リリィは突然の婚約破棄騒動に戸惑いながらも、疑惑を晴らし、自分の名誉を守るために行動を開始する。王宮の書記官室から始まる調査の中で、婚約話の裏に隠された陰謀の糸が次第に明らかになっていく。
リリィは王宮の書記官室に足を運び、婚約証明書を詳しく調べることにする。そこには自分の知らない事実が記されており、状況はますます混迷を深める。
「リリィ様、この騒動は一体どうなさるおつもりですか?」
深夜の王宮、書記官室の隅でリリィの侍女エリカが小声で尋ねた。広い室内には書棚が並び、無数の巻物と書類が整然と保管されている。しかし、灯りは二人が手にしているランタンだけ。昼間は多忙な書記官たちが出入りする場所も、この時間帯は静寂に包まれていた。
「どうするも何も、このまま放置はできないわ。」
リリィは声を抑えつつ、目の前の巻物を広げた。クラウディウスが持参した婚約証明書――それと酷似した筆跡を探すため、彼女は王宮の公式記録を確認しているのだ。
「それにしても、私の名前を勝手に使って婚約話を作るなんて、本当に失礼な話よね。」
リリィは肩をすくめながらも、その表情は真剣そのものだった。
「リリィ様、でもあの証明書、誰かが偽造した可能性が高いのではありませんか?」
「その可能性もあるわ。でも、筆跡を確認しないことには何とも言えないでしょう?」
リリィは一心不乱に書類をめくる。婚約証明書の筆跡は、自分のものと似てはいるが微妙に異なっていた。特に「セレノア」という文字の「セ」の部分が、彼女の書き方とは逆の筆順だったのだ。これは明らかに別人によるものだと考えられる。
「エリカ、これを見て。」
リリィは一枚の古い巻物をエリカに見せた。それは数年前に交わされた隣国との貿易契約の記録だった。
「この筆跡、婚約証明書のものと似ていない?」
エリカは目を凝らして巻物を覗き込む。確かに文字の傾きや筆運びが非常に似通っている。
「本当ですね……ということは、この契約を担当した書記官が怪しいということでしょうか?」
「そういうこと。担当者を特定すれば、この婚約証明書の真偽を暴けるかもしれないわ。」
リリィはその場で契約書に記された署名を確認する。そこには「カーヴェル・グラント」という名前が記されていた。
「カーヴェル・グラント……聞いたことがあるわね。」
リリィは顎に手を当てて考え込む。この名前は王宮でしばしば耳にするものであり、彼が宮廷書記官の一人であることは間違いなかった。しかし、近頃その姿を見かけていないことが気にかかった。
「エリカ、彼の居場所を調べてみる必要があるわね。」
「分かりました。すぐに調べてみます!」
エリカはすぐさま退出し、リリィは再び書類の山に目を向けた。だが、その時だった。背後から微かな物音が聞こえた。
「誰?」
リリィは即座に振り返り、腰に忍ばせた短剣を引き抜く。周囲には誰もいないように見えたが、確かに棚の向こう側から何かが動いた音がした。
静かに足を運びながら、リリィは棚の隙間を覗き込む。そこには一人の男が背を向け、急いで巻物を抱えて逃げようとしている姿があった。
「待ちなさい!」
リリィが鋭く声を放つと、男は驚きのあまり巻物を取り落とした。その瞬間、リリィは短剣を手に男の前に飛び込む。
「あなた、ここで何をしているの?」
男は震えながら振り返り、額に冷や汗を浮かべていた。その顔には見覚えがある――そう、彼こそがカーヴェル・グラントだった。
「私はただ、書類を整理していただけです!」
彼は必死に言い訳をするが、その手に持つ巻物は明らかに何か重要なものを含んでいるように見えた。
「整理?こんな深夜に?それも勝手に書類を持ち出そうとして?」
リリィは彼の言葉を一蹴し、巻物を取り上げた。その中身を確認すると、そこには婚約証明書と酷似した別の書類が収められていた。それは、クラウディウスの宮廷との密約を示す記録だった。
「これは……どういうことかしら?」
リリィの鋭い目がカーヴェルを捉える。彼は視線に耐えきれず、ついに膝をつき、口を開いた。
「申し訳ありません!私は、ただ命令に従っただけなんです!」
「命令?誰の命令?」
「……ヴェリタス王国の宰相、クラウス様の……。」
リリィは眉をひそめた。やはり隣国の陰謀が絡んでいる。それがクラウディウス個人の独断ではなく、国家的な策略であると分かり、彼女の決意はますます固まった。
「よろしい。あなたにはもう少し詳しく話してもらうわ。」
リリィは微笑みながら短剣を収めたが、その瞳は鋭く輝いていた。
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