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(3)あたしこと嫌いな人、あたし嫌いだもん

 九十九さんがいつも背負っている水槽はランドセル型だ。ランドセル型というか、ほぼランドセル。ガワはそのままに、内側だけ改造して、クラゲが住めるようにしたらしい。


 秋空のようにのっぺりとした青いランドセルは、九十九さんが実際に使っていたものだという。とくに目立った傷もなく、大切にしていたのだとわかる。ランドセルを背負っている二十歳目前の女、と字面だけだと怪しさ満点だが、華奢で小柄で、顔立ちも整っている九十九さんだ。ギリ、成長の早い小学生に見えなくもない。


 このあいだ、九十九さんたちのバンド名の由来を、本人に直接聞いてみた。200+1(トゥーハンドレッド オーバーワン)。ギターボーカル、にのまえ九十九つくも。リードギター、五十嶺いずみね真香まなか。ドラムの四分しわけ神奈かんなと、ベースを担当する妹のりょう姉妹。


 メンバーの名前の数字を足すと、全部で200になる。四分姉妹は、4分の1ということで25。それが2人で50換算だ。じゃあ、最後のプラス1は一体誰? ファンのあいだではさまざまな憶測が飛び交った。


 よく言われていたのが、ファンであるわたしたちを指しているというもの。手垢がつくほど使い古された表現だ。スポーツ界隈でもよく聞く、最後のメンバーは応援してくれるファン、という具合。


 マネージャーやメンバーの恋人、九十九さんの親という説もあった。ほら、九十九さんの名字は一だから、ちょうどプラス1になる。


 一番気に入っていたのは、九十九さんが常にシャウエッセンを食べているから説。ある雑誌のインタビューで、九十九さんが「人生最期に食べるならシャウエッセン」と答えていたことに端を発する与太話だ。ウィンナー1本で、プラス1。ボーカルなんだからそんなことあるわけないのだが、馬鹿馬鹿しすぎて嫌いじゃなかった。


 でも結局は、第5のメンバーというのが正解だったらしい。


「ユキちゃんはね、バンドを組むきっかけになった子なの。大切なバンドメンバーなんだよ」


 と、ランドセル型の水槽を、その中をゆらゆら漂うミズクラゲのユキちゃんを、抱きしめながら九十九さんは言っていた。


 月のウサギが攻めてきてから、水族館はもちろん、街のペットショップから果ては海の中まで、あらゆるクラゲが押収された。


 各飼育者にはクラゲを差し出すようお達しがあったし、海上ではいまだにウサギの船がクラゲを探し回っている。街中では抜き打ち検査と称して、警察とウサギが我が物顔で家探ししている。どこもかしこも血眼だ。個人での飼育なんて、もってのほかである。


 もし、バレたら。


 バレた人のその後は聞いたことがない。この前、千葉の水族館が一つ閉館したとニュースがあった。


 噂では、警察に見つかればまだ御の字で、罰金や数日間の刑務所暮らしで済むらしい。問題はウサギにバレたとき。ある人は月まで連れてかれて一生奴隷にされると言っていた。別の人は、四肢をもがれてクラゲの餌にされると。ウソかホントかはわからない。誰も本当のことは知らない。


「バンドメンバーにクラゲがいることは、知る人ぞ知る秘密でさ。で、どこから秘密が漏れるかもわからなかったし、かといって、ユキちゃんを手放してまで歌うつもりはなかったし。で、逃げることに」


 知る人ぞ知る、に自分が入っていなかったことはショックだったが、いまはこうして、九十九さんと秘密を共有し合っている。かつてのファンの中なら、わたしが間違いなく一番だ。


「あっ」


 運転席から聞こえた九十九さんの声で、現実に引き戻される。映画は佳境。なんだか大きなバリアが張ってあるのが見える。


「なに?」


「水の替えがなくなりそうっす……」


 ユキちゃんの水槽には、宇宙船用の循環器が組み込まれている。もちろん、ウサギテクノロジー。ペットボトル大のカートリッジには十数リットルの水が超圧縮されていて、これが水槽の水と循環することで、丸1週間は水の取り替えも掃除もいらないという優れものだ。


「てことは、ジョーさんのところか」


「い〜や〜だぁ〜」


 ぷぁん、と気の抜けた音が聞こえた。おおかた、九十九さんがハンドルに突っ伏して、クラクションが誤爆したのだろう。


「あの人苦手なんだよぅ」


「恩人になんてことを」


「いいや。嫌われてる。絶対嫌われてるね。あたしのこと嫌いな人、あたし嫌いだもん」


「あれみたい。卵が先かニワトリが先か、みたいなやつ」


「こんなご時世だから言えるけどさ、ニワトリはキャトルミューティレーションされたんじゃね。つまり宇宙ウサギが先!」


「地球ウサギと宇宙ウサギだったら?」


「お……おう? 地球のウサギが宇宙ウサギにキャとられて……あれ?」


 飛び降りて、窓からウィンカーを点けた。カチカチカチ、とカウントダウンを始める。


「3……2……1……」


「待って待ってストップ!」


「ゼロ。答えはジョーさんに」


「さいあくぅ……」

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