禍福村は、生者の住まう土地ではなくなっていた。一夜にしてゴーストタウンと化したわけではない。じわり、じわりと悪性の腫瘍が身体を蝕むように、村はその機能を停止し、生命の灯を一つ、また一つと消していった。
田畑村長を襲った「千の目の呪い」が、残された村人たちに最後の鉄槌を下した。村に僅かに留まっていた者たちのほとんどは、恐怖のあまり夜陰に紛れて逃げ出すか、家の中に引きこもったまま生きる屍と化した。昼日中でも家々の戸は固く閉ざされ、人の声は絶え、道端には風に舞う枯れ葉と打ち捨てられた家財道具だけが転がっている。かつて子供たちの賑やかな声が響いた広場も、今は不気味な静寂に包まれ、鴉(からす)すら寄り付かない荒涼とした空間に変わっていた。空気は淀み、どこからともなく腐臭と、それ以上に濃厚な絶望の匂いが漂う。
そんな死の淵に沈みゆく村で、葦辺雁だけが、何一つ変わらぬ日常を続けていた。
昼過ぎに目を覚まし、昨夜の残りの冷や飯を適当な漬物で腹に収めると、縁側で安酒の徳利を傾ける。村がどうなろうと、彼には関わりのないことだった。むしろ、この世界の崩壊を間近で観察できる特等席にいるような、倒錯した悦びさえ感じている。
「……ふむ。猫の気配も、めっきりと減ったな」
以前は庭先をうろついていた野良猫たちが、今や彼の古民家から半径五十メートル以内に決して近寄ろうとしなかった。彼らが雁に対して抱く恐怖は、本能的な死の危険への警鐘のようだった。雁が姿を見せずとも、彼の家から漂う「何か」を感じ取って逃げ去る。
「選ばれし者の孤独、とは少し違うか。単に、俺という存在が彼らにとって毒なのだろう。面白いことだ」
彼は孤独を苦にするどころか、その特異性を自覚し、静かに味わっていた。この村の崩壊も、人々の苦しみも、彼にとっては壮大な叙事詩の一節、あるいは魂を揺さぶるインスピレーションの源泉に過ぎない。
島崎母子の事件、田畑村長の変死。それらが一段落し、村に死者のような静寂が訪れてから数日、雁は新たな歌の衝動に駆られていた。明確なモチーフがあったわけではない。ただ、彼の内で言葉が、イメージが、熟した果実のように破裂寸前まで膨らんでいた。
「世界の形が、変わろうとしているのかもしれんな。いや、俺が変えているのか……どちらでもよいが」
雁の心は、得体の知れない高揚感に満たされていた。あたかも神が粘土で世界を創造するように、自分の言葉が現実を捏ね上げているのではないかという、傲岸不遜ともいえる感覚。それは彼にとって、紛れもない真実の感触を伴っていた。
書斎に籠った雁は、酒も飲まず、一点を見つめていた。やがて、彼の口元にかすかな笑みが浮かぶ。何か禁断の遊びを思いついた子供のような、純粋で残酷な笑みだった。
「さあ、次はどんな玩具を創り出そうか。この魂の求めるままに」
筆が和紙の上を走り始める。それは詩作というより、呪詛の調伏か、新たな世界の設計図を描く作業のようでもあった。
魂片は 肉の檻より 解き放たれ
虚の器に 入り乱れては 形変え遊ぶ
ああ 万華鏡の 戯れぞかし
(たましいひらは ししのおりより ときはなたれ
うろのうつわに いりみだれては かたちかえあそぶ
ああ まんげきょうの たわむれぞかし)
「……ふっ、ふふふ。これだ。これぞ、我が魂の現在地(いま)」
雁は筆を置き、自らの詠んだ歌を低く詠み返した。身体という檻から解き放たれた魂の欠片たちが、空っぽの器(肉体)に入り乱れ、万華鏡のように形を変えて戯れる――そのおぞましくもどこか幻想的な情景に、彼は恍惚とした表情を浮かべた。
この歌は、これまでの作品とは少し毛色が違う。直接的なグロテスクさよりも、より根源的な存在の不安定さ、身体性の解体と再構築、その果てにある虚無と遊戯性を示唆している。
「万華鏡の戯れ……か。美しいではないか」
雁はその歌を丁寧に清書し、禍々しい祭壇と化した壁に、また一枚、新たな呪符を加えた。部屋の隅に積まれた空の徳利が、彼の孤独な祝宴の残滓を物語っていた。
その夜、雁は久々にぐっすりと眠った。彼の意識が作り出す世界は、新たな「戯れ」の準備を終えた。
*
歌が詠まれてから、最初に奇妙な噂が囁かれ始めたのは、村に残された数少ない住民、正気を辛うじて保っていた者たちの間からだった。
