現在、ニバイ帝国が占領しているカマ王国領は、東部沿岸地域に限られている。だが、西部の穀倉地帯を掌握する余裕はなく、短期決戦を志していた帝国軍は脇目も振らずに王都に向かっていた。
南下する部隊の先鋒が王国軍と接敵したのは、午前四時のことだった。鐘の音が防衛陣地に響き渡り、機関銃手が、その愛銃の後ろに立つ。大きな水冷ジャケットを備えた銃身から、五発に一発の曳光弾がラインを描く。
「祖国に栄光あれえッ!」
鉄殻戦団の騎兵が、その弾丸の雨の中を突っ切って塹壕に向かった。だが、足元に転がった結束手榴弾に魔物の前脚を纏めて吹き飛ばされ、転倒する。投げ出された肢体は塹壕の手前に落ち、至近距離からの爆裂魔法で命を絶たれた。
そんな光景が幾度となく繰り広げられた。不意打ちで国境基地を襲ったり、既に士気が崩れているタイミングでの市街戦であったりとは違う、万全の準備を整えた部隊との交戦だ。かの鉄殻戦団と雖も、その戦力を擦り減らしていく。
同時に、灼熱戦団による航空攻撃も行われていた。だが、祈祷騎士が防壁を展開して火球を防ぐ。そして、その内側から展開される機関銃の弾幕が、小さな龍を撃ち落とす。
しかし、帝国もただやられるだけではなかった。砲兵的役割を担う轟雷戦団の、魔物が吐いた火球による攻撃は、王国の歩兵隊を退避壕に閉じ込めていた。
既に戦況は膠着状態に陥っている。王国は現状維持を、帝国は突破を決め、突撃と迎撃が繰り返された。
一方で、第八特別隊。デオから出発した部隊を背後から襲うため、彼らはルドラン北西の巨大な湖を西に迂回するルートを執った。十五頭の馬が、騎士の魔力を受け強化された肉体で襲歩以上の速度を保つ。
「偵察隊から連絡。爆裂砲は前進しつつあり」
先頭を駆けるキッスの声が、後ろの者たちの小型青燐盤に届く。
「想定より速いぞ!」
そう叫んだ誰か。騎士たちの行程は二百キロ。それを三日で駆け抜けることを想定していた。
ホルルンの生み出す風の核を埋め込んだ馬だ。肉体にかかる負荷は大幅に軽減されている。襲歩を超える速さで走ることができるが、風の核に耐えられる馬は少ない。騎士たちに与えられた十五頭は、王都ルドランが保有するうちの八割を占める。
そんな彼らの食事は、魔術によって極限にまで体積当たりカロリーを上げた強行糧食と呼ばれるバーだ。馬に乗りながら、片手で食べる。
一日目、八十キロの移動が終了した、夜。馬と騎士の休息のため、水辺の洞窟に集まった。
「我々は、今ここだ」
キッスが地面に広げた地図に、現在地点を示す赤い光が灯っていた。湖の西側、丁度真ん中辺りだ。
「夜が明け次第、移動を再開する。休め」
ラハンは近くの湧き水を椀で汲む。魔力を流し込んで殺菌し、粉末状の茶をその中で溶かして飲んだ。そのまま洞窟に戻り、横になる。馬に乗せていた毛布を地面に敷いていた。
今頃サーデルやインサは何をしているか、無事だろうか、と彼は思ってしまう。だが、それもそこそこにすぐに眠りに落ちたのだった。
◆
ルドラン防衛陣地の後方で、インサも休息をとっていた。腹の底から魔力をひねり出して赤い稲妻を一日中投げ、漸く暖かい食事を食べることができる。それも、具の殆どないシチューだが。
「インサ」
その隣に、サーデルが座る。
「魔術師連中は一緒じゃないのか?」
「死にました」
小さく、冷たい声で彼女は言った。
「……そうかよ」
サーデルも、多くの死を見た。救えなかった者たちを。腰から下が無くなった者、切傷を放置して感染症にかかり、手の施しようがなくなった者。一日目の犠牲者は六百人を超えている。この戦場は、既に、我慢比べと化していた。
「爆弾が、落ちてきて」
誰に問われるまでもなく、彼女は話し出す。
