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第21話

 英林の店では、珠珠は二階の物置に住まわせてもらい、最低限の飲食を保証してもらっていたが、その代わりに給金は支払われないという話だった。珠珠は住まわせてもらえるだけ贅沢だと感じていたので、それに不服を唱えなかったのだ。

 しかし、清晨の屋敷では、住居と飲食の保証のみならず、お給金も出るという。


「もちろん、給金を払うに決まってるじゃないか。上に立つ私たちのような者が、下の者をタダでこき使っては、悪しき前例となってしまう」


 清晨せいしんは、突然声を上げた珠珠を怒ったりしなかった。

 きちんと質問に答え、さらに珠珠をじっと見つめる。


「その様子では……前の職場では給金が支払われていなかったのだね」

「!!」

「読み書きはできる? 貨幣の価値は知っているかな?」


 珠珠は真っ赤になった。

 無知をさらけだすのは勇気がいる。


「書く方はあんまり。読むことはできます。それに、菓子の材料の仕入れは手伝っていたので、お金の計算はできます」

「そうか。良かった……仲達、契約書用の紙を」


 なんと清晨は、その場で契約書を一発清書してくれた。

 さらさらと契約書の文言が流麗に描かれるさまは、まるで魔法のようである。


「よし、できた。凛湘りーしゃん、彼女に書き方を教えてやってくれ。もう私の押印は済んでいるから、二枚両方に珠慧の署名をして、片方だけ返してくれるといい。ああ、契約内容については、不明点があったら私に聞くように」


 契約書を受けとるよう言われ、珠珠は驚愕した。

 軍師様の前に立って直接、受けとるの?

 駄目ダメ、そんなの緊張し過ぎて死んじゃう!


「……」


 一生懸命、視線だけで凛湘に助けを乞うが、逆効果だった。


「大丈夫だって!」


 恐れ多いとおののく珠珠を、強引に背中を押して清晨の前に出す。


「ま、眩し過ぎる! まるで神様の前みたいなっ」

「大げさな子だなぁ。私は只の人間だよ。君と同じ、ね」


 そうは言っても、ご尊顔がきらきらしいのだ。

 珠珠は目がつぶれると思って、契約書を受けとると、ささっと凛湘の陰に隠れた。

 彼のような美男は、遠くから眺めるのが良いのだ。

 こそっとうかがうと、清晨は相変わらず笑顔を浮かべていたが、何やらその笑みには黒い気配が混じっていた。


「女の子に見惚みとれられるのは、いつものことだけれど、逃げられるのは新鮮だ。野生動物を手懐けるみたいで、腕が鳴るね……」


 ひぃぃぃぃぃっ!


「清晨様、野生動物ではなく、人間の娘です。がっつくと嫌われますよ」


 呆れた顔をした仲達が、間に入って助けてくれた。


「そうだね。話したいことはあるけど、また今度にしよう」


 清晨は、粽の前に座り直す。

 一段落した様子で、笹の葉を剥き始めた。


「これから私のおやつは、君によろしく頼むよ―――珠珠」


 最後の愛称呼びは、どこか甘ったるくて、珠珠は失礼ながら背筋に寒気が走ってしまった。


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