「なんだか……自分の身体じゃないみたいなんだ」
朽ちかけた納屋で肩を寄せ合って暮らしていた、かつては村の顔役だった老人たちが、不安げにそう口にし始めた。
「右手が……時々、勝手に動く気がする。まるで、誰か別の人間の手みたいに」
「私はな、夜中に目が覚めると、自分の足が三本あるような気がしてならんのだ。暗闇で確かめるのが怖くてな……」
「わかるか、この感覚。自分の皮膚の下で、何かが蠢いている……いや、入れ替わろうとしているような……」
それは集団的な妄想なのか、極度のストレスによる幻覚なのか。いずれにせよ、彼らの訴える不気味な身体的違和感は、日を追うごとに鮮明さとリアリティを増していった。
ある老婆は、鏡に映った自分の顔の左半分が、数年前に死んだ隣家の男の顔になっているのを見て卒倒した。別の男は、自分の腹から赤ん坊の泣き声が聞こえると錯乱し、包丁で腹を掻き切ろうとして、残った家族に取り押さえられた。
しかし、これらはまだ序章に過ぎない。雁の歌は、そんな精神的な揺さぶりだけで満足するほど生易しいものではなかった。
本格的な異変の最初の犠牲者は、村の外れにある小さな寺の住職、妙蓮(みょうれん)尼であった。齢七十を超える老婆ながら、最後まで村に残り、経を唱えて怪異を鎮めようと活動を続けた彼女は、いわば禍福村最後の良心とも言える存在だった。
ある朝、毎日欠かさず行っていた朝の勤行に、妙蓮尼が姿を見せなかった。不審に思った寺男(もはや一人しか残っていなかったが)が庫裏(くり)を訪ねると、そこには信じ難い光景が広がっていた。
妙蓮尼は、自身の布団の上で、まるで複雑な木組み細工か、子供が遊び散らかした粘土細工のように、バラバラに「解体」されていた。
首は胴体から離れていたが、目は虚空を見開いたまま微かに動いていた。両腕は肩から、両脚は股関節から外れ、それぞれが独立した生き物のようにぴくぴくと痙攣している。胴体は、内臓が一部露出しているものの、浅く呼吸を繰り返していた。おびただしい出血はなく、切断面はあたかも最初からそういう形であったかのように、奇妙に滑らかだった。
寺男は悲鳴を上げることもできず、その場で腰を抜かした。恐怖はそれで終わりではなかった。
数時間後、恐怖と使命感の狭間で寺男が再び妙蓮尼の部屋を覗くと、バラバラになった各部位が、ゆっくりと動き出し、意志を持っているかのように互いに引き寄せ合い始めた。そして、元の形とは全く異なる、異様で冒涜的な何かに「再構成」されようとしていた。
妙蓮尼の首は、右足の甲に無理やり接合され、その目は苦悶と驚愕に見開かれたまま宙を睨んでいる。左腕は胴体の脇腹にめり込み、そこから新たな肋骨のように突き出ようとしていた。右腕は左足の膝と繋がり、指は地面を掻こうと空しく動いている。
それは、おぞましい万華鏡を覗き込んでいるかのようだった。パーツが入れ替わり、結合し、奇妙な対称性と非対称性が混在した、生命への冒涜としか言いようのない「作品」が、ゆっくりと、それでいて確実に形成されていく。
その「作品」は、妙蓮尼の原型を留めておらず、ただ見る者に根源的な恐怖と嘔気を催させるだけの、蠢く肉のオブジェだった。時折、いずれかの部位から、苦悶とも恍惚ともつかぬ微かな呻き声が漏れ聞こえた。
寺男は、それを見たのを最後に完全に発狂し、寺を飛び出して行方知れずとなった。
後に、妙蓮尼だった「それ」は、完全に新たな形――蜘蛛のようでもあり、奇妙にねじれた樹木のようでもある、名状し難い肉塊――へと変貌を遂げ、寺の本堂の中央で、新たな本尊であるかのように鎮座していたという。その表面は無数の目や口のような器官がランダムに配置され、それぞれが別個に蠢いていた。
この一件を皮切りに、村に残った僅かな人間たちは、次々と「万華鏡の戯れ」の餌食となっていった。
ある家では、老夫婦が互いの身体のパーツを交換し合ったかのように融合し、シャム双生児ならぬシャム老生児とでも言うべきおぞましい姿で発見された。二つの頭部が一つの胴体から生え、互いに罵り合いながらも、共有された四本の腕で生活を試みているかのような動きをしていたという。
