翌朝、
困ったことに、珠珠をここに連れてきた仲達は、南軍の用事でしばらく帰って来ないらしい。仲達が説明してくれるまでは、おとなしく侍女の仕事をしようと珠珠は考える。
むしろ、永遠に下働きでも良い。
だって!! どう考えても
私は、もう菓子作りできないかもしれない。
事情を理解して雇ってくれる人がいるとは思えないのだ。
この上、軍師様にまで駄目出しされたらどうしよう。
軍師様に「あれからよく考えたが、やっぱり下女に菓子作りを頼むのは正気じゃないと気付いた」などと言われたら立ち直れない。
その時を少しでも先延ばしする!
「清晨様の部屋の水差しを交換してきて」
「え」
軍師様と顔を合わせたくない。ただし、仔狐の時をのぞく。
「新入りの私が、ご主人様の部屋に出入りするのは」
「大丈夫!」
何が大丈夫か分からないが、凛湘は良い笑顔で保証してくれた。
仕方なく、珠珠は顔を伏せ、できる限り存在感を抹消し、
「お邪魔しま~す……」
小声で言って、机の上に置いてある陶器の水差しに手を伸ばした。
「新しい侍女か」
「?!」
肩が跳ねる。
背後にいる清晨の視線を感じた。
「君」
固まっている珠珠の首筋に、ふわっと風の感触。
衣擦れの音と共に、耳元にささやかれる清晨の声。
「なぜだろう、甘い匂いがする」
「?!!!」
珠珠は言葉にならない悲鳴を発した。
「清晨様ー! 門に迎えが来ていますよー!」
「ありがとう、
軍師様の気配が離れた。
一瞬の間に、だいぶ気力を消耗してしまった……
やっと軍師様が部屋を出て行き、珠珠は呪縛が解けたように動き出す。
「……あれ? この本」
何気なく本棚を見上げ、表紙に描かれている絵柄に見覚えがあり、目に留まった。
それは、この国で菓子作りをする者なら誰もが知っている、花餅の絵。
雨龍の心を慰めるために献上された、幻の花の形をした餅菓子。
珠珠は誘われるように腕を伸ばし、巻物を本棚から取り出した。
すると紐が勝手にほどけ、巻物が広がる。
「うわっ……あれ? これ私が知ってる話と違う」
伝説では、病に伏した雨龍陛下の快癒を祈念し、国中の菓子職人が腕を競い、色とりどりの花餅を献上したことになっている。
しかし、絵巻物に描かれているのは、花をくわえた一匹の狐。
狐の歩む先には、横たわった龍の姿。
「花餅の話じゃなかったのかな。でもこの花は」
珠珠は内容が気になったが、いつまでも仕事をさぼれないと思い、諦めて巻物を閉じる。
気づかれないよう、元あった場所に戻した。
そして、急いで水差しを手に、凛湘の元に戻った。