「ほぉ、これはなんと……なんと!ああ、よきかな!よきかな!」
テーブルの上には、香ばしい匂いを漂わせるステーキに色とりどりの野菜がたっぷり入ったスープ、そして、黄金色に輝くエールが並んでいる。
エルギアは目を輝かせながら料理を見つめ、喉を鳴らした。
「まさか酒場のメシで、そこまで感動するヤツがいるとはな」
ギリュウはやれやれと、木のジョッキに注がれたエールを煽る。
「む、何を言うか。酒場料理は、その土地の食文化を色濃く反映させるもの。我の国では、このような洒落た料理は無くてなぁ。どれもこれも新鮮なものよ」
エルギアはステーキをナイフで器用に切り分ると、口に運び――。
ゆっくりと、匂い、食感、味を堪能する。
「ああっ、うまい!うますぎるッ!」
その顔は幸せに満ち溢れており、とても背後からドロップキックを仕掛けてくるような人物には見えなかった。
………ホント、うまそうに食うな。
少々、オーバーリアクションが過ぎる気もするが、それほどまでに心から喜んでいるのだろう。
ご満悦といった表情で口を動かしているエルギアを見て、ギリュウも悪い気はしなかった。
「で、アンタはいったい誰なんだ?随分と俺にご執心のようだが?」
ギリュウはニヤニヤと笑いながら、エルギアに問いかける。
「ん?……それは、まぁ、魔王であるからな」
「へー。魔王、ねぇ……」
戦いに身を投じた者の勘、とでもいうのだろうか。
この女から感じる違和感はそれかとギリュウは納得する。
追加注文しようかと、メニュー表をまじまじと見つめるエルギア。
ギリュウはそれを横目にエールをさらに煽った。
……魔王。
……魔王か。
……んッ? 魔王!?
「――――ブハッ!?ゲホッ、ゲホッ!」
盛大にむせ返った。
「ハぁ、ハァ………はぁぁぁあああああ!?お、おおオマッ!ままま魔王って……お前ッ!」
「こらッ!他の客に迷惑であろうが!いくら酒場でもマナーをわきまえ…………あ…………」
エルギアの困惑した表情が、『やってしまった』と物語っている。
「……マジで魔王なのかよ」
「あわわわわわ!ちょっとタイム!タイムタイムタイム!!」
エルギアは慌ててメニュー表で顔を隠すと、ひそひそとギリュウに声をかける。
「………………」
「.........周りの客は?こっちを見てないか?」
「あ、ああ」
「ホントか?信じていいんだな?」
「大丈夫だ……たぶん酔っ払いのバカ騒ぎだと思われてる」
エルギアはメニュー表を下ろすと、ばつが悪そうにしていた。
…………なんだか、俺のイメージする魔王と違うな……。
なんというか、こう……もっとおどろおどろしい存在だと思っていたのだが。
―――いや、そんなことよりっ!
「こんなところに魔王が何の用だ!まさか俺の首をとりに来たのか!?」
「はぁ!?そんなわけなかろう物騒な!我はただ文句を言いに来ただけだ!」
「……文句?」
「そうだ、ギリュウよ!追放されたとはいえ…………なぜ旅ごとやめてしまったのだ!」
「ッ!」
「……我はずっと……ずっと……そなたが魔王城に来るのを待っておったのに!………………ぐっ。なぜ一番頑張ったそなたが、このよう目に遭わなければならんのだ……くそぅ……」
エルギアの瞳に涙が溜まる。
………えー、なにこれー、魔王が俺のために泣いてくれてんだけどー?
「あー、いや、魔王さんよ?ひとついいか」
「……なんだ」
「むしろ好都合じゃないか?勇者が戦うのやめたんだぞ?世界を支配するチャンスなんだぞ?」
「そんなもんいらん!我は、
『またやらかした』と言わんばかりの顔でエルギアは口を塞いだ。
「推し?」
「……ぬぅ。まぁ、なんだ。言うつもりはなかったのだが……我はその………………そなたの……『ファン』だ」
「……………………は?」
ギリュウが言葉の意味を理解するまで、目の前の魔王はモジモジと体を揺らしていた。
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「……いや、『ファン』はおかしいだろ」
「おかしくない。陰ながら応援していた」
「ふざけてんのか……アンタ、魔王だろ?」
「だからどうした。好きなものを好きと言って何が悪い」
「……ドロップキック、かましてきたよな?」
「愛ゆえにだ。推しを正しい道に導くためなら、我はどんな手も使う。……まぁ、少々やりすぎた感は否めんが」
いや、そんな真顔で言われても……。
困惑、動揺、呆れ……様々な感情がギリュウの中で渦巻く。
「ハッ、そうだ!バレたのならいっそのこと!」
エルギアはいそいそと、懐から万年筆と分厚い本を取り出した。
「これにサインを!」
「え」
「一生のお願いだ!頼む!」
「……はぁ」
あまりの熱意に圧されたギリュウは、流されるままに受け取る。
本のタイトルには、こう書かれていた。
――『我らの推し勇者全集』。
…………。
……。
……。
「おい……なんなんだ、これは」
ギリュウは、その本の表紙をまじまじと見つめながら、そう呟いた。
