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第24話

 木札に書かれていた名前が、墨の中から浮かび上がっていく。

「……読んでいいのか?」

 伽羅の声に、志乃は目を伏せた。

 漣が一歩、前に出た。

「名前は“開ける呪い”にもなる。“封じるまじない”にもなる。

 そのどちらになるかは、“呼ぶ側の意志”次第だ」

 伽羅は戸惑いながらも、震える声でその名を口にした。

「……“ナオミ”」

 その瞬間、祠の中から熱を持った風が吹き出した。

 地面が震え、祠の屋根に張られていた注連縄が、ブツンッと切れる。

 志乃の体に鳥肌が走った。

“何かがこちらを見ている”

 だが、それは“視線”ではない。

 名前を呼ばれたことに反応する、“思念そのもの”だった。

 ──ナオミ。

 ──ナオミ。

 ──わたしの なまえは ナオミ?

 ──それでいいの?

 ──ほんとうに?

 次の瞬間。

 祠の中から、人影のようなものが出てきた。

 髪は長く、顔はない。

 いや、“顔が見えない”のではなく、“顔という概念がそこにない”。

 それは、“人の形”をした“空洞”だった。

「うわ……あれ……“うつしよ”そのもの……!」

 伽羅が後ずさる。

 だが、影はゆっくりと志乃の方へ向かってきた。

 影はしゃがみこみ、彼女の目の前で首をかしげた。

 ──あなたが わたしを よんだの?

 ──あなたが わたしに “ナ”をつけたの?

 ──それとも “オ”を?

 ──それとも “ミ”?

 志乃は言葉を失う。

“名を与える”とは、“命を与える”ということ。

 だが今、自分たちはそれを不完全な存在に対して行ってしまったのだ。

 その瞬間、影の輪郭が急にぶれる。

 声が変質する。

“音”ではなく、“文字列”が直接、脳に貼りつく。

 ──ナオミ。

 ──ナオリ。

 ──ナグリ。

 ──ナイモノ。

 ──ナイノニ。

 ──ナイハズノ。

 ──ナクシタノ。

「……わかる?」

 漣が、震える声で言った。

「あいつ、自分の“名前を確定できない”んだ。

 ナオミって言った瞬間から、“それ以外の可能性”が暴れ出してる」

 志乃の足元に、“墨のような影”が滲み出す。

 まるで祠の内部が、現実の地面を侵食しているかのように――。

「やばい、祠の結界、完全に壊れた」

 伽羅が叫ぶ。

 しかし、誰も動けない。

“ナオミ”と呼ばれたものが、志乃の目の前で、微笑んだような気がした。

 だが――

 その“笑顔の形”が、完全に“人間のものではなかった”。


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