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第3話

清晨様せいしんさま、何を拾って来られたのですか? 犬?」


 軍師様を出迎えた若い従僕は、案の定困惑した顔だ。

 彼の言葉で、珠珠は軍師様の名前を思い出した。

 碧清晨へきせいしんだ。

 大貴族七氏の一つ、碧氏の次男。尊い方なので、同格以上か親しい人でないと名前は呼べない。この従僕は、軍師様と親しい仲なのだろう。


仲達ちゅうたつ、よく見るのだ。犬ではなく、狐だろう」

「え?! 小太りしてるから分からなかったです」

「狐は何を食べるのだろう……」

「ちょ、飼うんですか?!」


 清晨せいしんの両手でむんずと胴体を掴まれ、珠珠じゅじゅは逃げられないまま、その言葉を聞いた。

 飼うのは止めて! 帰るところがあるのよ~。

 しかし人間の姿をさらす訳にはいかない。そんなことをすれば、話がもっと複雑になる。魔物と間違えられて討伐されてはかなわないし、百歩譲って人間と認められても身分の低い者が貴人の家に上がり込んだらどうなるか。

 手、離してくれないかな……

 外に繋がる透かし窓の辺りを見つめていると、視線に気付いた清晨せいしんが何か思い付いた顔で笑った。


「狐君、うちにいてくれるなら、美味しいお菓子を馳走するよ。ヨモギをたっぷり練り込んだ餡入り青団はどうだい?」

「ははは。清晨様じゃあるまいし、狐の主食はそんなものでは……食べるの?」


 ピタッと動作を止めて耳を立てた珠珠に気付き、仲達ちゅうたつと呼ばれた従僕は唖然とする。

 珠珠は、お菓子が大好物だ。

 碧氏ほどの大貴族なら、青団もすごく凝っていて美味なものが出てくるに違いない。じゅるり。食べてから帰っても、いいんじゃないかな。


「私たちは気が合うようだ」


 逃げる気を無くした珠珠を膝に乗せ、清晨は満足そうだ。

 背中をゆっくり撫でてくる。

 わあ、幸せ~。

 まったりくつろぎながら、珠珠は密かに清晨を見上げる。おかしいな。雨の中で金色に見えた瞳が、今は落ち着いた琥珀色だ。


「仲達、菓子を」

「普通の夕食も食べて下さいよ」


 いつの間にか、日が暮れかけている。

 珠珠は帰らなければと思いながらも、軍師様の夕食と菓子に好奇心がそそられて動けない。

 明日、朝イチで帰れば良いか⋯⋯

 思い悩んでいると、侍女が菓子を運んでくる。

 目の前に皿を差し出され、珠珠はわくわくしながら、青団に食い付いた。

 求肥ぎゅうひが、もちもち!!!

 新鮮なヨモギの香りのする緑色の餅は、今まで食べた中でも屈指の美味しさだ。これ、自分で再現できるかしらん。それにしても、今は夏なのに、こんな春の香りをぎゅっと詰め込んだ青団を作るとは、軍師様お抱えの糕点師は凄腕だな。

 青団をむさぼる珠珠を眺めながら、清晨は机の前に移動して書類仕事を始める。墨をすって、紙に筆を走らせる音が響く。

 しばらく、穏やかな時間が過ぎた。

 お腹がいっぱいになった珠珠は、ぼうっと書き物をする清晨せいしんを見つめる。軍師様は途中で本気になったらしく、夕食そっちのけで書類に打ち込んでいる。


 ⋯⋯はっ。今は何時?


 皿の前でうとうとしている内に、外が暗くなっていた。


「お湯をお持ちしました」

「その辺に置いてくれ。あとは適当にやる」


 気付くと、侍女が湯桶を運び込んだところだった。侍女が出ていった後、目の前の男は無造作に服を脱ぎ始める。

 軍師様!!

 ご褒美が過ぎます!

 凝視する狐の仔の前で、清晨せいしんは夜衣に着替え終える。


「どうした? なぜ固まっている?」


 人間の姿じゃなくて良かったとしみじみ思う。ばれたら痴女扱いされる。墓の下まで、この秘密を持っていかなければ。固く誓う珠珠を、清晨せいしんは片手で持ち上げた。

 書斎を出て、寝室に運ばれる。

 寝台まで来ると清晨せいしんは改まって言う。


「言い忘れていたが、昼間は傘をありがとう。助かった」


 ?!


「おやすみ」


 鼻先に、軽く男の唇が触れる感触。

 衝撃を受ける珠珠を枕元のかごに入れて、軍師様は早々に眠ってしまった。


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