いつものように文壇社で打ち合わせをしていた時であった。
「会ってほしい新人作家がいるんですよ」
「別に構いませんけど、どうして?」
すると、山北の表情は少しだけ暗くなり、訥々と語りだす。
「……実は、その新人作家はとにかく素行が悪くて……」
「……はい」
「私達の手には終えないくらいに最近はなってきて、終いには『南方健三に会わせろ~!』っていいだして……」
「は、はい……」
「……マジでどうにかしてください! お願いします!」
頭を深々と下げる山北。
「……わかりました。とにかく、一回、会ってみましょうか!」
「……!!! 本当ですか?」
「はい」
「では、この日の……」
そんな経緯があり、問題の新人作家と顔合わせをすることになった。先に待ち合わせ場所の喫茶店に着いたのは山北と俺で、後は渦中の本人が来るだけである。
しばらく、コーヒーを飲みながら時間を潰していると、見覚えのある横顔と金髪が目に飛び込んできた。以前よりも、化粧は控えめで、格好も落ち着いている。間違いない。彼女は……。
「━━君は、あの時の……?」
「……そういうアンタは、南方健三先生だな?」
現れた少女はあの時の原稿を落とした少女。そして、小説家殺し。の作者。
「私のデビュー作読んでくれたよな?」
生意気そうに立ちつくす彼女は、喜多方南。俺を殺した新人作家だ。
「あぁ。それはもう。劇薬のような小説だったよ。それこそ死を覚悟したくらいに」
あれはただ一人を殺すため。選考委員、いや、小説家を射殺さんとするための劇薬のような小説であった。
「……まぁ、あれはアンタへのラブレターみたいなもんだ」
「!!!」
「何を照れているんだよ。童貞か?」
クスクスとからかうように笑う喜多方。
「……あんな殺意ましましの小説をラブレターと呼ぶ神経と、先輩作家を童貞呼ばわりする口をどうにかしないとねっ……!」
「ふははは! まぁ、よろしくな! センパイ?」
「あぁ。不本意ではあるが……」
「で、今日は何の話し合いだ?」
「それは、君の素行の悪さとかその他諸々の矯正というか……」
「つまりは、私に縛りプレイをしろと?」
「いってねぇよ!」
「てか、それよりもセンパイはもっと大変なことがあるんだろ?」
核心を突く質問を投げかける。
「えっ?」
「━━小説の方、書けなくなっているんだろ? 文字通り、EDだな?」
編集者の北山にすらいっていなかった自身の問題。
「━━ッッッ!!!」
「しかも、私の小説を読んでからだよな?」
「…………」
しばらくの沈黙。先に開口し、俺を閉口させたのは彼女だった。
「……たは……」
「ん?」
「……アンタはあんな小手先の小細工で小説を書くヤツじゃなかった!!!」
「腑抜けていたから……」
「腐りかけていたから……」
「だから、私が価値観をぶっ壊してやろうとした……!」
「小説家として殺してやったんだよっ……!」
「それが南方健三を殺すためだけに書いた小説━━小説家殺し。だ……!」
「……悔しくないのかよ! 情けないと思わないのかよ! こんな小娘一人にやられてさ……!」
「……仮にも小説家なら、小説で殺し返してみせろ━━ッ!!!」
「ボワッ……」鈍い音共に久しく忘れていた感覚が想起される。それは、まさしく。創作への炎、情熱と呼ぶべきもの。今の僕に欠落していたものでもあった。
「……一つ、訂正しよう」
「何だよ、センパイ」
「……書くことは、何も殺し合うことじゃない。書くことは、生きることだ……! これから、骨の髄まで教え込んでやるよ。創作の、小説家としてのいろはをな……!」
「……ふっ! やっと、ヤル気になったか。ふにゃちんやろう……!」
「山北さん……! 少し用事ができました。お先に帰らせていただきます」
「は、はい」
「じゃあな、喜多方」
「あぁ、センパイ。次会うときには、もう少しましな面になっていることを願うよ」
「…………!!!」
斯くして、俺は原稿(せんじょう)へと容赦なく駆り出された━━。
***
それから、一週間。不眠不休でプロットなしに俺は原稿を進めていた。以前の感覚を手繰り寄せるように、探るように、脳内から湧き出る文章や、情景を出力していく。何やらガタッという玄関の扉が開いたような音がしたが、今の俺には関係ない。ただただ書いて、書き続けるだけだ。
「……先輩~! 愛しの奥さんが来ましたよ~……」
甘い香りと声が鼻と耳を刺激する。
「……先輩。小説書いているんですか?」
「……あっ! 何だよ、あんなか。今いいところだから、三十分くらい待ってくれない?」
完全に集中していたため、同業者である作家の東方あんなが来たことに遅れて気がつく。
「……いいですけど」
それから、きっちり三十分。俺は、休まず原稿を書き続けた。
