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第19話

 厨房の中から現れたのは、ゴツくて険しい顔をした老年の男だった。

 筋骨隆々とした体格で、これで斧でも持った時には山賊、大槌を持てば熟練の鍛冶屋という風体である。ただ、料理で汚れたのだろう油染みのついた白い前掛けと、髪が落ちないように鉢巻をしている恰好は、料理人と言えなくもない。


「…………」

悟令ごりょうさん、こちらは新入りの珠珠じゅじゅだよ!」


 沈黙が怖い。

 凛湘りーしゃんは鉄の心臓を持っているのだろうか。よく、この無表情で怖い爺さん相手に、ぺらぺら喋れるなと、珠珠は感心する。


「食事の配膳とか手伝ってもらうから。あ、珠珠、お腹がすいたら、悟令さんに何か作ってもらうんだよ。勝手に厨房に入ると、この爺さん怒るから気を付けて。じゃあ、そういうことで」

「……待て」


 男が初めて言葉を発した。

 地鳴りのように、低い声だ。


「悟令さん?」


 凛湘と珠珠を引き止め、悟令は厨房の中に入り、何かを持って引き返してくる。

 そして、大きな手のひらを、珠珠に向かって差し出した。


「飴ちゃん、いらんかね……?」


 綺麗な色と形をした氷砂糖が手のひらにいくつも載っている。

 珠珠は、悟令を誤解していたと気付いた。

 なんだ、とても優しい良い人じゃないか。


「いただきます!」


 喜んで飴をいただく。

 隣の凛湘が「え? 私も飴なんかもらったことないんだけど?!」と驚いている。


「師匠、この飴はどのように着色しているのですか?」

「……おいで」


 悟令は無表情だが、心なしか眉尻が下がって、喜んでいるようだ。

 厨房の中に入って手招きした。


「あ~~。珠珠じゅじゅ、それじゃ悟令さんの手伝いをしていてくれる? 私は別の場所で仕事してるから」


 招かれているのが珠珠だけだと、凛湘は敏感に察知し、そそくさと出ていった。

 一方、厨房に入れてもらえることになった珠珠は、目を輝かせて、調理器具や着色料について質問した。

 さすが大貴族の屋敷だけあって、調味料や着色料の種類が幅広い。赤色を出す紅花一つとっても品質がよさそうだし、金色を出す珍しい鬱金うこんがたっぷり入った壺がある。さらに聞いたことしかない青色着色料の蝶豆花があって、酢と混ぜると赤紫に変わる瞬間を見せてもらった。

 まさに夢のような時間。

 うっとり、調理器具を眺めていた珠珠は、途中で我に返る。

 自分も彼も、仕事でここにいるのだ。いつまでも遊んでいる訳にはいかない。


「次は何を作るんですか?」

「……若の、おやつだ」


 若というのは、清晨せいしんのことらしい。

 珠珠は、さまざまな材料がそろった糕点師しょうてんしの理想の厨房に興奮していたせいか、思わず口走った。


「あ、あの! 私に作らせてくれませんか?!」

「…………」

「すみません! 今の、冗談です! 忘れてください!」


 さすがに、新入りでいきなりは無理だろうな。

 言った直後に後悔し、ちぢこまる珠珠。

 しかし、悟令はしばしの沈黙の後、唸るように答えた。


「……構わん」

「え?」

「作ってみるかね」

「えぇぇ」


 断られる前提で申し出た珠珠は、まさかの許可に驚いて声を上げてしまった。


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