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第31話

「“キミエ”……」

 佐伯梓は、音の響きを声にしてみた。

 それは奇妙な感触だった。

 耳に馴染むが、口元には異物感がある。

 昔聞いたことがあるようで、思い出すと歯に何かが引っかかるような不快感。

「ねえ、西園さん。“キミエ”って、本当に名前なんですか?

 地元の古い言い伝えだと、“祠に入れられたのは名前を持たない存在だった”って……」

「名を持たないからこそ、“封じるために仮の名が与えられた”ってことだろう。

 そして、その仮名が、“思い出されることで本物になる”……」

 蓮司の指が震えた。

「つまり、今のこの現象は、“祟り”じゃない。“名付けの再現”だ。

 “誰か”が、その存在を“もう一度人として成立させようとしてる”」

「じゃあ、まがり祠はそのための“器”……?」

「違う。“まがり祠そのものが、その人の居場所を探している”。

 人間の記憶の中に、“かつて居た場所”を探しに行ってるんだ」

 そのとき、文化課の木暮から再び連絡が入った。

「西園さん、やばいっす。市内各所の防犯カメラ、変なものが映ってます。

 “木の札を手にした女性”が各地の“祠らしき場所”に出入りしてる。

 けど顔が見えない。というか、見るたびに顔が違うんです」

「写し込まれた顔が“見た者の記憶に基づいて変化してる”ってことか……?」

「しかも、子供たちが“その人に会った”って言ってるんです。

 “知ってる気がするのに、名前が思い出せない女の人”に、“どこに祠を置けばいいか尋ねられた”って……!」

 蓮司と佐伯は目を見合わせた。

「……まさか、“次の封印者”を探してる……?」

 風が吹いた。

 室内にもかかわらず、書類が一枚だけ宙を舞った。

 それは、祠移設に関する申請書の写し。

 その余白に、誰の手によるものでもない墨の跡がにじんでいた。

 ──わたしを おさめたのは あなた

 ──つぎは だれが おさめるの?

 ■

 その夜。

 ライターの夏井璃子は、自宅マンションの非常階段に立っていた。

 スマホで何かを確認する仕草。

 だが指が動かない。

 画面は真っ黒で、映っていたはずの写真が、全て祠の画像に置き換わっていた。

 しかも、写っている祠は――自分の部屋のドアの真向かい。

「……嘘でしょ……なんでここに……」

 次の瞬間。

 ドアの向こうから、風鈴の音が響いた。

 チリン……チリン……

 その音に誘われるように、スマホに一通の通知が届く。

 差出人なし。

 本文は、たった一文。

 ──キミエって、あなたの祖母の名前じゃなかった?

 璃子は、顔面から血の気が引いた。

「……え?」

 記憶が浮かぶ。

 子どもの頃に一度だけ会った、**“他人にされていた祖母”**の影。

 母が決して話そうとしなかった“あの人”の名。

 たしかに、キミエ――そう、呼ばれていた。

 玄関のドアが、ノックされた。

 コン……コン……

 璃子の背後に、墨のような影が滲み始めていた。


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