この世は身分社会、貴族は絶大な権力を持ち、問答無用で平民を切って捨てられる。
だから深夜だろうと、小さな下町の餅屋を営む一家と珠珠は、平伏して白氏の遣いをもてなした。
「その方が昨今、評判の菓子を作る糕点師か」
「は、はいっ」
英林が緊張した面持ちで受け答えする。
白氏の遣いだという男は、珠珠が出した緑茶には手も付けず、汚らわしいものでも見るように、夜の店内を
「聞けば、中秋節に一級の試験を受けるとか。私の主の依頼を受ければ、特別に選考を通過させ、御前品評まで行かせてやろう」
「!!」
「その代わり、第一皇子の御前にて菓子を供する際、これを入れるのだ」
男は、英林の前に薬包を置いた。
「これは」
「そなたらは知る必要はない」
まさか、毒……?
目立たぬよう後ろに控えている珠珠の心臓が、不安と恐怖に高鳴った。
「ふん、下町の餅屋ごときでは、到底一級には届かぬのだから、今回は望外の幸運と思うが良い」
「それはどういう」
「知らぬのか? 一級の糕点師ともなれば、後ろ盾に貴族がおるのは普通のことよ。そなたらは腕が良いようだが、世間を知らぬ。後ろ盾もない、そなたらは、一級になれないと試験前から決まっている」
そんな?!
平民でも成り上がるチャンスがあると思われていた糕点師選考に、そのような罠があるとは。
やはり、貴族に生まれなければ、平民はどこまでいっても
珠珠は両手をぎゅっと握りしめた。
実力が全てだと思っていた菓子作りの世界に、裏切られた気分だ。
「ありがとうございます! いただいたチャンスを無駄にはいたしません」
ところが、英林は明るい顔で、勝手に承諾の返事をしてしまう。
珠珠はぎょっとしたが、止められる立場ではない。
「必ずや、白氏様のご期待に応えてみせます!」
「話が早いな。気に入った。期待しておるぞ」
白氏の遣いの男は満足そうに頷き、長居は無用と去っていった。
男が去った後、珠珠は我に返る。
大変なことになってしまった。
「ちょっと英林さん!」
珠珠は英林に詰め寄ろうとしたが、英林をはじめとする店主と家族の面々は聞いちゃいない。
「やった〜、運が向いて来たぞ!」
ええっ?!
どう考えても胡散臭いでしょ!
白氏の遣い様は、うちに厄介事を押し付けて体よく利用してやろうとしか考えてなさそうなのに。もし首尾よく第一皇子を暗殺できたとして、英林たちに罪をなすりつけそうだ。
幸運どころか、罠に
「白氏が後ろ盾に付いて下さるなんて、頑張って菓子作りをしてきた甲斐があった!」
頑張って菓子作りしてきたのは私!
あなたたちは見てるだけだったでしょうに。
全く
この人たち、駄目だわ……
「おい、豚」
のろのろと顔を上げると、英林が薬包を押し付けてくる。
「聞いたな? 第一皇子用の菓子に、これを入れろ」
「…………」
明らかに毒と思われる包みを押し付けられ、珠珠は絶句した。
彼らは、自分の手を汚すつもりがないのだ。
「まさか断ったりしないよな。まあ、お前が断っても、誰か人を雇えば良い。白氏様が付いてるなら、確実に一級糕点師になれるから、お前は必要ないな」
それを聞いて、珠珠は絞り出すように答えた。
「私に……やらせて下さい」
冗談じゃない。
他の誰かに任せるなんて、絶対に嫌だった。
これが全ての終わりだとしても、諦めない。珠珠自身の手で、幕を引いてやる。