そして……。
「━━あぁ。終わった……」
「…………」
「で、何だ? あんな? 告白なら前に断った筈だけど?」
すると、彼女は「ダンッ!」と机を叩きながら、
「……しらばっくれないでください! 先輩! いつから、書けるようになったんですか? 何で、私には教えてくれなかったんですかっ!!!」
と詰問される。反駁すると、さらに怒りを買いそうだったので、慎重に言葉を選びつつ答える。
「……最近、とあるヤツのせいでまた書けるようになったんだよ」
「……それって、女ですよね? 男は先輩ノンケだし、好みじゃないから、確実に女ですよね? そうだといってください━━ッ!!!」
「……まぁ、女といえば女だな」
「……先輩の浮気者!」
さも彼女のようなことを口走る東方あんな。
「いや、そもそも付き合ってはいないよね? まずそこからだよ?」
「将来的には付き合う予定なんですっ!」
「あぁ! 頭いっちゃっているよ~! 俺はこんな頭のおかしな子に育てた覚えがないのに……」
トホホと泣くような仕草を見せると、
「そうですよ! 先輩が私をこんなに重い女にしたんですからねっ? 責任取ってくださいよ?」
「なるほど、これが会話の一方通行か……」
「えっ? 両車線ともに開通している感じじゃないですか?」
と、素っ頓狂なことをいいだす。
「……ははは。本当にあんなは頭がおかしいな~」
やべぇ。なんか目がチカチカしてきた。お星さまかな?
「えへへっ! それほどでも~!」
「うん。いい病院と彼氏紹介しようか?」
「嫌です。先輩がいいです。まぁ、冗談はここまでにして……」
「えっ? 冗談だったの? で、それで何だよ?」
「……何で書けるようになったんですか?」
少しだけ不機嫌そうに質問する彼女。
「……これは、俺の知人の話だ」
「はい?」
「あるところに人さえ、それどころか、死者さえも蘇らせられるといわれた作家がいました。その作家は文字通りの天才でした。順風満帆に執筆活動を続ける中である時、一人の少女が書いた小説に出会います━━」
慈愛と慈しみ、かつて味わった諦観を織り交ぜて訥々と語る。
「その少女の小説はかつて自分が書いたものと瓜二つで、しかも、さらに自分の上をいっていました」
「……」
「その作家は彼女の劇薬のような小説に小説家として全く及ばず、見るも無惨に惨殺されてしまいました。小説の書けなくなった作家は路頭に迷います。しかしながら、神は……その少女はその作家がただただ野垂れ死ぬことを許さなかった」
「…………!」
「その少女は一度殺したその作家に再起のきっかけを与えました」
「書くことは殺すこと。かつて少女はそういい、そして、その作家は書くことは生きることだと異を唱えました」
「…………」
「その作家は書くことは生きることだと、殺し合うことではないとかつて赴いた……駆り出された荒野という名の戦場で今でも、自身の生きる証を探しているとさ。めでたし、めでたし」
強引に力任せに語りを終えるストーリーテラーもどき。なんともいえない神妙な空気が張り詰める。
「……その作家は幸せですか?」
「……さぁな。それは当人が決めることだ」
「ハッピーエンドでもなく、かといってバッドエンドでもない……ビターなエンドですね」
「あぁ。人生は苦いくらいがちょうどいいのかもしれないな」
そう呟いた俺の声は不思議と活力のようなものが内包されていた。
「先輩」
「どうした、あんな?」
「何で人間は一名、二名って数えられると思いますか?」
突拍子もない質問。意図するところ。その真意はわからない。
「動物とかと差別化するためか?」
「まぁ、それもあると思いますが……」
「???」
「……死ぬ時や死ぬ前に名前という名の使命(氏名)が残るからですよ」
「!!!」
「まぁ、気楽に適度にやればいいんじゃないですか? ついでに、一言いうと……」
「…………」
「小説はもちろん、読者のことを考えることが大切、当たり前ですが……」
言葉を取捨選択しながら語る様子の彼女。
「━━しかしながら、同時に自分の全てをさらけ出すほどの覚悟がないといいものは書けませんよ」
「……自分のすべてをさらけ出す……」
「まぁ、あとは自分で考えてみてください。それで、その今日書き上がった原稿はどうするつもりですか?」
「あぁ。この原稿か……」
「はい」
その時には、既にカーソルは動き出していた。
「この原稿なら━━ッ!!!」
「えっ? 先輩? 何を……?」
デスクトップ上の矢印の向かう先。数多の企画・原稿の屍たちの集う先。すなわち……。
「削除」……デリートボタンをワンクリック。
「ま、まさか……!」
「あぁ! 最初から書き直す!!!」
