九十九さんがいつも背負っている水槽はランドセル型だ。ランドセル型というか、ほぼランドセル。ガワはそのままに、内側だけ改造して、クラゲが住めるようにしたらしい。
秋空のようにのっぺりとした青いランドセルは、九十九さんが実際に使っていたものだという。とくに目立った傷もなく、大切にしていたのだとわかる。ランドセルを背負っている二十歳目前の女、と字面だけだと怪しさ満点だが、華奢で小柄で、顔立ちも整っている九十九さんだ。ギリ、成長の早い小学生に見えなくもない。
このあいだ、九十九さんたちのバンド名の由来を、本人に直接聞いてみた。200+1(トゥーハンドレッド オーバーワン)。ギターボーカル、
メンバーの名前の数字を足すと、全部で200になる。四分姉妹は、4分の1ということで25。それが2人で50換算だ。じゃあ、最後のプラス1は一体誰? ファンのあいだではさまざまな憶測が飛び交った。
よく言われていたのが、ファンであるわたしたちを指しているというもの。手垢がつくほど使い古された表現だ。スポーツ界隈でもよく聞く、最後のメンバーは応援してくれるファン、という具合。
マネージャーやメンバーの恋人、九十九さんの親という説もあった。ほら、九十九さんの名字は一だから、ちょうどプラス1になる。
一番気に入っていたのは、九十九さんが常にシャウエッセンを食べているから説。ある雑誌のインタビューで、九十九さんが「人生最期に食べるならシャウエッセン」と答えていたことに端を発する与太話だ。ウィンナー1本で、プラス1。ボーカルなんだからそんなことあるわけないのだが、馬鹿馬鹿しすぎて嫌いじゃなかった。
でも結局は、第5のメンバーというのが正解だったらしい。
「ユキちゃんはね、バンドを組むきっかけになった子なの。大切なバンドメンバーなんだよ」
と、ランドセル型の水槽を、その中をゆらゆら漂うミズクラゲのユキちゃんを、抱きしめながら九十九さんは言っていた。
月のウサギが攻めてきてから、水族館はもちろん、街のペットショップから果ては海の中まで、あらゆるクラゲが押収された。
各飼育者にはクラゲを差し出すようお達しがあったし、海上ではいまだにウサギの船がクラゲを探し回っている。街中では抜き打ち検査と称して、警察とウサギが我が物顔で家探ししている。どこもかしこも血眼だ。個人での飼育なんて、もってのほかである。
もし、バレたら。
バレた人のその後は聞いたことがない。この前、千葉の水族館が一つ閉館したとニュースがあった。
噂では、警察に見つかればまだ御の字で、罰金や数日間の刑務所暮らしで済むらしい。問題はウサギにバレたとき。ある人は月まで連れてかれて一生奴隷にされると言っていた。別の人は、四肢をもがれてクラゲの餌にされると。ウソかホントかはわからない。誰も本当のことは知らない。
「バンドメンバーにクラゲがいることは、知る人ぞ知る秘密でさ。で、どこから秘密が漏れるかもわからなかったし、かといって、ユキちゃんを手放してまで歌うつもりはなかったし。で、逃げることに」
知る人ぞ知る、に自分が入っていなかったことはショックだったが、いまはこうして、九十九さんと秘密を共有し合っている。かつてのファンの中なら、わたしが間違いなく一番だ。
「あっ」
運転席から聞こえた九十九さんの声で、現実に引き戻される。映画は佳境。なんだか大きなバリアが張ってあるのが見える。
「なに?」
「水の替えがなくなりそうっす……」
ユキちゃんの水槽には、宇宙船用の循環器が組み込まれている。もちろん、ウサギテクノロジー。ペットボトル大のカートリッジには十数リットルの水が超圧縮されていて、これが水槽の水と循環することで、丸1週間は水の取り替えも掃除もいらないという優れものだ。
「てことは、ジョーさんのところか」
「い〜や〜だぁ〜」
ぷぁん、と気の抜けた音が聞こえた。おおかた、九十九さんがハンドルに突っ伏して、クラクションが誤爆したのだろう。
「あの人苦手なんだよぅ」
「恩人になんてことを」
「いいや。嫌われてる。絶対嫌われてるね。あたしのこと嫌いな人、あたし嫌いだもん」
「あれみたい。卵が先かニワトリが先か、みたいなやつ」
「こんなご時世だから言えるけどさ、ニワトリはキャトルミューティレーションされたんじゃね。つまり宇宙ウサギが先!」
「地球ウサギと宇宙ウサギだったら?」
「お……おう? 地球のウサギが宇宙ウサギにキャとられて……あれ?」
飛び降りて、窓からウィンカーを点けた。カチカチカチ、とカウントダウンを始める。
「3……2……1……」
「待って待ってストップ!」
「ゼロ。答えはジョーさんに」
「さいあくぅ……」