「拾って投げ返す前に、爆発したんです。目の前でバラバラになったんです。あの子、可愛かったのに。デオにお母さんがいるって言ってたのに」
涙がシチューに落ちる。
「落ち着けよ。泣くのは、全部が終わってからだ」
振り切るように、彼女はそれを飲み干した。
「……守りたいんです」
木製の椀を置いて、呟く。
「私が、みんなを」
「人は神様にはなれねえよ。どんなに努力したって人は人だ。だから、全部を守ることなんてできやしねえ」
「冷たいんですね」
「高望みして死なれちゃ、ラハンに合わせる顔がないからな。生きるだけでいいんだ」
サーデルはそう言うと、一口にシチューを飲んだ。
「明日もこうして会おうな。じゃ」
心が擦り切れていくような感覚を味わいながら、インサは涙を流し続けた。
◆
行軍三日目。ラハンは手綱を握り、風を裂くように馬を走らせた。
「偵察隊から続報。明日には、爆裂砲はルドランを射程に捉えるようだ。無理をしてでも駆け抜けろ!」
「応!」
一瞬の休みもなく、彼らは山間の道を進む。馬から伝わる振動が体力を奪っても、それに弱音を吐かない強い精神を持った人間が、この部隊に選ばれている。とにかく、進むしかない。
朝焼けが東の空から伸びている。カマ王国の気候は西から東へ変わるのだから、それは雨の訪れを予期させるものだ。皆、体力の消耗を覚悟した。
二時間ほどが経過する。降り出した雨粒の中を一心不乱に進む彼らの耳に、最悪の知らせが届く。
「偵察隊との連絡途絶!」
キッスは一旦部隊を止めた。選択肢は二つ。移動コースは予想通りとして任務を続けるか、諦めて前線に戻るか。
どちらもリスクがある。前者は迎撃態勢を整えられた所に飛び込むことになるのだから、戦死の可能性が飛躍的に高まっている。だが、後者を選択すると、魔脈爆裂砲を止められない。
「行きましょう」
ラハンが言った。
「今、防壁破りを止められるのは俺たちしかいないんです。だから、進みましょう」
残る十三人もそれに同調した。
「俺が全員ぶった切ってやるからよ、どーんと任せろ!」
グッバードが言う。
「僕も前進するべきだと思います」
エーエストも声を上げた。
「……わかった──第八特別隊より参謀本部。任務続行。明日日没までに、魔脈爆裂砲を破壊する予定」
腕に装着した携行型青燐盤にそう声を吹き込んだキッスは、前を向いた。
「君たちの、覚悟に賭ける」
速度を上げた馬の列は、夜の山を抜け、平野部に入った。オルセレア近傍だ。そこからは、敵地。単発式のライフルを握った歩兵が待ち構えていた。
「押し通ォるッ!」
キッスは前面に盾を構え、巨大な防壁を生成して銃弾を防いだ。敵に騎兵はいない。既に前線にいるのだろう。それを判断した彼らは、殿を置くこともなく敵部隊の中を突っ切った。
彼らの前に、トラックが並んでいる。兵站を担う部隊だ。
「キッス! 一台くらい吹き飛ばそうぜ!」
グッバードはそう叫びながら、トラックの幌に火を点けた。そして、エンジンに放火。吹き飛ばした。
「輸送部隊から鉄殻戦団へ! 例の部隊が到達! そちらに向かって──」
言い切る前に、雷撃が通信兵の頭を撃ち抜いた。
騎士たちは、遠くに巨大な砲を見る。近い。そう、確信した。
その砲の近くで、グラドゥスが跨る魔物の頭を反転させた。
「教会騎士をぶっ殺したい奴は俺について来い! 首を一番多く並べたやつに最高の酒をくれてやる!」
彼の呼びかけに、多くの同意が上がる。
「さあ行くぞ! 奴らに王国の味方になったことを後悔させてやれ!」
騎兵同士の激突は、この会戦の行方を左右したものであった。同時に、ラハンとグラドゥスの間に、拭いきれぬ因縁を生み出すものでも……。