スモーク山
任務をひとまず終え、俺は元の世界へ帰る決断を下していた。
「それじゃ、一旦戻る」
ワームホールの前でそう告げると、カノンがぴょこんと片手を挙げて言った。
「お気をつけて! くれぐれも人間にこの世界のことを話しちゃダメだからね!」
「わかってるさ」
俺が「繋がれ」と呟くと、目の前の空間が波打ち、淡く光る円形の門が現れた。行き先は、俺の探偵事務所──あの馴染みあるドアの前だ。
カノンが首を傾げながら言った。
「ねぇ、“繋がれ”って、ちょっと単純すぎない?」
「そうか? シンプルで気に入ってるんだけど」
「うーん……せっかくならもうちょっと技名っぽくしてもよくない? “リンク”とか?」
「リンク?」
「“繋げる”って、そっちの世界の英語では“リンク”っていうでしょ? かっこいいと思うな」
「……確かに、悪くないかもな」
苦笑しながら頷くと、俺はワームホールの中へ足を踏み入れた。
「久しぶりの現世だな……」
ガチャリ、と扉を開けると、いつもの事務所の空気が流れ込んできた。
「おかえり。一体どこで何をしていたんだい?」
飛鳥所長が珍しくデスクに向かって作業していた。
「……あ、所長。久々ですね」
「まあいい。それより、釜野くんが訪ねてきてね。君に用があるらしいよ」
「えっ、マジですか?」
慌ててポケットからスマホを取り出す。画面には20件の不在着信。そのほとんどが姫川と釜野からだったが、見知らぬ番号も五件あった。
──どうやら、異世界ではやっぱり携帯は繋がらないらしい。
そこへドアが勢いよく開いた。
「やっとお出ましか、この重役出勤野郎」
現れた釜野が、俺の胸ぐらを掴んできた。
「……い、いや、悪かった。ちょっと急な仕事でな」
「ほう、そうかそうかって言うと思ったか?」
「なんもしてねぇよ」
「まさかとは思うが、まだあの誘拐事件を調べてるんじゃねぇだろうな。あれはもう捜査対象外だ。ちゃんと上層部の許可を取ったのか?」
「……お前に関係ねぇだろうが」
そのとき、部屋の扉が開き、姫川がコーヒーカップを二つ手にして顔を覗かせた。
「失礼しまーっす!! ……あ、取り込み中でしたか?」
「外してくれ、姫野」
姫野が部屋を出た直後、背後から重厚な声が響いた。
「おいおい、何をやってるかと思えば……君が噂の探偵か」
髭面の長身男がゆっくりと歩み寄ってきた。Yシャツにノーネクタイというラフな出で立ちだが、その目はただ者ではない。
「誰だ?」
「山田っちゅう刑事だ」
釜野が驚愕の声を漏らす。
「や、山田さん……」
「釜野、お前が規則に忠実なのは悪くない。だが、誘拐事件を放置してる上層部の“規則”に従って、本当に正義が守れると思うか?」
釜野の肩を軽く叩きながら、山田は俺の方を振り向いた。
「ちょっと探偵を借りるぞ。話がある」
俺たちは静かな廊下を並んで歩いた。ふと横目で彼の顔を見た。鋭く研ぎ澄まされた目は──まるで、ティードやクライスのそれに似ていた。
喫煙室の扉を開けた山田が訊いた。
「お前、吸うのか?」
「あ、あぁ。吸います」
ボロボロのタバコ箱を取り出し、一本を咥えながらライターを差し出した。
「使いますか?」
「お、悪いな」
山田が煙を吐き出すと、しばしの沈黙が訪れた。
「……お前、誘拐事件を追ってるんだろ?」
「……!」
すべてを見透かされたような気がして、背中に冷たい汗が流れた。
「実は俺もだ」
「えっ……」
「警視庁の上層部は、何かを隠している。いや、はっきり言おう。俺は奴らが“犯人グループの一員”だと考えてる」
「まさか……」
だが、その言葉に否定しきれない根拠が頭をよぎる。ティードたちは次元を超える力を持っている。ガウスやレガースの力だ。やつらがこの世界に入り込み、“警察幹部”に化けていたとしたら……?
──こちらの捜査情報も、すべて筒抜けじゃないか。
「そこでだ。君に頼みたい任務がある。この報告書を警視庁の窓口に提出してほしい」
そう言って、山田は封筒を差し出した。
「中には小型の録音機が仕込んである。窓口に“岡本”という、気だるそうな女刑事がいる。彼女は俺の内通者だ。俺からも連絡は入れておく。この録音機を局長室のコンセントに取り付ける。なんとかして、証拠を掴むんだ」