エンドロールに入ったところで、キャップを目深に被り、集金に回る。お代は一台につき1000円。レンタル落ちのDVDで勝手に放映しているから、ボロもうけ。
ガソリン代と毎日のご飯、ユキちゃん用のカートリッジ代。あとは細々した日用品の出費とか。とりあえずはこれだけ賄えればいい。
いくらか蓄えのあるわたしと違って、九十九さんはガチの素寒貧だ。「宵越しの金はもたねぇ主義だぜ」とのたまうが、とうの宵を越す分すら持ち合わせがないのだから偉そうにする権利はない。
でも放っておくと悪い男に引っかかりそうだから、仕方なく面倒を見ている。仕方なく、だ。
「はい、今日の上がり。5000円」
「うーん、ビミョい。スターウォーズだよ? もっと観に来てもいいじゃんか」
「人が増えて困るのはわたしたち。まぁでも、ジョーさんへの支払い考えるとちょっと心許ない」
「やっぱり行くのやめようよ〜」
九十九さんが駄々をこねる。
「ユキちゃんはどうするの」
「わかった! ウサギから盗むってのは?」
「これ以上罪を重ねる気」
「ひぃーん……わかったよぅ」
エンドロールの最後を待たずに、車が一台、また一台と去っていく。DVDが頭に戻る頃には、砂浜にはわたしたちしか残っていなかった。
せっかく荷物を下ろした日に、広々と寝ない手はない。何かあったとき、すぐにしまえるよう車の近くに荷物はまとめて、寝る準備を始める。
さしもの九十九さんも水回りを公衆トイレで済ます覚悟はなかったのか、洗面所は車にしっかり完備されている。歯磨きくらいなら車で済む。さすがにお風呂はないけれど、ちょっと前のサウナブームで、街にはやたら公衆浴場が増えている。
サウナのなにがいいのか当時は見当もつかなかったが、今ではありがたい限りだ。
「マジ!? コウちゃんサウナ入ったことないの?」
「なにが悲しくて自分の体に過負荷をかけるのか理解できない」
髪も傷むし、暑いし、暇だし。映画でも流してくれたら、行くかもしれない。
「コウちゃんって、学校の長距離走もサボったタイプ?」
「成績に響くから最低限真面目にやってた」
「つくづく現実主義な女だなぁ。じゃ、今度一丁行っちゃいますか」
「ヤダ」
「なんで! 今行く感じだったじゃん! 青春ぽかったじゃんかー!」
だって、髪傷むし。
「コウちゃんがこんな子だとは、あたし想像してなかったよ」
「それは絶対こっちのセリフ」
初めて会ったときのことは、今でも忘れない。のっけからファンの期待を裏切ってきたのだ、この女は。
「今日一緒に寝るっしょ? 枕あたしが使っていい?」
「イヤ。いい加減自分の買って」
「じゃんけん5連敗だし! さすがに体壊れるっつーの!」
「ワガママばか……」
まだまだずっと先だが、道路の向こうに、赤い明滅が見えた。
「ちょ、いまワガママバカって言った? なにその新しい悪口」
「違う違う、あれ」
言いながら、道路を指差す。赤い明滅は、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
「うぉーっと……えっ、片付け間に合う?」
「ギリ」
「急げ急げ」
うがいもそこそこに、撤収作業に取り掛かった。
赤い明滅は、おそらくサイレンだ。パトカーか、ウサギの巡回車か。どちらにしろ、関わらないに越したことはない。砂浜に停めてある怪しいキャンピングカーなんて、職質の格好の的である。三十六計逃げるに如かず。
「九十九さん、ちゃんと働いて」
「違くて! このスピーカーが入らなくて……えっ? もしかして成長した?」
「ワガママバカ」
「今度は言い切ったな!」
九十九さんがスピーカーをしまい終わるのと、赤色灯を焚いた車がパトカーと分かるほどに近づいてきたのは、ほぼ同時だった。
パトカーが、砂浜と湾岸道路をつなぐ出入り口を塞ぐように停車する。ほら、職質待ったなし。
「そこのお姉さんたち、ちょっと話聞いてもいい?」
警官2人が歩きながら、声をかけてきた。エンジンはアイドリング中。逃げようと思えば、いつでも。
警官との距離は10メートルほど。虚をつけば、車に乗り込んで十分加速できる。
ただ、その虚が−−。
九十九さんと目が合う。九十九さんが頷いた。あたしに任せて、と目で言っている。
不安しかない。
「どうも〜! 一九十九でっす! 名前と名字足したら100ですよろしくね」
九十九さんが警官たちに手を振った。
ほら! 絶頂期で引退したバンドのボーカルが突然現れたらこれほどない虚だけども! このあとわたしたち逃げるんだよね?
なりふり構っていられない。警官たちの歩みが一瞬止まったのを横目で確認しながら運転席に飛び込んだ。サイドブレーキを外して、助手席のドアを開ける。
「九十九さん!」「おい!」「では!」
三者三様の声が交差する。アクセルを踏み込んだ。
砂の上で、タイヤが空転する。一瞬の間をおいて、地面をしっかり掴んで、推力が伝わりだす。
「ちょちょちょ、乗ってない乗ってない乗ってないって!」
助手席側のドアにぶら下がるかたちで、九十九さんが引きづられていた。
ほんとにこの人は。
「どうしていつもそうなの!」
「あたしだってもっとスマートに乗りたかったぁ〜!」
アクセルは緩められない。バックミラーの中では片方の警官がこちらに向かって、もう片方がパトカーに戻り始めている。
「あぶっ、な! コウちゃん、止まろ! 謝ろ! あたしが死ぬ!」
波打ち際まで車を寄せる。水分を含んで固くなった砂浜をタイヤがつかんで、さらに車が加速する。
石でも踏んだのか、車が跳ねた。ドアが大きく開いて、九十九さんの姿が視界に入る。その向こうには夜の海。海の向こうに、工場やコンビナートの明かり。
今さら止まって謝ったところで、許されるもなにもない。逃げるか死か、二つに一つだけ。
「歌うから! あたし歌います! 世界平和のために歌わせてくださぁい!!!」
「足あげて!」
叫ぶと同時に、ハンドルを思い切り左に切る。
「ちょぉぉぉおお!」
フロントタイヤが水面を切った。ぐるりと視界が回って、追いかけてきた警官とのフロントガラス越しに目が合う。
このまま反動を使って−−。
だんっ、と大きな音を立てて、助手席側のドアが閉まった。
アクセルをベタ踏みする。エンジンがうなりを上げた。タコメーターがみるみる右に寄って、一気に加速する。迫り来るわたしたちを避けようとして、警官が海に飛び込んでいった。
「っ……死ぬかと思った」
助手席に頭から突っ込んできた九十九さんが、そのままの体勢で言った。
「ねぇ、結構ギャンブルじゃなかった?」
「九十九さんなら、ドアの反動を生かして帰ってこれると」
「九十九さんもね、びっくりだよ。コウちゃん荒っぽいところあるよね。九十九さんだからよかったけど、ほかの人にしちゃだめだかんね」
「まだ終わってない」
今度は後ろから、パトカーが迫ってきている。