ニバイ帝国帝都、ダルメーク。黒鉄と灰色のコンクリートでできた街に、その街灯が揺れる光を投げかけていた。街角のポスターでは、侵略を煽る文句が真っ赤な字で書かれている。
初夏だというのに少し冷えた風は、動き続ける工場から帰る者を斬りつけていた。
そんな土地の中心に立つ、皇宮。目立つ尖塔も輝かしい塗装もないが、虎の紋章が描かれた国旗が揺れていた。
「改良型の開発は、進んでいるのか?」
皇宮の四階──最上階の一つ下で、帝国軍総司令官ダスグレヒッドは、今日も眠れない夜を過ごしていた。
「一か月以内には、出力を大幅に引き上げたものができるかと」
四十八という年齢でこの国の最高権力者となった彼は、技官からの報告を受けて苦い顔をした。
「三週間で終わらせろ。デオを取り戻す暇を与えるな。下がれ」
「ハッ……」
緑の服を着た技官が頭を下げて、質素な部屋を後にする。
(あれから十八年……)
三十の若さで帝国軍総司令官に任命された彼は、即座にクーデターを実行。地殻変動に伴う魔脈の衰退からエネルギー不足に陥っていた祖国を救うため、様々な手を講じてきた。
魔物から魔力を抽出する実験や、国境地帯の魔脈からエネルギーを盗み取る作戦。だが、どれも根本的な解決にはならなかった。結局は、逆に力を増しつつあるカマ王国の魔脈を手に入れるしかないのだ。
そのために、魔脈爆裂砲を開発させた。カマ王国の太く大きな魔力の流れがなければ実験も碌に行えないが故に、一発で崩壊してしまうような脆弱な兵器となってしまったが、有用であることは確認できた。
(デオにて最終調整を行い、王都ルドランの攻防戦を数時間で終わらせる。我が国に長期戦を行う体力はない……)
穀物の備蓄にも限りがある。カマ王国の穀倉地帯を抑えたいが、爆裂砲の数が足りない。農村からの徴発で兵数を確保している部分もあり、農民を縛り続ければ一揆の可能性さえある。
(本当に、頭が痛い……)
ダスグレヒッドは左腰に提げたサーベルの柄頭を触った。
◆
穏やかな朝が訪れた。初夏の香りで屋敷は満ちて、時折吹き込む涼風がカーテンを揺らす。そんなリシェリスの屋敷の奥まった一室に、ラハンは訪れていた。
「時間の問題だとは思っていた」
彼女は本を読みながら言った。
「君の魔剣には、ノルフィア騎士の魂が眠っているからな。いずれ、異端の雷を君に与えていただろう。それで……用事は弟子入りか?」
「ええ、黒雷はかなり魔力を消耗しますから、効率のいい制御方法を身に付けられれば、と」
本を閉じ、リシェリスは眼鏡の向こう側から値踏みをするような視線を飛ばす。
「君の実力を疑ってはいない。黒い稲妻が、これから現れるであろう帝国の騎士に対して効果的というのも理解できる。だが、知っているだろう。ノルフィアの弟子は一生に一人。頼まれたからとすぐに応えてやるわけにもいかん」
立ち上がった彼女が、剣を背負ってラハンに近づく。何を言われるのか、と思っていた彼は、相手が過ぎ去っていくので肩透かしを食らった気分だった。
「まずは君の心を見る。ついてこい」
庭に出れば、勢いを増した太陽が、憎たらしい程に二人を虐める。だがリシェリスは表情一つ変えず、指を鳴らした。すると、真っ黒な結界が庭を覆い、頂にあるぼんやりとした光が、夕焼け程度の明るさで二人を照らした。一つ目立つのは、庭の端に置かれた雷を持った神──戦神ゼルドナウスの石像だった。
「一つ、問う」
剣を抜いた彼女が、静かに言った。
「どのような誹りを受けようとも、魔に苦しめられる人々を救う覚悟はあるか」
「神に誓って」
「どの神だ?」
ハッとした。
