夜。村の静けさは、異様なほどだった。
車で来たときの音も、人々の話し声も、全てが消えてしまったような気がした。時計の秒針の音すら耳に刺さる。外は月も雲に隠れ、星ひとつ見えなかった。
「おい達也、ほんとにここ行くの?」
俊太が手にした懐中電灯を振りながら尋ねる。軽いノリで始めた肝試しだったが、いざ祠の前に立つと、誰もが無言になった。
「行くだけ。見るだけ。壊したりしねぇって」
達也はそう言いながらも、胸の奥で何かがざわついているのを感じていた。さっきの老婆の声が耳から離れなかった。
……壊すな。
……忘れろ。
「なんかさ、赤い注連縄、ほどけかけてる?」
にこの声が上ずっていた。祠の前の注連縄は、確かに日中にはもっとぴんと張られていたはずだった。だが今は――中央がだらりと垂れ、すでに「結界」の意味を失っているように見えた。
「風でしょ? 誰か直せばいいって」
希望が笑って言った。そう、風だったのかもしれない。だがそのとき、風は吹いていなかった。ただ、張りつめたような空気があたりに満ちていた。
「入るよ」
俊太が、足で祠の木戸を蹴った。
ぎぃ――。
その音は、まるで誰かが苦しげに呻くような音だった。にこが小さく「待って」と言ったが、もう遅い。
祠の中には、黒く焼け焦げたような地面があった。真ん中には五寸ほどの穴が空いている。そこに、折れた木の柱が立っていた。
「……何これ? 焚き火の跡?」
達也が眉をしかめた。その時だった。
ずる――ずるずるっ……。
木の柱の奥、闇の底から「這う」ような音が聞こえた。
「……やばくない?」
澪が後ずさった。その顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。だが俊太は、妙に饒舌になっていた。
「ハハッ、ビビってんの? だいじょぶだって、こういうのってさ、たいてい村のジジババが『祟りじゃ~』って騒いで終わるやつだって」
その瞬間。
柱の根元にあった木片が、ぼとりと音を立てて崩れた。
「わっ!」
俊太が身を引いた拍子に、柱を支えていた残骸が崩れた。ガラガラと音を立て、細い柱が完全に倒れ――祠の中心に開いた穴へ、まっすぐ落ちていった。
「……え?」
達也は、その場に釘付けになった。胸の奥が冷え切ったような感覚。呼吸ができない。
「やった……? 今……」
「祠、壊したの?」
にこの声が震えていた。その瞬間、空気が変わった。
ずんっ……。
地面の下から、何かが響いたような音。
「ちょ、これ……やばくない?」
亮佑が顔色を変えて言うが、もう手遅れだった。穴の中から、何かが蠢いている。
――生き物?
――違う。
「……う、わあああああっ!」
大祐が叫んで後退した。その顔は、穴の奥に見えた“何か”を正視した恐怖に引き裂かれていた。
何かが、這い出てくる。人のような形。だが、それは「人ではない」。
髪のようなものが、うごめく。顔はない。口も、目もない。あるのは「何かを憎む感情」だけ。
それを見た瞬間、全員の中に、言いようのない「悔恨」が生まれた。
「……逃げろッ!」
亮佑の叫びが合図だった。皆、一斉に祠から駆け出した。
だが。
背後から、確かに聞こえた。
「わたしを……わすれたのか……」
女の声。それは「人を呼ぶ声」ではなく、「呪う声」だった。