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第53話

 ―十年前。


 当時十二歳だった只野大樹は、日々、両親からの虐待に耐えながら生きていた。愛など存在しない家。殴打の痕が癒える前に、次の蹴りが飛んできた。そんなある日、彼は異世界から現れた海賊ティードに連れ去られた。ただの無力な子どもとして。


 ガタン……ガタン……


 雪山の山道を、複数の馬車が軋みながら進む。荷台には木製の檻。中には、震える子供たちの姿。泣き叫ぶ声が夜に吸い込まれていく。


 「お母さん! お父さん……!」


 救いを求める声に、応える者はいなかった。


 大樹は檻の隅で小さく身を丸めていた。冷たい空気が頬を刺し、歯がカタカタと鳴る。


 ふと、視界の端で、檻の床に光るものがあった。


 「え……?」


 小さな銀の指輪。それはどこか荘厳な輝きを放っていた。


 「なんだろう……これ……」


 そのときだった。


 ズバーンッ!


 甲高い斬撃音が響き、檻が真横に割れた。次の瞬間、馬車が轟音とともに転倒する。


 「う、うぅ……!」


 気を失いかけながら目を開けると、横倒しになった馬車の向こう側、子供たちの亡骸の先に、青いマントを翻した男が海賊の胸ぐらを掴んでいた。


 「おい、下っ端。王家の指輪はどこだ」


 冷徹な声で男が尋ねる。


 「ひ、ひぃえぇ! 俺は何も知らねぇ! 見逃してくれぇ!」


 怯えきった下っ端海賊が喚くが、男は目を細めた。


 「ならば……また地獄で会おう」


 ザクッ。


 短く、重い音。海賊の胸を一突きにして、男はその命を断った。


 「……ん?」


 もう一人の男――メントが、こちらを見ていた。


 大樹はとっさに身を伏せた。震えが止まらない。


 「人間。お前、その指にはめている指輪……どこで拾った?」


 大きな男が、低く問うた。


 「お、檻の中で……拾いました……」


 「それは我らのものだ。返してもらおう」


 メントが手を差し出す。大樹は指輪を外し、震える手で差し出した。


 「感謝する。君が拾わなければ、指輪は雪の中に消えていたかもしれぬ」


 青いマントの男――クライスが、微笑を浮かべた。


 「……これも何かの縁だ。君を兵士として雇ってやる」


 「え……?」


 「選べ。ここで死ぬか。我らの仲間になるか」


 しばらくの沈黙ののち、大樹はかすれた声で答えた。


 「……仲間にしてください」


 クライスは、にこりと微笑んだ。


 「賢い選択だ。いいだろう。……お前、名前は?」


 「た、只野大樹です」


 「呼びづらいな……そうだ。今日からお前の名は“ダグ”だ」


 「……どうして助けてくれるんですか……?」


 クライスの瞳に、遠い記憶の影が差した。


 「かつての仲間に、似ていたからかな。私と共に、魔王を討った……ある人間に」


 ―現在、池袋交差点。


 ティードが足音を響かせながら歩き出す。背後には、頭部を吹き飛ばされたダグの亡骸。


 「貴様に、俺は殺せない」


 その背に、ひゅう、と風が走った。


 「……はぁ、はぁ……まだだ……。これ以上、好きにはさせねぇ……!」


 血まみれの身体で、ダグは再び立ち上がる。


 この世界に戻りたいと思ったことなど一度もなかった。戻れば、あの地獄の家が待っている。だが――


 「他の人間まで巻き込むお前だけは……許せねぇ!」


 「うおおおおおおおっ!!!」


 魂の咆哮とともに、彼は竹槍を拾い、ティードの背に向かって放った。


 「ぐおっ……!」


 背中に槍が突き刺さる。その一瞬の隙を突き、ダグは魔力を練り上げた。


 「出し惜しむな……これで一気に決めるんだ!」


 足元に、青白く輝く魔法陣。水のサークルが現れ、周囲の空気を震わせる。


 「いけぇぇぇっ!! 最後の――ドルフィンズ!!!」


 バシャアァンッ!!


 巨大なイルカの水獣が飛び出し、ティードに向かって突撃した。


 「まずい……!」


 ドゴォォォォンッ!!


 爆発の余波が辺りを吹き飛ばす。


 ダグは、膝をついた。魔力は限界だった。もう、立てない。


 ティードは、煙の中から歩み出る。


 「惜しかったな、槍兵」


 次の瞬間、ダグの背後にその気配が現れた。


 「……う、嘘だろ……」


 バァン!


 銃声が、夜の静寂を破る。


 ダグの頭が砕け散り、肉片が宙を舞った。


 そして、彼はゆっくりと、血だまりに沈んでいった。

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