「魔界は娯楽が少ないのだ。この勇者全集は、我ら魔物の心の拠り所でな。その生き様を胸に刻み、それを活力にして生きてきた」
「正気か、敵だぞ、敵」
「だからこそだ!何千何万の軍勢を相手に、歩みを止めることなく戦い続ける。その勇ましさに心打たれ、我らは敬意を払う…………勇者と相まみえ、華々しく散るのもまた。我ら魔物の『
「………………」
やはり、なにを言っているのか、さっぱり分からない。
ギリュウは、分厚い本を開いてみる。
するとそこには、ありとあらゆる勇者の名が所狭しと記載されていた。
『無限の勇者』―【アベル】。
『業火の勇者』―【ジュウゾウ】。
『鋼鉄の勇者』―【シュワ】。
『食レポの勇者』―【マロヒコ】。
――その他にも、歴代勇者の冒険譚が記されている。
「うわあ、持ち技とか、全部細かく書かれてらぁ。敵サイドに情報ダダ漏れじゃねえか」
ギリュウはページをめくるにつれて、だんだんと頭痛が激しくなっていくのを感じた。
「ちょっと、厠へ行ってくる……」
「勇者もトイレに行くのかッ!?」
「お前ら勇者のこと、なんだと思ってんのッ!?」
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「いかん、あの魔王のペースに乗せられている。ハァ」
ギリュウは便座に座り、深いため息を吐いた。
……しかし、魔王か。
ずいぶんと親近感がわくヤツだが、相手は紛れもなく世界の脅威。
そんな存在が、俺のことを推しているなんて、全くもって理解し難い。
………。
………理解し難いが。
「………バカにみたいに楽しそうだったな、アイツ」
なにかと一喜一憂する、あの顔。
それは過去に背負った『勇者』という肩書きの重荷を、少しだけ軽くしてくれた。
……そろそろ戻るか。魔王をあのまま放置しておくのも、不安だしな。
――――。
「おるァあああああああああああ!」
『おい見たか!すげぇぞあの姉ちゃん!これで腕相撲、30人抜きだぁッ!』
「えへ、へへへ」
「………………………」
天真爛漫な笑顔を見せる魔王は、ジョッキを片手に周りの冒険者と絡んでいた。
その顔は赤みを帯びて、だらしなく緩みに緩みきっている。
ギリュウはおもむろに、テーブルに積まれているジョッキを数えた。
七、八、九、十……。
「どうだギリュウよ!そなたも我に挑戦してみるか!?」
ギリュウの存在に気づいたエルギアが、こちらにジョッキを掲げる。
「…………ちょっとは忍べやぁああ!このポンコツがぁあああ!」
酒場中に響くギリュウの怒号は、夜遅くまで続いた。
――――――。
盛大に酔いつぶれたエルギアは、ギリュウにおんぶされながら宿への帰り道を進む。
ギリュウはため息を吐きながら、何度もエルギアを降ろそうと試みるが……。
腕が首に絡みつき、離れようとしない。
結局、諦めてそのまま宿に向かう。
「ったく、ホントに魔王なのかよ。アルコールに負ける魔王なんざ聞いたことねぇよ」
エルギアはギリュウの背中に顔を埋めながら、何やらブツブツと呟く。
「……面目ない」
………………素直なんだよなぁ。魔王なのに。
どこか憎めず、むしろ愛嬌さえ感じてしまいそうになり、ギリュウは頭を振る。
「そなたの……」
「……?」
「そなたの旅は…………終わってしまったのか?」
「…………ああ、終わったよ。俺はもう勇者じゃない。戦うことから逃げた、ただの臆病者だ」
「臆病者?何を言っておる。我の部下たちから聞いておるぞ」
「はぁ?なにを――」
「『経験値はいらないと。あの方はトドメを刺さず、いつも逃してくれる』――と」
「……」
「『群れからはぐれて、街中に迷い込んだ息子を、他の冒険者に狩られないよう保護してくれた』――そう言っとる者もおったな」
「…………」
「敵も味方も命を大事に、それが信条なのだろ?『
その言葉に、歩みを止める。
「……その不名誉な通り名で俺を呼ぶな。それが原因で戦力外だって言われたんだからな」
「だが我はその優しさに惚れ込んだ。推すには十分な理由であろう?」
「…………」
「さて、勇者とのラストバトルなんて、早々あやかれない激エモ展開をおあずけにされたのだ。責任をとってもらうぞ」
「いや、それはアンタが勝手に……責任つっても、何すればいいんだよ」
「我は今、休暇中だ。聖地巡礼の旅に付き合ってくれ」
「は?聖地巡礼?」
「そうだ。歴代の勇者が訪れた地は、どこも観光スポットになっておる。勇者ファンなら一度は訪れたい場所なのだ」
「いや、俺は……」
「…………ダメなのか?」
エルギアは、ギリュウの耳元でそう呟く。
「う゛……………」
その声色にギリュウは思わずたじろいだ。
……ずるいぞ、その言い方。
「…………くそッ!ああもう分かったよ!どうせ、この国にいてもやることねぇしな!魔王の聖地巡礼ツアー、付き合ってやるよ!!」
「ホントか!?、〜っ!」
エルギアは、ギリュウの背中に顔を押しつける。
「うおっ、急に動くな!首がしまるッ!」
「えへへ」
……ほんと調子狂うなぁ、この魔王。
寒空の下、夜風が頬の熱を冷ます。
旅立ち前には、ちょうど良い夜だった。