千紗が宮廷生活に足を踏み入れてから数週間が過ぎた。他の側室たちの嫌がらせや陰口は続いていたが、彼女はそれを黙って受け流すどころか、皮肉と観察力を武器に、少しずつ状況を逆転し始めていた。最初は孤立無援だった千紗だが、少しずつ側室たちの間で存在感を増し始めていた。
嫌がらせに対する反撃
ある朝、千紗が朝食の席に着いたとき、いつものように嫌味が飛んできた。
「平民のくせに、こうして宮廷での生活を楽しんでいられるなんて、さぞ幸せでしょうね。」
イレーネの冷笑混じりの言葉に、千紗は一瞬だけ微笑みを浮かべてから、静かに答えた。
「確かに、皆さまのような立派な家柄を持たない私には、贅沢すぎる環境ですね。でも、幸せかどうかは……そうですね、まだ何とも言えません。」
一見、謙虚に聞こえるその言葉には、皮肉と本音が巧妙に織り交ぜられていた。「幸せではない」と明言しないことで相手の意図をかわしつつ、彼女自身が特別待遇を楽しんでいるわけではないことを強調していたのだ。
イレーネは言い返そうとしたが、他の側室たちが視線を交わし、話題を変えようとする様子を見て、口を閉じた。千紗が冷静に言葉を返すたびに、側室たちは彼女を軽んじる態度を少しずつ改め始めていた。
ナタリアとの連携
千紗が最初に築いた信頼関係は、控えめなナタリアとの間だった。控えめで他の側室に追従するだけだったナタリアは、千紗と話すうちに次第に自分の意見を持つようになり、千紗の側に立つことが増え始めた。
ある日、マーシャがわざと千紗のドレスにワインをこぼした際、ナタリアが声を上げた。
「そんなことをするのはやめましょう!千紗様は何も悪いことをしていません!」
普段大人しいナタリアがマーシャをたしなめたことで、場の空気が一瞬凍りついた。マーシャは気まずそうに口ごもり、周囲の視線に耐えられなくなったのか、その場を立ち去った。
千紗は静かにナタリアの肩に手を置き、感謝の意を込めて微笑んだ。
「ありがとう、ナタリア様。あなたが味方になってくれるなんて、心強いです。」
ナタリアは少し照れたように笑いながら、「ただ、放っておけなかっただけです」と答えた。その日を境に、千紗とナタリアの絆はさらに深まった。
側室たちの間での信頼
ナタリアとの連携が功を奏し、他の側室たちも千紗に対する態度を少しずつ変え始めた。特に、千紗が側室同士の対立をうまく仲裁する姿が、彼女への評価を高めた要因だった。
ある晩、リヴィアとマーシャが些細なことで口論を始めた。
「あなた、いつも陛下の前で目立とうとしてばかりじゃない!」
「何よ、それはあなたも同じでしょう!」
険悪な空気が流れる中、千紗は静かに二人の間に入り、微笑みを浮かべながら言った。
「まあまあ、落ち着いてください。陛下はきっと、私たちが争う姿を見るのはお望みではないと思いますよ。せっかくこんな美しい宮廷にいるのに、顔をしかめ合うなんてもったいないじゃありませんか?」
その言葉に、リヴィアとマーシャはハッとしたように黙り込んだ。千紗の冷静で的確な言葉は、二人の感情的な口論を一瞬で収めたのだ。
その夜、他の側室たちは密かに千紗の落ち着きと知恵を認めるようになった。
皇帝の目に留まる
千紗が側室たちの間で信頼を築き、争いを収める姿は、いつしか皇帝セイラスの耳にも届いた。ある日、セイラスは千紗を宮廷の庭園に呼び出した。
「千紗、そなたが側室たちの間で争いを鎮めていると聞いた。なかなかの働きだ。」
突然の呼び出しに緊張していた千紗だったが、セイラスの言葉に少し驚きながらも頭を下げた。
「恐れ多いお言葉ですが、私はただ、皆さまのお力になりたいと思っただけです。」
セイラスは興味深そうに千紗を見つめた。
「そなた、なかなか面白いな。ただの商家の娘とは思えん。」
その言葉に、千紗は眉をひそめた。
「面白いと仰られるのは少し心外ですが……そう感じていただけるなら光栄です。」
セイラスは声を上げて笑い、千紗の返答にますます興味を持った様子だった。
新たな展開の始まり
千紗は、思いがけず皇帝からの注目を受けることとなった。それは決して望んでいたことではなかったが、これをきっかけに彼女の宮廷での役割はさらに大きく変わっていくことになる。
「少しでも平穏に暮らしたかったのに……ますます面倒なことになりそう。」
千紗はそう呟きながらも、宮廷での生活に必要な覚悟を新たにした。次に訪れる波乱の日々に備え、彼女は静かに庭園を後にした――。