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第13話

「娘、珠慧じゅけいと言ったな?」


 どうやってこの目立つ場所から出ようか、逃げ出せるか考えていると、壇上の清晨せいしんが声を掛けてきた。


「お前は、この菓子に込められた意図を知っているか」


 問われた珠珠は、覚悟を決めた。

 おおやけの場で不正をあばかれたのだ、どうせ英林の店は取り潰しになる。それは珠珠の菓子職人としての道も閉ざされたことを意味していた。

 これが最後の機会であるなら、菓子を作った者として、説明するくらいはしたい。


「はい」

「言ってみるがいい」

「季節を―――」


 珠珠は伏せ気味にしていた顔を上げ、清晨を見上げた。


「季節を巻き戻し、春にできないかと」

「春」

「先月、ご誕生の祭日を迎えられた雨龍皇太子殿下に献上する月餅です。花盛りの季節をもって、お祝いを申し上げたいと考えました。彩百合チューリップは春の花です」


 清晨は手にした月餅を陽光にかざし、興味深そうに眺めると、そのまま口元に運んだ。


「清晨?!」


 驚いたことに、焦った声を出したのは、第一皇子の潤祥じゅんしょうだった。

 第一皇子は心配そうに清晨を見ている。その眼差しは、単なる部下に対するものではなく、まるで兄弟に対するような親愛の情がこもっているように見える。

 しかし、皇子の視線を受けた清晨は、飄々とした様子で月餅を頬張っていた。


「大丈夫ですよ、殿下。毒はないと、先ほど、その娘が証明したばかりです」

「それはそうだが……」

「面白い味がする。あんに使われている材料は杏や苺だね。春を表現した訳だ。それに、この風味は、なんだろう。爽やかな香りがする」


 軍師様は味覚が鋭いらしい。

 珠珠は、気付いてもらえたことに喜びを覚えた。


柚子ゆずでございます、軍師様。柑橘類の爽やかな風味を加えることで、餡が軽やかに喉を通るように工夫いたしました。きっと、殿下は試食でお疲れになっているだろうと……」

「なるほど」


 くわえて、春の果実の酸っぱさを再現できないか考えた。

 その旨を説明すると、清晨は上機嫌でうなずいた。


「美味かった。このような繊細な表現は、たおやかな女人ならではかな」


 味の感想を聞き、珠珠は心が満たされるのを感じた。

 糕点師の名誉など、どうだっていい。

 まさにこの瞬間のためだけに、珠珠は菓子を作っている。

 清晨は一瞬、とても優しい笑みを浮かべた。だが、すぐに規則を重んじる官僚としての厳しい態度に戻る。


「しかし、選考としては失格だ。それは分かっているね」

「はい」

「よろしい。下がれ」


 珠珠は頭を下げ、衆目の中を進んで堂々と退場する。

 行く当てはない。

 しかし、胸の中は晴れ晴れとし、一点のくもりもなかった。


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