも張りがある。


「どうだった」


「……事実です。悠さんは多重人格者でした」


「……そうか。本当だったんだな」


釜野は静かにため息をついた。


「よく協力してくれたな、その先生」


「私も……驚きました」


「安心しろ。このことは誰にも漏らさない」


「じゃあ……もう、出てもいいか?」


「今日のところはな。ただし……」


釜野は身を乗り出し、睨みつけるように問いただした。


「お前、本当に……何も知らないんだな?」


「しつけぇな、なんも知らねぇよ」


異世界・スモーク山

警視庁を出てすぐ、俺は異界へのゲートを開いた。


「久々の雪山だな……」


目の前に広がるのは、氷雪に閉ざされたスモーク山の山道。吹き付ける風が頬を刺す。


転移能力を使ううちに気づいたことがある。どうやら、転移先はある程度“意識”して選べるようだ。そして、この能力を使っても身体には何の負担もない。


つまり――いくらでも異世界を渡れるということだ。


ザクッ、ザクッ。


雪を踏みしめながら前へ進むと、背後に乾いた声が響いた。


「動くな、探偵」


振り向けば、猟銃を構えた老剣士――コロウがいた。


「じ、じいさん……なんだよ、いきなり」


続いて、雪の中からぞろぞろと兵士たちが現れる。


「悪く思うな。王子たちのためじゃ。来てもらうぞ」


馬車の車輪が雪を踏み、音を立てながら近づいてくる。


「……わかった、わかったよ」


俺は大人しく手を挙げ、コロウと共に馬車へと乗り込んだ。




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