哲学や思想の形態とは、多くの場合、それ以前の思想を「否定」や「批判」することで、新たな地平を切り開いていく——いわば「弁証法的」な流れを持っている。
ここで、その見方に習って、近代哲学の流れを概観してみよう。
(近代哲学に興味がない方のために、ダイエットの変遷も併記する)
カントは、経験主義と合理主義というカント以前の一方的立場を否定し、「認識は感性と悟性の共同作業」とする「批判哲学」を構築した。
(「りんごダイエット」は、消化も良く、低カロリー、かつ簡単ということで、昔、爆発的に流行)
フィヒテは、カントの限界主義を否定し、「自我が世界を構成する」という徹底した主観主義を提唱。
(りんご食べてばっかいると太るので、次に脂肪の摂取を極端に制限する「低脂肪ダイエット」が台頭)
シェリングは、フィヒテの主観主義を否定し、「自然にも主体性がある」として、自然と精神を一体化する哲学へと進む。
(脂質も重要な栄養素であることが理解され低脂肪ダイエットも衰退。やはり時代は運動だ、と米軍式エクササイズDVDに合わせて自宅で筋トレする手法が爆発的普及)
ヘーゲルは、この方向性に懐疑を持つ。結果、両者の対立を止揚し、「精神の発展史=世界史」とする絶対精神の弁証法、歴史的・発展的な体系を構築。
(あまりも過激な運動量で挫折者が続出。もっと簡単にできないかということで、朝食をバナナと水にのみにする「朝バナナダイエット」が出現)
ニーチェは、このヘーゲルの「絶対真理」を否定し価値の転覆を試みる。「価値の転換」「力への意志」「永劫回帰」などを唱える。
(朝、バナナばっか食べてても飽きるし続かない。ここで主食・果物・甘味などをほぼカットする極端な「糖質制限ダイエット」が提唱される)
ハイデガーは、この「認識する主体」としての人間像「主体中心」の考え方を否定し、「存在するとは何か」を問う存在論へ思想の舵を切る。
(糖質制限内容が極端すぎるため、栄養バランスが崩れ、体調を崩す人が続出。ここで少しでも栄養を取ろうと、1食または複数食を特定のドリンクやサプリに置き換える「置き換えダイエット」なるものが拡がる)
…このように、思想の流れとは「否定」と「継承」を繰り返しながら進化していく。
きっと今も、私たちはその流れのただ中にいるのだろう。
【弁証法的世界観】