「……はぁ。本当に先輩はお馬鹿さんですね。それに行動も読めませんし」
「バカで結構だ。それに、予定調和通りなんてつまらないだろ? 番狂わせ……もとい、乱調がないと!」
実に十万文字の傑作だったかもしれない小説。原稿用紙数百枚分。それをバックアップすら取らず、衝動的に消すのは愚策だともちろん、頭の中ではわかっている。しかしながら、古木のような燃えやすく、天気のように移ろいやすい俺の心はそれを許さなかった。飛び火した炎はどこまでも際限なく伝播し、俺を灼熱の魔人へと変貌させる。
今の俺は、どんな顔をしているだろうか? 笑えているだろうか? それとも……。
「……先輩」
「なんだ?」
「今の先輩、凄い顔をしていますよ」
「かもな」
鏡を見るまでもなく、今の俺は凄まじい顔をしているのはなんとなくわかった。例えるとすれば、死なないために生き続ける兵士(ソルジャー)のような。義勇兵のような有り様だろう。もっとも、俺が再び突入するのは文字と感情の弾丸が飛び交う……文字の通りの「原稿(せんじょう)」だが。
「じゃあ、頑張ってくださいね?」
まるで戦場に向かう兵士をたたえるかのような言葉を口に出す彼女。なんだかんだあんなとは長い付き合いだ。俺の表情と、微かな声音のゆらぎから感じ取ったのだろう。俺……ライトノベル作家、もとい、小説家━━「南方健三」は三度戦場へ身を投じると。仮に死ぬ運命になったとしても、せめてもの足掻きとして前のめりになってくたばるだろうと。
「あぁ。やってやるさ……!」
その言葉を皮切りに時には優しく、時に激しくキーボードを叩く音と微かな呼吸音が1Kの部屋を支配し始めた。
「カタカタカタカタ!」と響く打鍵音。物語の筋書きはとっくにできている。後は、自身のすべての感情と化学反応を起こすだけだ……! 曝け出せ、自身の一糸まとわぬ、ありのままの姿を! そうだ! あの時もそうだった。処女作を書き上げた頃もこんな感じだった! 初期衝動を忘れるな……! 感情に飲み込まれてもいい。自身を見失いさえしなければ……! 揺蕩うは文字と感情の狭間。
「…………!」
初期衝動を助燃剤に心を燃やしつつ、それでいて今まで培ってきた職人、プロ作家としての能力を遺憾なく発揮する。相反する二つの力をかけ合わせ、指数関数的にパワーを上げていきさらに、ブーストさせていく。
(…………いけ…………)
(…………いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!)
水と油。異なる二つのものを結合させるには、乳化剤がなくてはならない。今まさに、小説を愛する心と僅かな野望。そして、克己心がそれを可能にしていた。
(…………アイツは書くことは殺すことだといった!)
(確かにある種の正解なのかもしれない。でも……)
(……俺にとっては書くことは生きることだ!)
(……作家は書くことでしか報われないし、生きられない!)
故にこそ、覚悟と勇気を以てして一打、一打。燃え盛る魂と、ヘドロのような粘性をもった執念を込める……!
「……れは……」
「……俺は……!」
「作家だ……! 小説家、南方健三だ……!」
想起し、見据えるははるか先の未来。
「……殺されたまま。屍で終わってたまるか……! 書くことは生きることだ!」
書く。
書く、書く。
書く、書く、書く。
書く、書く、書く、書く……!
「……勝負だ! 喜多方南……!」
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
「本当にあんな顔久しぶりに見たな~」
「本当に誰だろう? 先輩をあんなにしちゃったド畜生は」
「まぁ、頑張ってね。先輩」
彼女は一人、呟き。
そして、他方では。
「……センパイ、書いているかなぁ~」
「……まぁ、期待しているよ?」
「センパイ?」
少女はあの時、殺したカレを想起する。
また、渦中の戦場では。
「……お前の価値観を!」
「固定観念を……! 生かしたままぶち壊してやる……!」
「カタカタカタ!」と打鍵音は加速度的に速まっていき、人間の限界到達点にすら至る境地にあった。意図せずして喜多方南は「魔王」を復活させてしまったのかもしれない。RPG然り、創作物における魔王は復活した後の方が遥かに強い。例に漏れず、小説家・南方健三は彼女が生み出した「小説家殺し。」にも勝るかもしれない究極の小説を作り出していた。
そして、初稿を仕上げると。
タイトル……「表題」に殊更、スローテンポに漢字二文字を打ち込む。
「……タイトルはこれに決定かな?」
ワープロソフトの原稿データのトップに重々しく飾られたタイトル。
タイトル「魔王」 作・南方健三
斯くして、魔の王は解き放たれる……!