二週間。その二週間は、カラザム史上最も重要と言っていい時間だった。
帝国軍は、出力を向上させた魔脈爆裂砲の輸送を開始。その十数トンに達する重量物は、装軌車両に載せられ、本国からの増援と共に南下していた。
その隊列には、鉄殻戦団を軸とした護衛部隊が加わった他、灰色の肌に蒼い角を生やした、青年らしい者がいた。ナベルダッシュ。
「あれが人造勇者ってやつか?」
魔物の上に乗っているグラドゥスが、隣の騎兵に問うた。
「そう聞いています。黒い炎と蒼い炎を自在に操り、単独で騎兵一個中隊に相当する戦力になるとか」
「へえ……勇者一人で戦場をどうこうできるとは、思わねえけどな」
一人はどこまで行っても一人だ。ナベルダッシュが腰に佩いている剣も、畢竟、いつかは錆び付いて折れてしまう。
「お前、教会騎士は殺せたか?」
一定のリズムで揺れる魔物の上で、彼が言った。
「いえ……魔術師は何人かやったのですが、騎士には部下を殺されました」
「お前も魔鎧を受け取れ。教会騎士の胴体をズバッと斬れるようになるぜ」
「魔鎧には魔族因子が必要なのでしょう? 適合率は二十五パーセント。私はとても……」
グラドゥスは大声で笑いだす。
「死ぬか生きるか、五十パーセントだ。それに根性を合わせて百パーセント。勝てる博打だろう?」
騎兵は兜の下で苦笑した。
「今回も、きっと騎士は来る。その時は俺たちに任せろ。真っ二つにしてやる」
魔鎧将軍グラドゥスの背後には、同じ赤銅色の魔鎧を纏った騎兵が並んでいた。兜のスリットには緑の光が走っている。魔導式を組み込んだ、視覚強化装置だ。本国が温存していた魔鎧部隊、鉄鬼だ。
魔鎧とは、死体が消えない上級の魔物や魔族の骸を存在とした鎧だ。そこに魔導式を組み込むことで、銃弾はおろか砲弾、そして教会騎士の魔法ですらまともにダメージを与えられない堅牢さと、装備者の身体能力を大幅に引き上げる強化作用を齎している。
端的に言えば、着るだけで超人的な能力を齎すというわけだ。だが、当然人を選ぶ代物である。それが先述した魔族因子だ。魔族の肉体を移植し、適合した者だけが、魔鎧を纏う資格を得るのだ。
「しっかしまあ……ミルサも随分とやる気だからな、手柄を取られちまう」
グラドゥスは晴れ渡った空を見上げる。ミルサ率いる灼熱戦団の、小型ドラゴンの群れが雲のように飛んでいた。
「灼熱戦団も、市街戦には対応しきれていません。やはり、中心は我々ですよ」
隣の騎兵が調子のいいことを言うので、グラドゥスは大きな体を揺らしてその背中を叩いた。
その直後、隊列は停止する。兵士たちに食事が配られた。兜を脱いだグラドゥスは、来る流血に、笑みを浮かべていた。
◆
帝国が見せた大規模な動きに対して、王国参謀本部は、王都ルドランに残存する戦力の大部分を割いての防衛作戦を展開。ルドランとデオの中間に位置する平原に長大な陣地を築き、防衛の態勢を整えつつあった。
砲兵三個大隊が後方で迫撃砲や榴弾砲を用意し、歩兵四個師団が塹壕の中で待ち構える。試験中の機関銃なる最新兵器さえ投入し、徹底的に抗う姿勢を見せていた。
教会領に要請した騎士の増援も届き、総勢八百名の教会騎士が王都に集結している。うち、最前線に立つのは三百名。その中に、ラハンを含む第八特別隊もあった。
「我々は、敵の魔脈爆裂砲の破壊を担当する」
多くの戦力を加えた王国は、特別隊を再編成。第八も、十五名の騎士から構成される部隊となっていた。その多くの視線に晒されながら、キッスは地図を広げていた。
「予想会敵地点は、ここ。デオ近傍の丘陵地帯だ。オルセレア方面を突破し、背後から爆裂砲を襲う。これは迅速に行わなければならない。時間をかければ、爆裂砲が発射され……射線上に位置する友軍を巻き込みながら、防壁が破壊される」
