戦争といっても、映画のように宇宙艦隊が並ぶわけではなく、無数の戦闘機が飛び交うこともなく、ただ、月面に設置された無数の核ミサイルの照準が、地球に向けられただけだった。
地球は騒然。各国政府が対応に追われる中、月の大使がアメリカに降り立った。その様子は世界中がライブ中継した。地球産と瓜二つのロケットから、小さい宇宙服が降りてくるのを、わたしも固唾を飲んで見守った。
学校でよく見る大きめのウサギと、テレビでよくみる大統領の会談。双方、もちろんウサギも、しっかりスーツに身を包んでいたのを覚えている。
「今日ってなに流すの?」
「スターウォーズ! しかもエピソード1なんだな、これが」
「世が世なら検閲されそう」
「いまってその世じゃね?」
言い得て妙。
仕事といっても、後ろめたい事情がある2人が真っ当な職につけるわけもなく。
車からスピーカー4台とコンプレッサー、プロジェクター、それに空気で膨らむ大型スクリーンを下ろす。どれも九十九さんがライブで使っていた機材。
本人はことあるごとに「業務上横領なのだ」と口にするが、そもそも本業は休止状態にある。どうせなら早く復活して、名実共に横領してほしい。
ちなみに車の居住スペースは、詰め込まれた機材のせいで人1人が横になるのがやっと。毎晩、じゃんけんで負けた方が運転席で寝るルール。機材を外に出しっぱなしにしているときだけ、一緒に寝られる。
車から電源を取り、コンプレッサーでスクリーンを膨らます。ものの5分で、遠目からでもしっかり映像が見てとれるくらいには大きくなった。
気がつけば、周囲に
ドライブインシアターというのはまだまだ需要があるようで、一時期はエモだかノスタルジーだかで持て囃されたけれど、本質はもっと違うところにあると思う。映画館よりも手軽で、家よりは特別。それだけ。
大切な人と、1人の時間を、何気ない夜中を、いつもよりはいい日にする。難しいことはいらない。そこに行けばあるというのが、心をくすぐる。
かくいうわたしも、キャンピングカーの屋根に座って、夜風に吹かれながら見る映画が好きだ。映画館ほど密閉されていないから暗さは不十分で、スクリーンに映る映像はいつも薄い。でも、その薄さに、確かに心を洗われている。
上映開始の合図代わりに、長めのクラクションをひとつ。集まった車が、一様にエンジンを切った。今夜の観客は5組といったところ。運転席から手だけを外に出したり、ボンネットに座って肩を寄せ合ったり。
「ねぇ、マジでしてたん?」
運転席の窓から九十九さんが顔を出した。
「なにを?」
「ウサギ狩り」
答える代わりに、シガットに火をつけた。
「未成年喫煙の現行犯だ!」
「違います。これ、地球のタバコじゃなくて、月の。『シガット』って言ってた」
中に燃えにくい紙が詰まっていて、火をつけるとタバコのように吸える。地球のように臭みもなく、クラクラする感じもない。たぶん、なにも入っていないのだろう。それか、人間には無害か。
「なにそのラビットみたいな。そんでもって、なぜにそれをコウちゃんが持ってるわけ?」
「奪ったから」
「じゃあ動かぬ証拠じゃん。徳積んどいたほうがいいよ、徳」
「なんで?」
「普段から悪いことしている徳のない人間は、地獄に落ちるんだよ。天国に行きたいなら、それ以上に良いことをしないと」
潮風が運ぶ海の香り。肌にまとわりつく空気。エンジンの振動。ガソリンの匂い。シガットの紙が燃える匂い。人のざわめき。ブレーキランプのちらつき。さざなみと、木々の擦れる音。ゆったりと流れる時間。わたしと九十九さん。
しょうもないけど、無性に愛おしい、何気ない会話。
「善悪ってプラマイ制?」
「それはわかんないけどさぁ、一回悪いことしただけで地獄行きだったら、間違いなくキャパオーバーするじゃん。良いことしたら徳が増えて、悪いことしたら徳が減る。で、最終的にプラスなら天国行き……って感じ?」
「わたしに聞かれても」
「というわけで、はいこれ。ひたすら回しなさいな」
なにこれ?
芯だけになった、粘着シートをコロコロする掃除道具だった。しかも縦型。よく見ると、芯にミミズが這っているような模様が描かれている。
「チベットだったかな。とりあえず仏教徒の国にね、マニ車っていうのがあるんだって。縦型の風車って言えばいいのかな。いや、待ってもっといい喩えがある……ケバブ! ケバブみたいに地面に垂直に刺さってるわけよ、マニ車」
風車なのか肉なのか、いまいち想像がつかない。とりあえず、なんか回るのが地面に刺さっているらしい。怖くない?
九十九さんが続ける。
「マニ車にはお経が書いてあって、風が吹いたり、手で触ったりして回すと、お経を一回読んだことになるんだってさ」
「ふむふむ」
「それを模したのがそちらです」
「ゴミを捨てられないカス人間の残滓じゃなかったのか」
「言い過ぎじゃない⁉︎ コウちゃん、出会った頃とあたしに対する態度が全然違うよ!」
「一言で言うなら、失望かと」
そうなのだ。この人は多分、ギターを弾いて歌うことしかできない。運転も、料理も、掃除も、しないしできない。歌わない九十九さんは、ひっくり返った亀とかに限りなく近い。
「出会った頃は『九十九さん、九十九さん!』って、まるで子犬のようにはしゃいでいたのに」
「わたしもずっと子犬のままが良かったけど」
けど、突然目の前に現れた九十九さんは、憧れというよりは保護対象で。わたしがいないと、日がな一日クラゲを愛でるかしょうもない発明をしているかで。お世話をしないとすぐに死んでしまいそうなこの人を、いつの間にか、特別視しなくなっていた。