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第14話

 翌朝、悠真は喪服のまま、雪の積もった石段を下った。

 白い山裾に囲まれた村――その中心にある屋敷は、“拝家(おがみけ)”と呼ばれ、代々「名を封じる役目」を継いできたという。

「ゆうま、ちょっと」

 廊下の奥で手招きしていたのは、遠縁の親戚にあたる拝一郎だった。

「昨夜、祠に行ったろ。おまえ、呼ばれたな」

 一郎は妙にあっさりとそう言った。

「……何か、知ってるのか?」

「知ってるさ。“拝み屋の血”だからな。お前も、その系統だろ」

 悠真は、昨日の出来事――風鈴の音と、祖母の名前の書かれた札が割れていたことを話した。

 一郎は黙ってうなずいた。

「そいつは、“一代分の封印が切れた”ってことだ。次に“継ぐ者”が必要ってわけだな」

「継ぐって……何を?」

「“封じる祠”には、“誰か”が入ってる。けど、そいつが本当に“外に出たがってる”のか、“中にいたかった”のかは、わからない」

 一郎の口ぶりは、どこか達観していた。

 まるで、それを「人間ではないもの」として扱うことに、すでに慣れきっているように。

「じゃあ、俺が……次の“封じ役”にならなきゃいけないってことか」

「……そうならない方法も、あるにはある」

「どうするんだ?」

「“その名前”を、誰かに引き継がせること。

 けどな――“名を渡す”ってことは、“呪いを分ける”ってことだ。

 つまり、誰かが代わりに“思い出す”ことになる。記憶と、声と、夢をな」

 悠真はぞっとした。

 そのとき、玄関先で誰かの声がした。

「悠真くーん、お見舞いー。って、あ、もうお葬式終わってたんだ……」

 現れたのは、同級生の志保だった。

 毛糸の帽子をかぶり、花を一輪だけ持っていた。

「……これ、渡そうと思って」

 志保が差し出したのは、紫色のリンドウの花だった。

「リンドウって、“想いを伝える”って花言葉なんだって」

「……ありがとう」

 悠真はその花を受け取った瞬間、頭の中で“声”がした。

 ──その子に、渡せ

 ──その子に、名を……

 心が冷たくなる。

 志保が見上げて言った。

「ねえ、昨日さ、変な夢見たんだよ。

 雪が積もった祠の中に入っていって、誰かが“わたしの名前”を呼ぶの。

 “しほ”じゃない、“違う名前”で――」

「やめろ!!」

 悠真は叫んでいた。

 その声に、志保がびくりとした。

「……ねえ、悠真くん、どうしたの?」

「……ごめん……。でも、近づかないでくれ。

 今、俺の周りには“名前”が集まってる。きっと、お前にも映るようになる。……忘れろ。絶対に、祠の夢のことなんか、思い出すな」

 志保は、ゆっくりとうなずいた。

「でも、悠真くんの名前だけは……忘れたくない」

 その言葉に、祠の方角から風鈴の音が鳴った。

 チリン……

 風は吹いていない。

 けれど、何かが「聞いている」。

“名を告げるな”。

“名を返すな”。

“名を忘れろ”。

 それが、「拝家」に代々伝わってきた唯一の戒めだった。

 けれど、悠真の中では今――

“名前を知りたい”という欲望と、“誰かに渡したい”という衝動がせめぎ合っていた。

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