ハッタン城・王宮
カラカラカラ――
銀の車輪が床を滑り、紅茶の香りとともにエルフのメイドが入室してきた。
その手には湯気を立てる急須があり、テーブルの脇に控えると一礼する。
広間の中央には円卓。フロスト王、クライス、ダイカンらが椅子を並べていた。
「では……ティード海賊の件について話を進めよう」
フロストが口を開いた、その刹那――
ドオォォンッ!!!
壁が爆ぜ、重厚な窓ガラスが粉々に砕け散る。
頭上から、巨大な木槌を手にした大男が舞い降りた。
ドシンッ! 鈍い衝撃音とともに、男の体が円卓に着地する。
「げへへへ……海賊の話だってぇ? 俺様も混ぜてくれよおお!!」
クライスが身を起こし、じっと男を見据えた。
「……ティードの団員じゃないな。貴様、別の海賊か」
男は口角を吊り上げて叫ぶ。
「その通り! 俺様の名はゲイル!」
フロストが目を細め、鋭く言い放った。
「仲間の姿が見えんが……無謀にしては過ぎるぞ」
しかし、ゲイルはにやりと笑うと、コートの内ポケットに手を突っ込んだ。
「そいつはどうかな? これが目に入らねぇか、王様共――!」
男が取り出したのは、生首だった。
丸くて大きな、その首からは赤い血がポタポタと滴り落ちる。
フロストの顔が凍りついた。
「……これはまずい」
クライスの声が重くなる。
「あれは……まさか、この国の……」
ゲイルは誇らしげに叫んだ。
「砂の獣バースの首だ!」
血が、テーブルを伝って床に落ちる。
ぴちゃ……ぴちゃ……と音が、静寂の中に響いた。
「……あれが死ねば、この国の加護は絶たれる」
ダイカンが唸る。「今や、微弱な結界しかこの国を守れなくなる」
フロストが怒気を含ませた声で詰め寄る。
「どうやって、バースの眠る部屋にたどり着いた? あの大魔法使いサダベルですら破れなかった結界を……!」
ゲイルは笑いながら答えた。
「そんなもん、俺様がちょちょいのちょいでブッ壊してやったわ!」
バース――巨大な羊の姿をした伝説の魔獣。
百年前、突如ハッタン王国に降り立ち、先王と契約を交わした存在。
その身をもって王国に加護を与え、地下三十階の最奥にて長い眠りについていた。
「さて……お前、かなりの強さだな?」
クライスがにやりと笑みを浮かべ、腰を上げる。
「油断するな!」
フロストが叫んだ。「奴の魔法、まだ不明だ!」
「バースト!」
ゲイルが叫ぶと、全身に透明な膜のような魔力が現れ、彼の肉体を包み込んだ。
「総員、戦闘配備!!」
フロストの怒号が響く。
「ハッ!」
兵士たちが武器を構えた、その瞬間――
ゲイルが消えた。
次に現れたのは、フロストの背後。
振り上げられる木槌。
「うぉおおっ!」
フロストの身体が一変する。
皮膚が硬質な鱗に覆われ、巨大なトカゲ――否、竜人の姿へと変貌した。
「どらあああっ!!」
ゲイルの木槌が唸りを上げて振り下ろされる。
フロストは両腕でそれを受け止めた。
「ぐっ……なんという力だ……!」
「奴の魔法……物理攻撃の威力を限界まで高める術か」
クライスが冷静に見抜く。
「それに奴自身の筋力も桁違いだ」
ダイカンが薙刀を抜いた。
「まだまだぁ! おらぁっ!」
ゲイルが再び木槌を振るう。
「調子に乗るなよ……俺の“竜の力”を、なめるな!」
フロストが拳を握りしめ、木槌に迎え撃つように殴りかかった。
バァンッ!!!
拳と木槌が激突し、爆風が広間を覆った。
「このまま好き勝手にやらせるかよ!」
ダイカンが咆哮し、ゲイルに薙刀を振るう。
しかし――
「おいおい、冗談だろう……」
刃は、ゲイルの腹に直撃したにも関わらず、まったく通らなかった。
「なんという防御力だ……攻撃だけでなく、防御力までも上昇しているのか」
クライスが剣を抜いた。
「――ダイス。ビームで奴を打ち砕け」
空に、巨大なサイコロの神獣が浮かび上がる。
一つ一つのマス目が眼球へと変化し、閃光が迸った。
ドォーンッ!!!
「ぐおおあああっ!」
ゲイルの身体が爆風に巻かれ、フロストとダイカンもろとも吹き飛んだ。
「撃つなら言え……っ!」
フロストが叫ぶ。
「相変わらず大胆な男だ」
ダイカンが苦笑した。
「見ろ」
クライスが指差す先で、ゲイルの動きが鈍っていた。
「さすがに効いてるようだな……!」
「このチャンスを逃すわけにはいかん!」
「――あぁ!」
フロストが一気に踏み込み、渾身の一撃を叩き込む。
ゲイルの身体が大窓を突き破り、中庭へ吹き飛ばされた。
「ぐはぁああっ!!」
ダイカンの声が轟く。
「――行くぞ! 炎波!!」
背後に現れたのは、灼熱の溶岩の大波。
それが、ゲイルの頭上に迫る。
「な、に……!?」
「ぐああああああっ! あちぃぃぃい!!」
炎に包まれ、ゲイルの体がのたうつ。
地面に到達した瞬間、溶岩は煙のように霧散したが、ダメージは絶大だった。
「……お前の目的は何だ?」
クライスが問いかける。
「砂の獣を喰って、力を奪う気だったのか?」
この世界の“魔法”には、二つの習得法が存在する。
書物と訓練により魔法を学ぶ正道。そして、魔獣や魔法使いの肉体を喰い、魔力を無理やり体に刻み込む邪道――
「その通りだ。あの化け物の魔法と魔力……それがあれば、ティードに勝てる」
「ティードに、勝ちたい?」
「この世界に支配者は二人もいらねぇ! 俺様ただ一人で充分なんだよぉ!」
ゲイルの身体が再び魔力を纏う。
「転移魔法――“サウス”!」
シュンッ――
その姿は、霧のように掻き消えた。
「……逃げられたか。首も持ち去られたな」
「胸騒ぎがする」
クライスがつぶやいた。「これは、大きな戦の前触れだ。そんな気がする」
「お前の予感は当てにならんが……今回は、同感だ」