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第2話

 夜。村の静けさは、異様なほどだった。

 車で来たときの音も、人々の話し声も、全てが消えてしまったような気がした。時計の秒針の音すら耳に刺さる。外は月も雲に隠れ、星ひとつ見えなかった。

「おい達也、ほんとにここ行くの?」

 俊太が手にした懐中電灯を振りながら尋ねる。軽いノリで始めた肝試しだったが、いざ祠の前に立つと、誰もが無言になった。

「行くだけ。見るだけ。壊したりしねぇって」

 達也はそう言いながらも、胸の奥で何かがざわついているのを感じていた。さっきの老婆の声が耳から離れなかった。

 ……壊すな。

 ……忘れろ。

「なんかさ、赤い注連縄、ほどけかけてる?」

 にこの声が上ずっていた。祠の前の注連縄は、確かに日中にはもっとぴんと張られていたはずだった。だが今は――中央がだらりと垂れ、すでに「結界」の意味を失っているように見えた。

「風でしょ? 誰か直せばいいって」

 希望が笑って言った。そう、風だったのかもしれない。だがそのとき、風は吹いていなかった。ただ、張りつめたような空気があたりに満ちていた。

「入るよ」

 俊太が、足で祠の木戸を蹴った。

 ぎぃ――。

 その音は、まるで誰かが苦しげに呻くような音だった。にこが小さく「待って」と言ったが、もう遅い。

 祠の中には、黒く焼け焦げたような地面があった。真ん中には五寸ほどの穴が空いている。そこに、折れた木の柱が立っていた。

「……何これ? 焚き火の跡?」

 達也が眉をしかめた。その時だった。

 ずる――ずるずるっ……。

 木の柱の奥、闇の底から「這う」ような音が聞こえた。

「……やばくない?」

 澪が後ずさった。その顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。だが俊太は、妙に饒舌になっていた。

「ハハッ、ビビってんの? だいじょぶだって、こういうのってさ、たいてい村のジジババが『祟りじゃ~』って騒いで終わるやつだって」

 その瞬間。

 柱の根元にあった木片が、ぼとりと音を立てて崩れた。

「わっ!」

 俊太が身を引いた拍子に、柱を支えていた残骸が崩れた。ガラガラと音を立て、細い柱が完全に倒れ――祠の中心に開いた穴へ、まっすぐ落ちていった。

「……え?」

 達也は、その場に釘付けになった。胸の奥が冷え切ったような感覚。呼吸ができない。

「やった……? 今……」

「祠、壊したの?」

 にこの声が震えていた。その瞬間、空気が変わった。

 ずんっ……。

 地面の下から、何かが響いたような音。

「ちょ、これ……やばくない?」

 亮佑が顔色を変えて言うが、もう手遅れだった。穴の中から、何かが蠢いている。

 ――生き物?

 ――違う。

「……う、わあああああっ!」

 大祐が叫んで後退した。その顔は、穴の奥に見えた“何か”を正視した恐怖に引き裂かれていた。

 何かが、這い出てくる。人のような形。だが、それは「人ではない」。

 髪のようなものが、うごめく。顔はない。口も、目もない。あるのは「何かを憎む感情」だけ。

 それを見た瞬間、全員の中に、言いようのない「悔恨」が生まれた。

「……逃げろッ!」

 亮佑の叫びが合図だった。皆、一斉に祠から駆け出した。

 だが。

 背後から、確かに聞こえた。

「わたしを……わすれたのか……」

 女の声。それは「人を呼ぶ声」ではなく、「呪う声」だった。


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