またある場所では、打ち捨てられた家畜小屋の中で、数匹の豚や鶏の死骸が、意志を持った粘菌のように融合・変形し、巨大な肉のアメーバと化して小屋の中をのたうち回っていた。その表面には、豚の鼻や鶏のトサカ、人間のものに似た眼球などが無数に浮かび上がり、消えてはまた別の場所に現れるという、終わりなき変容を繰り返していた。
もはや、禍福村において「個体」という概念は意味をなさなくなりつつあった。生命は一度解体され、その構成要素(魂片、あるいは単なる肉の部品)が、気まぐれな子供のブロック遊びのように際限なく組み替えられ、新たな、そして常に不安定な「形」を与えられていく。それは雁の歌が予言した「虚の器に入り乱れては形変え遊ぶ、万華鏡の戯れ」そのものであった。
*
葦辺雁には、これらの出来事を噂として聞く機会もなくなっていた。村に情報を伝達する人間そのものが、ほとんど消滅してしまったからである。それでも、彼は知っていた。いや、感じていた。自らの歌が、今まさにこの村で現実のものとして展開されていることを。
彼の古民家の周囲だけが、奇跡的に、あるいは呪いによって、この変容の波から守られているかのようだった。嵐の中心の凪のようなものか、彼自身がこの「戯れ」を演出する狂った遊戯盤の主であるが故の特権か。
ある晴れた午後、雁はいつものように縁側で酒を飲んでいた。彼の視線の先、村の中心部の方角から、時折、風に乗って、言葉にならない獣のような呻き声や、何かが崩れ落ちるような、あるいは何かが新たに「生まれる」ような、異様な物音が微かに聞こえてくる。
「……ふむ。賑やかになってきたじゃないか、我が村も」
雁は薄笑いを浮かべ、徳利を傾けた。その顔には、恐怖も嫌悪も、憐憫もない。ただ、自らの作品が具現化していく様を、ある種の芸術鑑賞のように楽しんでいる風情だった。
「魂片は肉の檻より解き放たれ……か。まさにその通りだな。旧き形に囚われることはない。生命とは、もっと自由で、もっと流動的で、もっと……滑稽なものなのかもしれんな」
彼は、かつて妙蓮尼がいた寺の方角へ目をやった。
「あの老婆も、まさかあのような形で『転生』するとは思わなかったろう。仏教の説く輪廻転生とは少々趣が異なるようだが、まあ、これも一つの解脱の形かもしれん。古臭い肉体から解放され、新たな可能性に満ちた(?)存在へと生まれ変わったのだからな。めでたい、めでたい」
その言葉には、皮肉を通り越した、純粋なまでの倒錯した祝福の念が込められているかのようだった。彼にとって、常識的な倫理観や道徳は、とうの昔に創作の糧として消費し尽くしてしまっている。
「それにしても、だ。この万華鏡の戯れは、実に奥が深い。組み合わせは無限、創造の可能性もまた無限。終わりがないというのは、実に素晴らしいことだ」
彼の目は、新しい玩具を与えられた子供のように爛々と輝いていた。村がどのような地獄絵図と化そうとも、彼の創作意欲は衰えるどころか、ますます燃え盛る一方だった。
この惨状は、彼にとって、自らの「シン万葉集」が世界の真理を穿ち、それを書き換える力を持っていることの、何より雄弁な証明だった。彼は神でも悪魔でもなく、ただ純粋な「歌人」として、この世界の最も禍々しく、最も美しい(と彼が信じる)側面を詠い続けるだけなのだ。
雁はふと立ち上がり、書斎へと向かった。新たな歌の予感が、彼の全身を震わせていた。
「さあ、この虚ろなる器どもは、次は何を見せてくれるのかね。この世界という名の万華鏡は、まだまだ回せば面白い景色が出てきそうだ」
彼の背後では、もはや村とは呼べない何かが、静かに、それでいて確実にその形を変え続けている。人間だったものの呻き声、家屋が軋み崩れる音、そして何よりも、この世のものならぬ何かが蠢き、囁き合うような不気味な音が、禍福村の墓標のように響き渡っていた。
だが、葦辺雁の耳には、それら全てが、次なる凶歌の序曲として、美しく調和して聞こえているのかもしれなかった。彼の魂は、世界の崩壊と同期し、さらなる深淵へと誘われていく。この狂騒の果てに何が待つのか、彼自身にも予測はつかない。ただ、筆を執り、歌を詠むだけ。それが、シン万葉歌人、葦辺雁の存在理由なのである。
凶歌は、その破壊と創造の力を増し、ついに村という枠組みすら解体し始めた。次なる舞台は、あるいはこの世界そのものなのかもしれない。