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第16話

 珠珠は、自分が何者なのか知らない。

 狐の姿になれるが、自分が妖魔のたぐいだとは思えない。人間をたぶらかすような危険な術を、一切使えないからだ。

 だから、自分は単に狐に変身できるだけの人間だと思っている。

 短い手足をほてほて動かし、欄干らんかんを伝って移動する。

 見回すと、灯りが付いている部屋があった。

 まだ起きている人がいるのだ。

 一か八か、優しい人だったら良いなと、その部屋を目指す。


「―――おや」


 蝋燭ろうそくの灯りで書き物をしていたのは、清晨せいしんだった。


「狐君じゃないか! 逃げ出してどこかに行ってしまったかと思ったが、実はうちの庭に住み着いたのかい?」


 う~ん、結果だけ見たら、当たらずも遠からず。

 珠珠は心の中だけで返事をし、彼に歩み寄る。

 手元まで近寄ると、予想通り清晨は珠珠を抱き上げ、膝の上に移してモフリ始めた。


「ほら、昼間に献上された月餅の残りものがあるよ。お食べ」


 ありがとう、軍師様!

 鼻先に差し出された月餅をむしゃむしゃ頬張る。

 昼間に献上されたって、糕点師選考のお土産みやげかな。珠珠が作ったものではないけれど、一級糕点師の作った菓子だけあり、なかなか美味しい。


「可愛いなぁ。ねえ、狐君。うちの庭にずっといてくれるなら、お菓子食べ放題だよ」


 清晨はにこにこしながら、珠珠を誘う。

 正直、とてもそそられる誘いだ。


「もう逃がしたくないな。いっそのこと、庭に結界を張って出られないようにするか」


 !!


「冗談だよ」


 閉じ込められるかも? と一瞬危機感を覚えた珠珠を見透かしたように、軍師様は鮮やかに前言撤回した。

 本当に冗談だろうか……。

 ちょっとだけ軍師様の庭でごろごろするのも良いかなと思ったが、やっぱり自由を封じられるのは困ると考え直す。

 私は、お菓子を作りたい。それは狐の姿では、できないことだから。


「君を拾った日、兄上に文を出したんだよ。可愛い狐を拾ったってね。そしたら、兄上はなんて返事してきたと思う?」


 珠珠の毛並みを指先でつつきながら、清晨は一人言を始める。

 私は狐だから聞いてないよ、軍師様。聞いてなかったことにするから、安心してね。

 それにしても、軍師様の兄上……?


「元の場所に戻してきなさい、だった」


 珠珠は思わず吹き出しそうになった。

 大人な軍師様が、兄上様の前では、仔犬を拾った年端としはもいかぬ子供のようだ。


「兄上は過保護なんだ。昼間も、皆の前だというのに、私の心配をして……」


 途中で言葉が途切れる。

 見上げると、清晨は机に突っ伏して、寝入ってしまっていた。

 今日は彼も疲れたのだろう。

 珠珠は部屋を見回し、掛け布団に使えそうな厚外衣が椅子にかけてあるのを発見した。

 よいしょ、よいしょ。

 厚外衣をくわえて移動させ、眠ってしまった清晨の肩にかぶせてやる。

 一仕事終えると、窓枠に座って、清晨を振り返った。


 今日はありがとう。

 おやすみ、軍師様。


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