「おう、道化じゃないか!」
王宮の廊下で、背後から抱き上げられます。
僕は子犬ですか?
「アルキメデス副団長。おたわむれを。降ろしてください」
「相変わらず愛想がねぇなぁ、道化! かと言って人をにらまねぇのが、お前の良いところだ!」
筋骨隆々な軽鎧姿のこの人は、アルキメデス副団長。
亡くなられた騎士団長の代理を務めている方です。
この方が、次期団長に就任する準備として、治安維持のために貧民街の賃金配りが行われたわけですね。
「なんで、毎回抱き上げるんです?」
「持ち上げやすいからだ! ちっちぇえからな!」
歯に衣着せぬ副団長。
地球の歴史上の『アルキメデスさん』と比べると、いささか脳筋な方にも見えますが。
これでいて、軍略や輜重関連の軍事計画をこなすキレ者でもあります。
で、なぜか。出会ったときから、僕はこの人によく構われています。
なんでや。
「道化師が困っているよ、アルキメデス」
そんなアルキメデスさんを制する声がかかります。
「やぁ、元気そうだね、道化師。ボクにも抱きしめさせておくれ」
銀髪のショートカット、美貌を儀礼鎧に包んだ男装の麗人。
クレイ・ノアール様。
ボク、と言っていますが女性です。
この方も副団長の地位におわす方です。
アルキメデス副団長を団長代理として推薦し、彼を立てて補佐する立場ですね。
アルキメデス副団長と、クレイ副団長。
王国騎士団は、団長不在の中、今はこの二人によって保持されています。
「お二人は、何のお仕事中ですか?」
僕は二人に尋ねます。
お忙しいお二人です。王宮の廊下で執務の移動中に会ったことは、想像に難くありません。
アルキメデス副団長が答えてくれます。
「予算会議の帰りだ。軍事費が縮小されなかったおかげで、防衛予算が無事に下りた」
「平和を維持するのが我らの務め、とお褒めの言葉をいただきましたよ」
クレイ副団長も、心なし嬉しそうに教えてくれます。
軍事費は、国防の要でもありますからね。良いことでしょう。
「最近は戦もねぇし、もちっと渋られると思ったんだがなぁ。なんだか、陛下の口添えがあって、周りの文官どもも黙らざるを得なくなってたな」
「はてさて、誰の入れ知恵があったんだろうね? ボクの知る限り、軍事の利権を削りたい貴族ばかりだったようだけど」
さて、何があったんでしょうね?
何となく、そんな忠言を過去にしたような気もしますが。いちいち覚えてません。
「ま、感謝しとくぜ、道化。キスでもしとくか?」
「それをするなら、ボクが礼をしておこう、アルキメデス。道化師も、年端もいかないとは言え男の子だ」
クレイ様が、にっこりと僕の前に進み出ます。
「はい、たくさん見たまえ」
ぴらっ。
儀礼鎧の下のもも丈のスカートをめくり、付け根どころかその上まであらわにするクレイ様。
柔らかそうにむっちりした根元に、刺繍に彩られた淡い桃色の下着が見えます。
「クレイ様。これは?」
「気に入らないの? これでも、乙女の下着だけれど」
それはわかりますが。
「なぜ? 下着を?」
「興味があるかな、と思って。少年が顔を赤らめているのは、可愛いね」
それは痴女というのですよ?
「淑女が他人に見せびらかすものではありません」
僕がそう言うと、クレイ様はスカートをたくし上げたまま、ニヤリと笑いました。
「心配はいらないよ。きみは『存在しない者』なのだから、だから、何を見せても恥ではないし、きみがどう辱められようとも、誰も関知しないよね?」
にっこり。
そうですね。確かに、その通りです。
「いっそ、触ってさしあげましょうか、クレイ様?」
「いいね、いいね。それならば、ボクの手で下着を下ろすのもやぶさかではないよ?」
年下趣味のボク女め。
僕が少しでも怒った素振りを見せれば、腰に提げた剣で、僕の首が飛ぶでしょう。
「おいおい、俺もいるんだぞ、クレイ」
「前に回って見たら殺すからね、アルキメデス」
「その姿を誰かに見られても、俺は知らんぞ」
「次期団長様とは言え、乙女の柔肌は見せられないよ。これは道化師へのご褒美だからね」
ご自分へのご褒美、の間違いじゃありませんか?
頬を紅潮させてゾクゾクと身震いしなが僕を見下ろす銀髪のショートカットを、僕は正視するわけにもいきません。恐れ多いことです。
内心で、相手に悟られないようにため息をつきます。
わからないでもないです。
クレイ様にとっては、女性である自分を副団長に取り立ててくれた元団長が失踪し、その後始末を担っているわけですから。
悲嘆と重責で、そのストレスは相当なものでしょう。
――誰も彼もが、傷跡を持っている。
そのストレスの捌け口となる役割すらをも、僕の『宮廷道化師』という身分は持ち合わせています。
政治の中枢に口を出せるのに、無権力者。
誰かに好意は持たれても、その立場をやっかんで虐げる行為に及ぶ方々は多いですし。
あるいは、『虐げられる』ことで辛苦の受け皿となるのも、『道化』の役割と言えます。
まぁ、好意は持たれているらしいので、暴力はほとんど受けません。
ある意味では甘えられてるようなものです。
成人の精神年齢の自分からすれば、可愛いものだと言えるかも知れません。
「クレイ様。そろそろお戯れは、お止め下さい」
「おや。そう言うならそうしよう。さすがに陛下の手前、これ以上『戯れる』わけにもいかないからね」
陛下のお稚児扱いされてますからね、僕。
まぁ、陛下ご自身からも似たような扱いをされてるんで、大差は無いですが。
「誰の手前、『戯れる』わけにはいかない、と?」
場が凍ります。
廊下の物陰からたいへん都合良く出てこられたのは、誰あろう。
オルベリス王……こと、中身はイリース姫。
呆然としたクレイ様手から、はらり、とスカートの裾が落ちます。
アルキメデス様は顔を覆って天を仰ぐ始末。
オルベリス王は、王の男装で、実は同じ麗人に、ふふんと笑いかけます。
挑発的に。お怒りの笑顔ですね。
「我が道化への褒美、ご苦労。――道化よ、さぞ眼福であったろう?」
「へ、陛下……なぜ、ここに?」
「……なぜもなにも、そこの道化を探しに来たんだろうよ……」
狼狽するクレイ様に、アルキメデス様が、横からぼそり。
でしょうね。僕もそう思います。
「さぁ、我が道化よ。余からも褒美を与えようか。……お前たち、この者を借りていくぞ?」
「ぎょ、御意に!」
「ご随意に、陛下」
横からかっさらうように肩を掴まれ、僕は唐突に現われた陛下に拉致されていきます。
あーれー。
と言うか、真相をバラすと。
僕がこの廊下にいること自体、陛下のお呼び出しで、お部屋に向かう途中だっただけなんですけど。
まぁ、それはそれとして、当初の予定通りに僕は連行されていきます。
「お二方。それでは、失礼いたします」
「あ、ああ。またな、道化師」
「んじゃなー、道化」
お二人に聞こえないように、オルベリス王が僕の耳元に口を寄せて、ささやきます。
「……そんなに女の下着や脚が見たいなら、わたしの下着を見て、脱がせてもらおうかしら?」
この人が真っ先にそうしますよね。
そんなことを思いつつも、妖しい微笑みの陛下に連れ去られます。
そして、その最中に、背後に遠のく二人の副団長を、ちらり。
証拠は無いんですけど。
団長失踪の件。あの二人は、少しだけ怪しいところがあるんですね。