「本来、教会騎士とは一柱の神に仕えるものだった。故に教会騎士を、信仰する神々の名前をとってノルフィア騎士、グレルヴァルド騎士のように呼んでいた。だが、ノルフィアが魔王に取り込まれ、その尖兵となってしまった教訓から、特定の神に依存することをやめた。だからこそ、だ。自分が何を信じ、何を成し遂げたいか。それを見つめ、仕える神を決めるのだ」
彼はそっと、自分に問いかけた。この先、血腥いという言葉では片付けられない道を歩むのだろう。ならば。
「戦神ゼルドナウスに、誓って」
「……いい選択だ。ゼルドナウスは雷霆の神でもあるからな。こっちに来い」
手招きされたので近づけば、リシェリスは石像の前に跪いた。全て得心したラハンもそれに倣う。
「かの者は、あなたの力強き
そう彼女が唱えると、ラハンの脳内に声が流れ込んできた。
『汝、何故に我が力を求むるか』
「今、この国は存亡の危機に立たされています。教会の定める掟を破った、異端国家によって。私にはそれを止める力が必要なのです」
『否。それは汝の心根から出た言葉ではない』
心根? 心根とは、とラハンは考えてしまう。だが、神の言わんとするところはわかった。
「……私は、ともすれば異端と思われてしまう力を手にしてしまいました。いえ、間違いなく処断されるものです。ですから、あなたに認められた、という証が欲しいのです」
『我は魔を許さぬ。闇を許さぬ。一閃の光がそれを撃ち抜き、民の進む道を切り開くと信じておる。汝、我の剣となるか』
「騎士しての誇りを賭けて」
ラハンは具体的なものを見ていたわけではない。だが、何故か笑みのようなものを見たように思えた。
『汝の中にあるのは、蒼き輝きだけではない。黒の力が眠っておる。努々、自らの心を強く保つのだ』
右手の甲に、何か入れ墨でも彫られているのではないか、という鋭い痛みが走る。視線をやれば、双剣と稲妻の紋章が焼き付けられていた。
『汝が力を求める時、それを通じて我に呼びかけよ。加護を与えん』
ラハンは力強く立ち上がる。
「うまくいったようだ。私もゼルドナウス騎士だよ。紋章は胸にあるから見せられないがね」
すらり、赤い剣を抜いたリシェリスは、そこに黒い稲妻を宿す。
「君は炎を得意とするからね、黒雷を完璧に制御するにはゼルドナウスの加護が必要だった。さあ、君に力を授けよう」
そこから、鎧を纏ってひたすらに剣を振るった。師の生み出す魔物を次から次へと斬り伏せ、黒い稲妻の使い方を体に叩き込む。魔力の消費も、体への負担も、偽の爆裂砲での戦いとは比べ物にならないほど軽い。
だが、三時間も行使し続ければ、流石に辛くなってくる。
「ここからだ! 踏ん張りを見せろ!」
ラハンの前に現れたのは、緑の肌を持った巨人。かなり上級の魔物だ。
「私は手伝わない。その黒雷で、勝つんだ」
重くなり始めた体に鞭を打って、大ぶりな打撃を躱す。横に回り込んで、黒い稲妻を飛ばした。だが、皮膚が厚いのか、ラハンが消耗しているのか、致命傷にはならない。
すぐさま巨人は彼の方に向き直る。連続した殴打を避けて、避けて。斬り込む隙がなかった。この巨体はスピードも持っていたのだ。
そこで、彼は一つ思い起こす。力が必要なら呼びかけろ、とゼルドナウスは言っていた。
「戦神ゼルドナウスよ、力を!」
右手の紋章に魔力を集め、剣を天に翳す。すると、鎧の下にあったはずの紋章が浮かび上がり、黒剣を同じ色の稲妻が覆った。
確信。これならば、確実に切れる。ラハンは力強く踏み込み、寝かした剣で薙いだ。巨人の両脚が同時に飛ぶ。落ちた巨躯に飛び乗って、喉を刺す。そうして、巨人は灰となった。
「……素晴らしい」
リシェリスが拍手を向ける。
「これから一生の付き合いだよ、我が弟子」