「ならよォ、俺たちが大砲壊すまで防衛部隊は防壁の中にいりゃいいんじゃねえか?」
グッバードが言う。
「展開にはどうしたって時間がかかる。そして、砲の破壊後には、速やかにデオの奪還作戦に入るんだ。そのために、予め兵を配置しておく必要がある」
そう言われれば、と彼は納得する。
「この十五人で、ですか?」
ラハンが重い表情で問う。
「先行する偵察部隊はいるが、そうだな、私たち十五人で敵地を駆け抜け、可能な限り手早く砲を機能停止させる。容易くはない。だが、命をくれ」
キッスが騎士たちの顔を見渡す。この場に、民の未来のために命を賭ける覚悟のない者は、いない。
「正確な位置が判明し次第、命令が下る。それまで、待っていてくれ」
解散して、防衛陣地の司令部から、ラハンは出る。その前に、見慣れた顔があった。
「よっ」
サーデルだ。
「偵察部隊じゃないんだな」
「おうよ。しばらくは医療チームだ……戦いが始まりゃ、こうやって会う暇もないからな」
時刻は昼を回り、夕方に差し掛かる頃。いつ号令がかかるかもわからない緊張の中、時間だけは顔色一つ変えずに過ぎていく。
二言三言、言葉を交わした二人だが、妙に空気が重くなって会話が弾まない。それもそうだ。人の死を目の当たりにして、整理できない感情が二人の心を埋めているのだ。
そこに、少女が近づく。
「あ、ラハン様!」
魔術師部隊の赤いローブを纏ったインサが、小走りで二人に寄った。
「……眠れているか?」
そう問われた彼女の眼の下には、隈がある。
「やっぱりバレちゃいますよね……はい、最近魘されてて。なんか、ずっと戦場の夢を見るんです」
「……俺が、君を巻き込んでしまった。すまない」
「そんなこと言わないでください。ラハン様がいなかったら、私はドラゴンに食べられてたんですから」
笑う彼女の顔の中に、どこか疲れた影があるのを見て、ラハンはやり切れない気持ちになった。その肩をそっと叩き、視線を合わせる。
「インサ、無事でいてくれ。無理に戦果を挙げようと考えなくていい。ただ、生きてまた会えればそれでいい」
「……はい」
「サーデルも、無茶をするんじゃないぞ」
「そんなに、お前の作戦は無茶なのか」
三人は一兵士だ。ラハンも好きに作戦の内容を話せる立場ではない。
「かもしれない──いや、生きて帰る保証はどこにもない。何人死んで、何人生きるか。計算もできない任務だ。だが、成功すれば帝国を押し戻せる」
サーデルが彼の胸を小突く。
「俺からも言ってやる。死ぬんじゃねえぞ」
「そうですよ! またみんなでご飯食べましょう!」
その誓いは、果たされることになる。僅かな喪失を伴って……。
◆
ニバイ帝国のカマ王国侵攻を、教会領が全く予見していなかったわけでもない。帝国に駐在していた騎士から不穏な動きがあるという報告は上がっていたし、聖導官もそれをまるっきり無視してはいなかった。
だが、どこか願っていたのだ。『有り得ない』と。
開戦の可能性を強く否定していたサナ連邦の聖導官は、その責任を問われ、解任された。その彼女が教会領を去る前、サグアに呼び出された。
「近く、サナ連邦に大規模な魔域が発生する」
何の前触れもなく語ったサグアに、ふくよかな体をした彼女は疑問を呈する。
「魔王の力は日に日に強まっていてね。もう一年もせずに復活するだろう。そこで、だ。ある程度魔脈を流れる魔王の力を追跡できるようになった。そして、サナ連邦にそれが集まっているのさ」
「何故、私にそのようなお話を」
「英雄になりたくはないかい?」
これまた何を言いたいのか掴めない。
「魔域の誕生を見越して、避難を指示するんだ。そうすれば、連邦書記長からの推薦を得られる」
「魔域を、利用しろと」
「ああ、そうだよ。どうだい?」
彼女は暫し悩んで、頷いた。