「コウちゃんさ、無免許なのになんでそんな運転上手いわけ?」
「他の人が下手すぎるだけ」
運転下手は罪。渋滞をつくるなんてもってのほかだ。
海岸と湾岸道路の間にはちょっとした土手になっている部分もあって、そこは遊歩道として使われている。
「コウちゃん待って、お願い、聞いて。今からしようとしてること、なんとなくわかるからさ。だからお願い、シートベルトだけ付けさせてくださあぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」
車体が大きく跳ねて、九十九さんがひっくり返った。
「やばい、ユキちゃんは!?」
「無重力ボックスのなか!」
一応、お尋ね者ではあるので、万が一の備えはいろいろ施している。衝撃吸収ボックス、通称『無重力ボックス』もその一つ。
外見はただの金庫だが、2重3重に施されたサスペンションが外からの衝撃を緩和し、まるで重力がないかのように安定を保つのでそう呼んでいる。
車移動が想定される際のユキちゃんの特等席で、九十九さんの作品だ。
「じゃあ安心だ。違う! あたしが危ない!」
「しっかり捕まって!」
遊歩道に乗り上げ、そのまま湾岸道路へ飛び出した。東京方面へ進路を取り、ひた走る。バックミラーに小さく赤色灯が光っている。
「うわ、まだ追ってきてんじゃん」
「撒く」
500メートルほど走ったところで住宅地へ。高級マンションが建ち並ぶ閑静な区画は、碁盤の目のように道路が走っている。細かく右左折を繰り返し、国道14号へ抜けた。
が。
「……っ先回り!」
向こうの土地勘もバカにできない。こちらの進路を塞ぐように飛び出してきたパトカーをかろうじて避ける。
「ちょっとちょっと。警察増えてきてね?」
バックミラーに映る赤色灯の数が増えている。早めにどうにかしないと、数の暴力で潰されそうだ。
かくなるうえは。
頭のなかに地図を描いた。このまま少し行くと、高速道路の入り口。そこは料金所がなく、一定区間なら無料で行き来できる。検問をはられる前に
最高速で入り口に突っ込んだ。目視で5台のパトカーに追跡されている。
加速車線を駆け抜けながら、本線に目をやった。予想通り、深夜帯でも交通量はそこそこ。この量なら十分、デコイになる。
分離帯が途切れると同時に、本線へハンドルを大きく切った。
サイドブレーキを引き、ドリフトで車体を回す。
カウンターとブレーキングで角度を調整し、車体が反転したところで再度アクセルを踏み込む。
逆走
相対速度だと、おそらく200キロ近く。プロ野球選手の投球より早いスピードで、次々車が迫ってくる。
小刻みにハンドルを動かし、すべて躱していく。
周りから音が消えていく。
頭の中がしんとする。
血管に氷でも流されたかのように、雑念が消えてすっきりしていく。
自分が集中しているのがわかる。
遠くと近くが、同時に見えた。
こちらに向かってくる車の挙動と、運転手の驚く顔。ヘッドライドのちらつき。流れ星のように過ぎ去っていく照明灯の光。タイヤがアスファルトを切りつける振動。エンジンの駆動。
わたしの鼓動。
もう何台捌いただろう。どれくらい走っただろう。呼吸も忘れて、車の雨を、濡れないように駆け抜ける。
後方が騒がしい。ふらついた車たちが、いい感じに、パトカーを邪魔してくれているようだ。
次の出口で高速を降りた。
入り口同様、料金所のない出入り口。一般道に戻り、再び東京方面に車を走らせる。
パトカーの姿は見えない。一般車も周囲にない。誰にも見られていない。変えるならいまだ。
キャンピングカーにはジョーさん特製の塗料が塗ってある。普段は白色だが、電気を流すことで黒に変色する仕組み。運転席からスイッチ一つで白と黒を入れ替えられる。
単純なトリックだけど、これが意外と騙される。車の色が簡単に変わるなんて、誰も思わないものだ。
もともと人間将棋ならぬ、車オセロをするために開発したらしい。ジョーさんの趣味はよくわからない。
すぐ後ろを、高速の入り口に向かってパトカーが数台駆け抜けていった。
「焦ったぁ、真香さんに文句つけちゃろ」
九十九さんがポケベルを取り出した。白地にラメのシールでデコってある。バンドメンバーとの連絡用だ。
「スマホは傍受されるからね!」と言っていたが、わたしは知っている。スマホを買っては落とし、買っては落としで散財。生活費の管理もおぼつかず、滞納を重ねて解約。スマホを持てる人じゃないのだ、九十九さんは。
こんなんではあるものの、工作は得意らしい。割と色々なものを自作していて、生活の足しにしている。ときどき、さっき渡してきたクズのマニ車みたいなのも作るけれど。
無重力ボックスも、ゴミ捨て場に落ちていた部品を組み合わせて作っていた。
そういうチグハグなところも、ずるいと思う。
「05、っと」
「なにそれ」
「おこ。怒ったぞの意味」
「暇なら見張ってて」
このまま高速に乗って東京まで行きたいが、パトカーの巡回があったのが気がかりだ。
ドライブインシアターを開催する日は、真香さんが陽動を請け負ってくれている。バンドを始める前は千葉を拠点とする走り屋だったらしく、今も仲間を連れて走り回り、警察の目を引いてくれている。
それが今日に限って、パトカーがわたしたちのところまで流れてきた。そんな日もあるといえばそれでおしまいだけど、今までこんなことなかったから気になる。
「ねぇ、聞いて聞いて。さっき死にかけたからかな、決まったんだよね」
「覚悟が?」
「なんでさ。最後の晩餐だよ」
覚悟を決めておいて欲しかった。
「やめよう、この話」
「なんでよ聞いてよ。この答えに至るまでだいぶかかったけど、ようやく辿り着いた。いや、最後のピースがハマったって感じかな」
ドヤ顔でもったいぶる。勝手に死にかけておいて何様のつもりなんだろう。シャウが候補落ちしたことは知っている。わたしが引き摺り下ろしたようなものだ。
あれは、九十九さんと初めて出会った夜のことだった。